【センゴク】織田信長って本当は優しく思いやりのある性格だった!

2017年6月13日


 

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戦国の覇者または時代の革新者として有名な織田信長。

父・織田信秀(おだのぶひで)の跡を継いで尾張(おわり)半国から始まり、

次々と強敵をなぎ倒して尾張を統一すると隣国の美濃(みの)を奪っていきます。

その後は信長の反対勢力と厳しい戦いを繰り広げながらも勢力拡大を行っていき、

天下統一までもう少しであったにも関わらず、

明智光秀(あけちみつひで)の謀反にあって亡くなってしまいます。

そんな彼ですが、実は性格がかなり気まぐれであった事をご存知でしたでしょうか。

このムラのある性格のせいで、家臣達が次々と謀反を起こした可能性があるのです。

今回は信長の性格についてご紹介していきたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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実は思いやりのあった信長

 

織田信長は苛烈な人物としてのイメージがかなり強い戦国武将だと

思われている方も多いと思います。

実際にかなり苛烈なことを行っているので、

このイメージはあながち間違えではないのです。

しかしそんな信長にも人並みに優しく思いやりのあった人物で、

あったことをご存知でしょうか。

ちょっと今までの信長のイメージを覆すエピソードをご紹介したいと思います。

 



秀吉の浮気に悩むねねを気遣う手紙

 

信長は秀吉の奥さんであるねねが夫の浮気に悩んでいることを知ります。

すると彼はねねへ手紙を送って励ましているのです。

あの苛烈で第六天魔王と恐れられていた織田信長が、

部下の奥さんに手紙を送っているなんて信じられますか。

しかしこれは本当のことなのです。

信長は秀吉の奥さん・ねねへ「こないだ久しぶりにあなたに会ったが以前にもまして、

綺麗になっているではないか。

ハゲねずみ(秀吉のこと)があなたの不満を色々と言っているそうですが、

言語道断であるあなた以上の奥さんをハゲねずみが嫁にもらうことなどないのだから、

堂々としていればいいのです。

この手紙を秀吉にも見せてやりなさい」と思いやりが溢れる手紙を送っているのです。

他にも信長は色々と優しい一面を持っております。

 

反抗した武将を許す

 

信長は尾張統一戦の時、弟・信勝(のぶかつ)へ味方した武将がおりました。

代表的な人物を挙げると柴田勝家(しばたかついえ)や林秀貞(はやしひでさだ)などです。

彼らは信勝へ味方して信長に反旗を翻し信長軍と一戦交えることになるのですが、

この合戦は信勝軍が信長軍に敗北してしまいます。

その後信勝は信長に殺害されてしまいますが、

信勝に味方した柴田勝家や林秀貞らを咎めることなく許して起用しております。

(林秀貞はその後信長にいちゃもんをつけられて追放されてしまいますが・・・・。)

信長の優しい一面と言えるのではないのでしょうか。

 

障害者にも優しい信長

 

他にも信長の慈悲深い一面を表すエピソードがあります。

彼は「山中の猿」と言われる障害を持った農民が住んでいる農村へ赴いて、

農村へ木綿をいっぱい与えて「この猿(へ小屋を作ってあげて。

また少しでもいいから猿が飢えて亡くならないようにこめなどを与えてくれな」と

言っており信長の慈悲深い一面を垣間見ることができます。

(信長公記(しんちょうこうき)にこのエピソードは記載されており、

気になる方はご覧いただきたいと思います。)

このように意外と優しい一面を持っていた信長ですが苛烈なことを行いすぎて、

優しい一面が隠れてしまうのです。

信長の苛烈な一面とは一体どのような一面なのでしょうか。

 

女房衆惨殺事件

 

