アゴと信長にあだ名を付けられた柴田勝家の秀吉包囲網がスッゲー

2017年6月21日


 

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柴田勝家。

彼は戦国時代のマンガで一番わかりやすく、

人気が出ているセンゴクのマンガの中でアゴとあだ名されている人物です。

羽柴秀吉は明智光秀を討伐した後、

織田家の宿老衆である柴田勝家(しばたかついえ)の招集を受けて、

清洲(きよす)城で今後の織田家の事を話し合うための会議に参加。

清洲で行われた会議では織田信長の後継者と

織田家の空白地となっている領土問題について話し合われることになります。

秀吉と勝家は信長の後継者については意見が一致しておりすぐに決定することに。

織田家家臣の宿老衆達も秀吉と勝家が提示した信長の後継者に

異存はありませんでした。

信長の後継者問題が解決すると次に織田信長死後に空白地帯となった

織田家の領土問題についての話し合いが行われることになります。

この領土問題については秀吉が主導権を握って宿老達へ領土を加増していくことになり、

勝家にも秀吉の提案した領土分配について問題はありませんでした。

こうして清洲会議は何事もなく終了することになるのですが、

会議終了後、あることがきっかけで秀吉と対立することになり、

勝家は秀吉を打倒するために秀吉包囲網を形成するのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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秀吉と勝家の対立原因はこれだ!!

 

秀吉と勝家は清洲会議終了後は別段対立する姿勢を見せることなく平和に会議を終えて、

両者は自らの領土へ帰還することになります。

しかし4ヶ月後、両者は対立する関係となってしまうのです。

清洲会議から4ヶ月後に一体何があったのでしょうか。

それは信長の葬儀が秀吉主催の元で開催されたことです。

秀吉は自らに協力的な堀秀政(ほりひでまさ)や蒲生氏郷(がもううじさと)、

など多くの武将達を参加させて開催することになります。

秀吉は勝家と伊勢の滝川一益(たきがわかずまさ)、織田信孝(おだのぶたか)、

織田信雄(おだのぶかつ)へ「信長の葬儀に参加してくれないですか」と要請。

だが彼は秀吉の要請に応えることはありませんでした。

そしてここから勝家と秀吉の対立が始まっていくことになるのです。

なぜ信長の葬儀を秀吉が行っただけなのに、

勝家は秀吉と対立することになるのでしょうか。

それは秀吉が信長の葬儀を自らの主導のもとで行うことで、

「俺が信長様の後継者じゃ」とアピールしたからと言えるのではないのでしょうか。

秀吉が行った信長の葬儀の喪主は形の上では信長から養子としてもらった秀勝ですが、

誰も秀勝を葬儀の喪主と見ることなく、

羽柴秀吉が信長の葬儀の喪主と見ていることは明らかでした。

さらに勝家は信長の妹・お市の方を嫁に貰い織田家の一門衆となっていたこともあり、

勝家が信長の葬儀を行うことができたなかったという点も秀吉と対立することになった

原因の要因として捉えることができるのではないのでしょうか。

この信長の葬儀以降、

秀吉と勝家の対立は抜き差しならないところにまで発展することになってしまいます。

 

秀吉の謀略

 

秀吉は勝家と対立することを予測しており、

自分が有利になるために次々と手を打っていきます。

秀吉は柴田勝家の養子で長浜城主となっていた柴田勝豊(しばたかつとよ)を

篭絡するために調略を開始。

勝豊は勝家の従兄弟で重臣となっている佐久間盛政(さくまもりまさ)と上手くいっておりませんでした。

さらに勝豊は盛政よりも武功を挙げておらず、

彼が勝家の後継となるのではないかと不安に駆られており、

盛政を優遇している勝家にも不満を持っておりました。

そんな中、秀吉の調略の手が彼に伸びてきます。

勝豊は秀吉の調略に応じて、彼が長浜城へ大軍を持って進出してきた時、

抵抗らしい抵抗をすることなく降伏してしまいます。

秀吉は勝豊が激しい抵抗をしなかったおかげで、

自らの旧領を短期間で奪取することができました。

ここでひとつの疑問が浮かびませんか。

なぜ勝家は一門衆であった勝豊が秀吉軍の攻撃にさらされようとしていた時に、

軍勢を率いて救援しなかったのでしょうか。

勝豊が使えない人材だから見捨てようと決断したのでしょうか。

それとも長浜城を救出することのできない重要な理由があったのでしょうか。

一体どっちか気になりませんか。

 

