袁渙の「政治力」がスゴイ!はちみつおじさん袁術と虎の如き強さを持った呂布を大人しくさせた政治とは?

2017年6月14日


 

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はちみつおじさん袁術(えんじゅつ)に正論を放っても疎まれず信頼され、

虎の如き強さを持っていた呂布の脅しに屈しなかった袁渙(えんかん)

三国志を知っている人でもほとんど聞いたことのない魏の文官ですが、

政治家として非常に優秀な人物だった袁渙ですが、

どれくらい優秀な人物だったのでしょうか。

今回は袁渙がどのような政治を民衆達へ施していたのかをご紹介します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操に仕える

 

袁渙ははちみつおじさん袁術の元で仕官しておりましたが、

呂布軍にとっつかまってしまいます。

そして呂布に強制的に仕えることになるのですが、呂布が曹操軍に敗北して処断されると

陳羣(ちんぐん)張遼(ちょうりょう)らと一緒に曹操に仕えることになります。

呂布が敗北した時に陳羣らは平伏して曹操を迎えたそうですが、

袁渙は敗北者として曹操を迎えずに対等の礼をして彼を迎えたそうです。

 

屯田を嫌って逃亡する民衆の意向を汲んだ進言

 

曹操は軍の兵糧を確保するために自らの領地で頻繁に屯田(とんでん)を開始。

屯田を行う為に民衆を募集するのですが、

屯田を嫌った民衆は募集に応募することなく逃亡していったそうです。

この状況を聞いた袁渙は曹操へ「民衆は元から住んでいた場所から離れたくないものです。

そのため強制的に移住させられることを非常に嫌い、

この性質を直すことはすぐにできないでしょう。

そこで殿には民衆の意向を汲んで、

屯田に参加したい民衆だけを取り入れて参加したくない民衆には、

屯田を強制的に参加させないようにお願いしたいと思います。」と進言。

曹操は袁渙の進言に納得してすぐにこの進言を採用することにします。

この結果民衆達は曹操の布令に大いに喜んだそうです。

 

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民衆の教化を第一に

 

袁渙は曹操から梁国(りょうこく)の相へ任命されることになります。

彼は梁国へ赴くと彼が統治することになる各県へ「旦那を亡くした妻、

妻を亡くした旦那、高齢者を慰め、孝子・貞婦を称えよ。

今天下は各地で群雄が争っている状況のため、

我らが礼を用いて民衆達を教化(人を教えていい方向へ導くこと)することは非常に難しい。

しかしわれらがおこなえば民衆もしっかりと応えてくれるはずだ。」と布告。

この布告を第一義にして各県を治めさせた結果、

領内は非常に治安が良くなり住みやすい都市へ変貌することになります。

その後彼は梁国の相を病によって辞任することになるのですが、

彼が梁国から去る時に民衆は大いに悲しんだそうです。

 

恩義に厚い

 

上記は袁渙がどのような政治を持って統治してきたのかをご紹介しました。

そんな彼ですが、恩義に厚い人物であったことをご紹介して終わりにしたいと思います。

袁渙は梁国の相を病が原因で辞任した後、中央で活躍することになります。

そんな中、劉備が白帝城(はくていじょう)で病にかかって亡くなったことを知ります。

魏の群臣達は劉備死すの情報を知ると大いに喜び合っていたそうですが、

彼は群臣達と一緒に喜び合うことをしませんでした。

その理由は劉備に一度仕えた事があったからだそうで、

敵国の君主が亡くなって群臣達が皆喜んでいる最中、

一人沈黙を守っていればどんな噂を流されるかわかったものではありません。

下手をすれば謀反人扱いにされるかもしれません。

しかし彼は劉備に一度使えたことがあるという理由だけで、

喜ばず哀悼の意を持っていたのかわかりませんが、

沈黙していたのは劉備に相当の恩があったからではないかと推察する今日このごろです。

 

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三国志ライター黒田レンの独り言

 

三国志を知っている人でもほとんどその名を聞いたことがない人物・袁渙

袁術・呂布劉備・曹操から高評価を得ていた人物であり、

政治に関しても民衆の事を思って統治していたにも関わらず有名じゃないのは

なんだがかわいそうな気がするんでするのはレンだけでしょうか。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書2 今鷹真・井波律子著

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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