魯粛に学ぶビジネス三国志!三国志の仕掛け人、魯粛の投資術

2017年4月21日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

これから伸びていきそうな企業に対して先行投資する、これにはリスクが伴います。

失敗したら大損する事になるからです。

しかし、やると決めたら、できるだけ早く、さらに相手が希望するよりも大きな金額を

投資するのがビジネスで成功を収める近道です。

今回も三国志から、大きな援助で成功を掴んだ人物の話を紹介しましょう。

 

関連記事:【ビジネス三国志】便利な人で終わらない重んじられる技術

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



三国志の仕掛け人、魯粛は大きな投資で歴史に名を刻む

 

降伏に傾いていた孫呉の世論を孫権(そんけん)を説得する事で開戦に軌道修正し、

・呉・蜀の三国時代の立役者となったのが、魯粛子敬(ろしゅく・しけい)です。

徐州臨淮(りんわい)郡東城(とうじょう)県に産まれた魯粛は富豪でしたが、

ただの大金持ちの旦那で終わるつもりはなく、天下を動かすという野心を持ち、

日々、軍事教練に明け暮れ、困った人に施して数百名の手勢を持っていました。

 

そんな魯粛の元に、周瑜(しゅうゆ)という人物が尋ねてきました。

居巣(きょそう)の県長という肩書きでの表敬訪問でしたが、それは表向きの話で

主君の袁術(えんじゅつ)の暴政で困窮している県の為に資金援助を願いに来たのです。

 



全財産の半分を初見の周瑜に与え、全幅の信頼を掴む

 

周瑜を一目見た魯粛は、これが非凡な人物であり、田舎の県長程度では、

終わらない天下の逸材であると即座に見抜きます。

 

そして、周瑜が言いにくそうに、援助を求めると、魯粛は周瑜を外に案内し

敷地内にあった魯家の二つの蔵の中の一つを丸ごと与えると提案したのです。

それは、富豪の魯家の財産の半分を与える事を意味していました。

見ず知らずの自分の為に、財産を半分与えるという魯粛の行為に、

周瑜はすっかり魅了されてしまいました。

 

周瑜の予想を超えた金額、そして決断の速さが堅い信頼を産んだ

 

周瑜も、ただ県長をやっているわけではないので、おおよそ援助の相場を

把握していた筈です。

 

恐らく魯粛の家だけではなく、他の富豪だってあたるつもりだったでしょう。

そして、援助したらどんな見返りがあるか聞いてくる、上から目線の富豪に

愛想よく対応しながら、何とか必要な援助を取りつける算段があったと思います。

ところが、魯粛の援助は、そんな周瑜の目算を遥かに超える大金であり、

しかも、何らの見返りの要求もせずに即決で決めています。

 

周瑜の援助申請の旅は、ただ魯粛の家を尋ねるだけで終結したのでしょう。

或いは、それ以外の富豪の家を回って、少しの援助を得たとしても、

魯粛が示した決断の速さと援助の大きさが周瑜の頭を離れなかったのは

想像に難くありません。

 

周瑜の脳裏には、魯粛への感謝が刻み込まれました。

そして、この恩義を返さねばならないと強く思うようになるのです。

 

盟友の孫策が江東を征した時、周瑜は魯粛を新政権に誘う

 

やがて、周瑜は盟友の孫策(そんさく)が江東で自立した事を知ると、

魯粛に会い、共に江東で孫策に仕えないか?と誘いをかけます。

魯粛も孫策に将来性を感じていたので、一族郎党を率いて江東に渡ります。

以後、紆余曲折ありますが、魯粛は常に周瑜に引き立てられ、

西暦210年の周瑜の死後には、後任の都督として、魏、蜀との難しい外交の

かじ取りを任され実績を挙げていく事になるのです。

 

その地位も権勢も、田舎の富豪の旦那どころではない大きなものでした。

魯粛は、最初に周瑜という大きな逸材に投資した事で、孫呉と結びつきを得て、

彼の念願であった歴史に名を残す事に成功したのです。

 

ビジネス三国志ライターkawausoの独り言

 

魯粛が周瑜の心を掴んだのには、2つのポイントがあります。

1つ目は周瑜の予想を超える大金を援助した事、2つ目は、

その決断が迅速であり待たせなかったという事です。

 

資金援助を求める側は、どうしても立場が弱いですから、

「本当は五百万必要だけど、三百万あれば当面いけるか・・」

 

というような心理になりがちです。

そこを察して、五百万円出す事が出来れば、相手はこちらに強烈な印象と

感謝の念を持つ事でしょう。

そして、グダグダ言わず出すと決めたら誰よりも早く出す事です。

それは相手を疑わない=信頼の表れとして取られる事になります。

 

こうして無事、事業が成功した暁には、相手は是非あなたの会社と

優先的に取引をしたいという気持ちを持つ事でしょう。

 

どうせ援助すると決めたなら、援助額を割り増しして渡し、

あれこれ言わないでスピーディーにという事は難しくありません。

しかも、その効果は絶大なモノになり戻ってくるのです。

 

 

関連記事:営業マン必見!諸葛亮孔明から学ぶ営業術。これがビジネス三国志だ!

関連記事:【5分で分かるビジネス三国志】三言で田嬰(でんえい)を動かした男

関連記事:【5分で読める】ビジネスマン必見!崩壊寸前の組織を建て直すなら司馬穰苴(しばじょうしょ)から学べ!

関連記事:知らないと貴方も騙される!龐統の心の誘導テクニックが使えるのでこっそり教えちゃいます!

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-三国志の雑学
-,