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執筆者:黒田廉

【織田信長が明智光秀に殺害される】謎に包まれた本能寺の変:黒幕は誰だ?

織田信長




 

「敵は本能寺にあり!!」。

明智光秀が本能寺に宿泊していた織田信長を襲撃する際に使用した言葉です。

未だに謎とされている明智光秀による織田信長殺害した事件である本能寺の変。

織田信長が生誕して今年で450年が経過した現在でも

未だに決定的なことはわかりません。

しかし最新の研究で少しづつですが本能寺の変にまつわる謎についてのベールが、

脱がされつつあります。

明智光秀(あけちみつひで)はどうして織田信長を殺害することにしたのか??

本能寺の変を最新の研究結果を交えて、四つのテーマからご紹介。

秀吉も家康などの天下人として信長の跡を継いだ二人もびっくりするでしょう。

 

センゴクを100倍楽しむ全記事一覧はこちら

関連記事:【センゴク】明智光秀へ「ありがとう」と感謝しなくてはならない大名達を紹介




光秀の謀反理由を絞る

 

本能寺の変の詳細はレンが書いた下記の記事をご覧下さい。

 

戦国時代最大のミステリー・本能寺の変の謎に迫る!!

 

明智光秀が織田信長に反旗を翻した理由として昔から色々な黒幕説が流れております。

今回はこの色々な説の中から、「朝廷黒幕説」、「足利義昭黒幕説」、

「秀吉・家康黒幕説」、「光秀単独犯・怨恨説」に的を絞り、

本能寺の変の黒幕として成立するのかご紹介していきたいと思います。




本能寺の変の真犯人その1:朝廷黒幕説

 

明智光秀が織田信長に謀反を起こした原因の一つとして、

信長と朝廷が対立していたことが挙げられ、

このことを根拠にして朝廷は明智光秀を利用して信長を殺害させた朝廷陰謀説。

しかしどうして信長と朝廷が対立することになったのでしょうか。

朝廷と信長が対立した問題として暦改訂・改元・天皇譲位などがあり、

信長が強引に朝廷へ迫ったことが根拠とされています。

しかし本当に織田信長は上記の問題を朝廷へ強引に迫ったのでしょうか。

まずは暦制定問題から見てみましょう。

 

朝廷と信長の対立問題を探るその1:暦改訂問題

 

現在では世界の全ての地域でグレゴリオ暦を使用しており、

当然日本もグレゴリオ暦を用いている為全国どこでも同じ日と時間で統一されております。

しかし戦国時代は地域によって暦がバラバラでした。

そこで織田信長は自らの出身地である尾張(おわり)地方で使われていた

三島(みしま)暦を全国で使っていこうと朝廷に提案。

三島暦を提案した理由は信長が慣れ親しんだ暦を全国統一で使わせることで、

時間を支配する事が目的でした。

しかし最新の研究では違った解釈がなされているのです。

 

朝廷へ暦改訂を提案したのは日食が原因!?

 

朝廷は信長から三島暦使用の提案を受け、

従来通り宣命(せんみょう)暦を使い続けるか、

それとも信長が提案した三島暦を使用していくのか検討することに。

朝廷は十分に検討をした結果信長が提案した三島暦を却下。

信長は朝廷からそのことを伝えられると反論せず朝廷の意向に従います。

しかし本能寺の変が起きる前日に信長は再度朝廷へ「三島暦にしようよ}と提案。

どうして信長は再度三島暦を提案したのでしょうか。

やはり時間を支配したいと思い直したのでしょうか。

その理由は…。

織田信長が宣命暦では日食を観測することができなかったからです。

え!?合理主義者の織田信長が日食を気にしていたって意外に感じるかもしれません。

なぜ信長は日食を気にしていたのでしょうか。

 

暦改訂の目的は日食から天皇を守るために!?