信長は女房衆(にょうぼうしゅう)を惨殺する事件を行ってしまいます。

彼はどうして彼女らを殺害してしまったのでしょうか。

彼女たちは安土城で過ごしていたのですが退屈な毎日に飽き飽きしていたのでしょうか、

信長が安土城を留守にしている隙を見計らって外へ遊びに行ったそうです。

信長は彼女らが遊びに行ったことを知ると激怒。

彼は彼女らが滞在していた桑実寺(くわのみてら)へ兵士達を急行させて、

彼女たちを惨殺してしまいます。

また桑実寺の住職も彼女たちを匿った理由で惨殺されてしまいます。

とんでもない理由で彼女たちを殺害してしまう信長でした。

しかし彼の苛烈な一面はまだまだあります。

 

悪口を吹き込んだとの理由で殺害

 

信長は竹内季治(たけのうちすえはる)という人物を殺してしまいます。

彼が信長に殺害された理由は一体何なのでしょうか。

その原因は彼が将軍・足利義昭(あしかがよしあき)に、

自分(信長)の悪口を吹き込んだとの理由でした。

ついでにこの竹内という人物ですが、

信長の配下の武将でなくて久我(こが)家という公家の家宰をしている人物でした。

信長は自分の悪口をいった人物が他家の人物であろうと容赦なく厳罰を持って臨む

苛烈な人物でした。

 

執念深い性格

 

上記では信長の苛烈な一面をお見せしました。

今回は信長の執念深い一面を表したエピソードを最後にご紹介していきたいとおもいます。

信長は秀吉を毛利家攻略のための司令官に任命し、

中国地方攻略を彼に任せることにします。

秀吉は播磨攻略作戦を展開している最中、

備前(びぜん)の宇喜多家を調略にして織田家の味方することに成功。

宇喜多家は織田家の味方となると

毛利家が陥落させた美作(みまさか)の城を奪い取るために出陣します。

しかし宇喜多家は毛利家の逆襲にあってしまい、

毛利家が所有する忍山(しのぶやま)城が奪われてしまいます。

信長はこの時宇喜多家へ何も言うことはありませんでしたが、

一年後信長は秀吉の部下である蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)へ手紙を送った際、

「宇喜多家がしっかりとしていないから忍山城が陥落したんだ。

やつらの覚悟が足りないんじゃない。しゃきっとさせなさいよ」と

文句を連ねた手紙を送っております。

また信長は部下である佐久間信盛(さくまのぶもり)や林秀貞を追放する際、

数十年も前のことを追放理由に挙げており、

彼がどれだけ執念深い人物であったかがうかがい知れると思います。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

上記で信長の性格をいくつかご紹介しました。

彼は優しい一面や慈悲深い一面も持ち合わせている武将ですが、

反面執念深く、苛烈・さらに猜疑心の強い性格を持ち合わせている武将でした。

これらを総合すると信長はどういった性格のなのか。

信長は「気まぐれな性格」と言っていいのではないのでしょうか。

彼は自らの気まぐれな性格のせいで松永久秀(まつながひさひで)、

荒木村重(あらきむらしげ)、別所長治(べっしょながはる)などの武将が、

信長の気まぐれな性格(猜疑心等の悪い性格)が、

自分に害を及ぼす可能性があるのではないかと勘ぐって、

信長に反乱を起こしてしまうのです。

また信長の猜疑心の強さによって彼を信用することのできなかった

エピソードをご紹介しましょう。

織田家と上杉家の境であった北陸地方の越中(えっちゅう)の国人衆・

能登(のと)国人衆らは信長に降伏。

しかし彼らは勢力が強大であった織田家を裏切って上杉家に味方してしまいます。

その原因は能登の国人衆であった遊佐続光(ゆさつぐみつ)らが、

殺害されたことが越中・能登国人衆が信長を裏切ることになった一因となっています。

彼このような信長の仕打ちを見てしまった越中・能登の国人衆は、

信長を信用することができなくなってしまい上杉家へ寝返ってしまうのでした。

戦国の覇者として君臨していた信長ですが、

かなり気まぐれな性格であったことがお分かり頂けたと思います。

しかし残虐なイメージばかりではなくちゃんと優しい一面を持っている点を含めて、

非常に気まぐれな性格を持った戦国大名でした。

 

参考文献 中公新書 信長と消えた家臣たち 谷口克広著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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