勝家が勝豊を救出しなかった理由とは

 

勝家が秀吉軍に攻撃を仕掛けられた時、

なぜ救出するための軍勢を出陣させなかったのか。

その原因は勝家の本拠地である越前(えちぜん)に原因がありました。

勝豊が使えないから見捨てたわけではありません。

勝家が本拠地としてた越前は冬になると積雪量が半端ではなく、

越前から北近江へ向かう際に使う峠道は雪に閉ざされてしまいます。

そのため勝家は雪が降っている間は中々軍勢を出陣させることができず、

一門衆であった勝豊の居城である長浜城へ攻撃を仕掛けられた時に

救援軍を出陣させることができなかったのです。

 

勝家は秀吉と対立した時に何もしなかったのか??

 

秀吉は勝家と対立する可能性がある未来を考えながら次々と策を巡らせていきますが、

勝家は秀吉と対立する未来を想定しないで何もしなかったのでしょうか。

そんなことはありません。

勝家は勝家なりに色々と秀吉を打倒するための策略を巡らせておりました。

 

勝家が対秀吉にたいして行った秀吉包囲網とは

 

勝家も秀吉と対立することになるであろうと考えていたため、

外交で秀吉に圧力をかけるために画策。

彼は織田信孝、滝川一益へ「秀吉に好き放題されたままでは、

織田家は乗っ取られてしまう。協力して秀吉に対抗しようではないか」と手紙を出します。

信孝は叔母であるお市の方が勝家に嫁いでいることから彼の要請に応じ、

滝川一益も勝家に協力することに応じます。

勝家は彼ら二人が協力してくれることを快諾してくれると毛利家にも使者を出します。

もし毛利家が勝家の要請に応えて出陣させることになれば、

(もしくは秀吉の領内にプレッシャーをかければ)

秀吉はかなり苦しい立場に追い込まれます。

(結果ですが、毛利家が勝家の要請に応じて出陣することはなかったですが・・・・)

こうして勝家は秀吉包囲網を形成していき秀吉に対抗していくことになるのです。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

柴田勝家は武骨者で調略などに向いていないイメージが強いように思われますが、

意外と彼も秀吉に勝つために、

色々な調略を仕掛けていたことがお分かりいただけたと思います。

こうして織田家筆頭家老として長年活躍していた柴田勝家ことアゴさん。

信長に謀反を起こした明智光秀を討伐し、

織田家を取り仕切っていくことになりつつある羽柴秀吉。

両者は対立することになり、ついに激突することになります。

秀吉は勝家と直接的な戦いになる前に一つ勝家陣営に大きな釘をぶち込んでいます。

それは勝家の重臣として長年働いていた前田利家(まえだとしいえ)に対してです。

秀吉は彼を味方に引き入れるため調略を施していたことでした。

秀吉と利家は信長時代両者の家が近かったこともあり仲良くしており、

奥さん同士(ねねとお松)も非常に仲が良かったそうです。

そのため友情と言えるものが両者に芽生えておりました。

秀吉は利家との友情をつてに彼が自らの陣営に味方してくれるようにお願いします。

利家は秀吉からの手紙に困惑。

長年付き合ってきた秀吉を取ればいいのか。

それとも長年上司として仰いできていた柴田勝家に付き従っていくのがいいのか。

この利家の迷いは勝家と秀吉が直接対決することになった時にまで、

続くことになります。

そして勝家と秀吉は決戦へ向かっていくことになるのです。

いったいどちらが勝つことになるのでしょうか。

そしてこの戦いに勝利したほうが信長亡き後の織田家の実質的な支配者となるのです。

 

参考文献 吉川弘文館 秀吉の天下統一戦争 小山田哲男著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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