 

合理主義の権化と言われている織田信長がどうして日食を気にしていたのか。

その理由は天皇を守るためでした。

戦国時代は日食=不吉な光を発すると言われており、

ほとんどの人がこの迷信を信じておりました。

朝廷もこの迷信を信じて日食が発生した際天皇に不吉な光を浴びさせないため、

天皇を御所の中に入れて不吉な光が入ってこないよう防御していたそうです。

信長が再度三島暦を提案したのは本能寺の変前日。

この日信長は日食を観測し、

宣命暦では日食の観測を正確に把握することができませんでした。

しかし尾張地方で使用していた三島暦では日食を観測することができ、

日食の発生が分かれば不吉な光から天皇を守ることができます。

このことから信長は天皇を守るために暦の改訂を提案したのではと

最新の歴史考察で言われ上記の事柄を考慮すると暦改訂は信長の私欲ではなく、

天皇を守ることを第一位に考えたと言えます。

そして天皇を守ろうとしていた信長が朝廷と対立していたと考えられるのでしょうか。

 

信長と朝廷の対立問題を探るその2:改元問題

 

次に信長と朝廷の対立問題とした改元問題について探ってみましょう。

現在の日本は平成の年号を使用しておりますがその前は昭和を使っておりました。

昭和の年号が廃止されたのは凶事が発生しその影響を断ち切るためだそうです。

戦国時代も改元しており朝廷は、

信長と足利幕府の将軍・足利義昭(あしかがよしあき)へ改元を行うように命令。

この時朝廷が改元命令を出した理由は全国で戦が起きている事や

飢饉などの天災などを改元することでこれらの凶事を断ち切ろうと考えてからです。

信長は朝廷の命令に賛成し義昭へ「改元しようよ」と提案。

だが足利義昭は信長の提案を受けておりながら、

朝廷の命令を実行せず時だけが過ぎていきます。

織田信長は怒りやすい性格でしたが義昭が改元を行うまで辛抱強く待ちますが、

義昭が半年過ぎても改元に踏み切らなかった為ブチギレて義昭を追放。

(他にも義昭追放の理由はありますが、ここでは割愛させていただきます。)

信長は義昭を追放後朝廷へ「改元を行いたいと思っています」と提案。

朝廷側は信長の提案を受け入れ改元を執り行う準備に取り掛かり、

朝廷から許可を得た信長は将軍の代わりに「元亀(げんき)」から「天正」へ改元を行います。

ついでに「天正」の意味は春秋戦国時代に編纂された老子と文選の言葉一文である

「清静なるは天下の正となる」から、

引用されており古代中国と戦国時代の日本の関係を伺うことができますね。

またこの年号に引用されている言葉は、

織田信長が目指していた「天下静謐(てんかせいひつ)」と合致。

この「天下静謐」の願いは信長だけの目標ではなく、

当時の天皇であった正親町天皇(おおぎまちてんのう)も持っており、

二人の願いが込められた年号となっているのです。

「天正」の年号から分る通り天皇と同じ思いを思っていた信長が、

改元問題で朝廷と対立していたとは考え難いと言えるでしょう。

 

信長と朝廷の対立問題を探るその3:天皇譲位問題

 

昨今今上天皇が生前に位を譲る問題でもちきりとなっており、

ついに再来年には今上天皇退位が決定しました。

戦国時代では生前に天皇の位を譲るのは宿願でした。

その理由は天皇が中世において位を皇太子に譲った後、

政務を取り仕切る「治天の君」と言われる院政政治が行われていました。

しかし後土御門天皇が父から天皇の位を譲られてから100年間譲位されず、

院政政治も実現しませんでした。

そんな時織田信長は正親町天皇へ「皇太子に天皇の位を譲位するのはどうですか」と

提案します。

正親町天皇は大喜びで信長の提案を快諾。

こうして天皇譲位が100年ぶりに行われ院政政治が復活するかもしれないと

期待していた天皇ですが突然天皇譲位の話はなくなってしまうのです。

どうして天皇譲位の話はなくなってしまったのか。

それは周辺諸国が一斉に織田家へ攻撃をしてきた為です。

信長は周辺諸国との戦いに没頭することになってしまい、

天皇譲位を行う儀式に関与する暇がなくなった為譲位の話が消えてしまうのです。

もし諸勢力が織田家に攻撃を仕掛けてこなければ正親町天皇は信長の提案に乗って、

皇太子に天皇の位を譲っていたはずです。

朝廷側は信長の提案した天皇譲位に喜んでおり、

天皇・朝廷側と織田信長の間で対立していた可能性は低いと言えます。

 

光秀をそそのかした朝廷黒幕説は成立しにくい

 

上記で信長と朝廷の問題についてご紹介しました。

これらを見ると信長は朝廷に尊崇の念をもって、

保護しようと考えていたフシが有り、

信長に良くしてもらっていた朝廷が光秀へ「信長殺してよ」と

提案する可能性は限りなく低く、

今まで唱えられてきた朝廷黒幕説は成立しないといえるでしょう。

 

本能寺の変の真犯人その2:足利義昭黒幕説

 

明智光秀は織田信長に仕える前、将軍・足利義昭に仕えておりました。

その後信長に擁立されて義昭が京へ帰還することになった際、

光秀は信長の家臣団へ。

その後光秀と義昭の関係は次第に薄まっていき、

信長が義昭を追放した頃にはほとんど関係のない他人に近い状態でした。

しかし以前の君主と部下であった足利義昭と明智光秀の関係性から、

義昭が憎き敵・織田信長殺害を光秀に命じたと

「足利義昭黒幕説」が有力視されてきました。

しかし最新の研究ではこの義昭黒幕説が成立しない事が判明。

義昭黒幕説が成立しない理由とは一体何なのでしょうか。

 

足利義昭陰謀説が成立しない理由とは…

 

足利義昭は織田信長に京都を追放された後中国地方の覇者・毛利家に身を寄せ、

鞆(とも)と言われる場所に住まいを与えられ、

幕府開いた義昭は信長に敵対する勢力へ手紙を送っておりました。

しかし義昭の手紙が信長と敵対する勢力へ届いても、

義昭の手紙を見て信長に軍事的行動を起こす群雄も少なく、

信長に敵対する勢力もほとんどいない状態だった事から

手紙を送る意味をなくしてしまいます。

もし仮に織田家の軍団長も任せられるほどの信頼を信長から得ていた明智光秀へ

「信長を倒して欲しい」と義昭が手紙を送ったとしても、

光秀が義昭の手紙を信じて行動を起こすのでしょうか。

これが義昭黒幕説が成立しにくい理由です。

もう一つ義昭黒幕説が成立しない理由があります。

それは毛利家が秀吉に攻撃をしていないことです。

本能寺の変が勃発した際毛利家は羽柴秀吉と敵対しておりましたが、

秀吉とかなり不利な条件で和睦。

義昭が本能寺の変を画策した黒幕ならば毛利家へ

「信長死ぬから秀吉と和睦しないで倒しなさい」や

「光秀が信長を殺したあと光秀の味方してね」位の進言をしたはずです。

だが義昭は一切毛利家に対して提案や進言をしている痕跡がありません。

そのため足利義昭が本能寺の変の黒幕の可能性は限りなく低いと言えるでしょう。

 

本能寺の変の黒幕その3:秀吉・家康黒幕説

 

足利義昭以外にも黒幕説が多く存在し、

一番有名なのは光秀と出世争いをしていた羽柴秀吉と

織田信長の盟友・徳川家康黒幕説でしょう。

羽柴秀吉が黒幕である理由として「中国大返し」が挙げられます。

「中国大返し」は毛利家と敵対していた秀吉が和睦後すぐに退却した作戦です。

たった数日で高松から姫路まで退却ができるはずながない。

事前に秀吉が本能寺の変の黒幕だったからできた作戦だろうというのが主な根拠です。

しかし秀吉は本能寺の変後光秀討伐プランを考え、

高松城から姫路城までの退却進路も事前に準備していた為、

あのような速さで姫路まで退却することができたのです。

そのため秀吉が「中国大返し」を理由に本能寺の変の黒幕であるとするのは、

無理があります。

また秀吉が信長を殺して得るものは「天下」ですが今まで築いてきた地位を失う賭けをして、

信長を殺害する必要があったのか疑わしいと思いませんか。

家康黒幕説も秀吉と同じように無理があります。

家康は堺で遊んでおりましたが、

本能寺の変が勃発したことを知ると伊賀を命からがら超え本拠地・三河へ帰還。

もし家康が明智光秀と共同して信長殺害に関与していれば、

どうして苦労をして三河へ帰還したのでしょうか。

そして三河へ帰還した家康が盟友である光秀になぜ援軍を送らなかったのか。

これらを考えると家康黒幕説も成立しないと言えるでしょう。

 

本能寺の変を黒幕ではなく…理由から考える

 

どの説も最新の研究で本能寺の変の黒幕としての説得力に欠けています。

そこで黒幕説一度離れ光秀が本能寺で信長を殺害した理由についてみてみましょう。

 

光秀が本能寺の変を起こした理由はハゲって言われて叩かれたから!?

 

明智光秀は織田家へ士官し始めの頃織田家の法律を破ってしまい、

織田信長から「ハゲ!!織田家の法律を破るとはいい度胸してるな」と

怒鳴られ頭を叩かれたことがありました。

この時光秀は髪の毛が薄くかつらをつけておりましたが、

信長に叩かれた事でかつらが取れ、

その席に同席していた武将達に見られて恥ずかしい思いをしたそうです。

また信長は武田討伐後光秀へ家康の接待係を命令しますが、

信長にキレられてしまい(光秀の接待での失敗は記述にないため、

違う理由でキレられた可能性が高い)足で蹴られたそうです。

このように信長から日常的に暴力を振るわれていた

光秀が信長に怒りや恨みを持っていたと感じていてもおかしくないでしょう。

更に本能寺の変直前にも暴力を振るわれており、

明智光秀が自らの本拠地で謀反するのではなく、

どこからか本能寺で信長が少数の兵で宿泊している情報を知って、

奇襲作戦的な行動で信長に攻撃を仕掛けていることから、

光秀が単独で行動を起こしたとされております。

更に明智光秀が単独で行った証左が最新の研究によって少しづつ明らかになっています。

 

光秀単独説の証左とは一体!?

 

明智光秀が単独で信長殺害をした証左はいくつかあります。

まず一つ目に本能寺の変後光秀に協力した群雄や織田家の同僚がいない事です。

もし光秀が誰か(黒幕)と結託して信長を殺害したのであれば、

誰かが協力してくれたはずですが、

織田家の同僚や周囲の群雄達は誰も協力してくれませんでした。

二つ目は光秀が親友・細川藤孝(ほそかわふじたか)へ送った手紙の一文が挙げられます。

光秀は本能寺で信長を殺害した後藤孝を仲間に入れるため手紙を送ります。

この手紙の中で光秀は

「私が不慮の儀を行ったのは藤孝の息子である忠興を取り立てるためである。

100日後には近隣諸国を平定して、

天下の政治を息子・光慶と君の息子・忠興に任せたいと思っている」と綴っていました。

藤孝宛の手紙で「不慮の儀」という言葉が光秀単独説のキーポイントとなります。

不慮の儀は無計画で突発的、偶発的を指す言葉で最新の研究結果では、

この言葉こそ光秀単独説の証左として挙げられています。

そして三つ目はレンの考えですが、

藤孝宛の手紙に信長を殺害後の政権構想の話が全く記されていない事です。

明智光秀が計画性を持って信長を殺害したのであれば、

信長死後の政権運営の方法を藤孝に知らせるはずなのに、

政権構想について何も記していないのは光秀が無計画かつ偶発・突発的に

信長を殺害したからではないでしょうか。

以上の理由から明智光秀が単独で織田信長を殺害した可能性が高いと言えるでしょう。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

今まで本能寺の変の黒幕として朝廷や秀吉、

家康、義昭などの黒幕に光秀が操られて信長を殺害した黒幕説が、

唱えられてきました。

しかし最新の研究結果で黒幕説の根拠が崩れていき、

光秀が単独で本能寺の変を起こした可能性が高くなっています。

本能寺の全貌が明らかになったわけではありませんが、

光秀単独説が最新の研究結果で有力説となっております。

皆様はどのように思いますか。

 

参考文献 河出ブックス 信長政権 渡邉大門著など

 

センゴクを100倍楽しむ全記事一覧はこちら

関連記事:山崎の戦いってどんな戦いだったの?明智光秀VS羽柴秀吉が激突した戦

関連記事:【センゴク】信長の仇討ちで秀吉についたのは、神戸、丹羽、掘、蒲生 いずれも名将で明智オワコンに・・

 




黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

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