【センゴク】明智光秀へ「ありがとう」と感謝しなくてはならない大名達を紹介

2017年6月18日


 

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戦国時代最大の勢力を持っていた織田信長。

彼は天下を平穏とするため(自らを中心とした天下を平穏とするため)に自らに敵対して、

天下を乱す勢力を討伐していくことを使命に次々と各地の大名家を滅ぼしていきます。

その結果、彼は戦国時代最大の勢力を形成していくことに成功。

しかし各地には彼に敵対行動を取る戦国大名達がおりました。

信長は自らに敵対する勢力を討伐するためにいくつかの軍団を設置することにします。

まず北陸地方に割拠し、

戦国最大と言われた騎馬軍団を有している上杉家を討伐するため、

柴田勝家(しばたかついえ)を中心とした軍団を設立。

次に信長は中国地方の覇者となっていた毛利家を討伐するため、

羽柴秀吉に中国地方の司令官を任命し、毛利家討伐を任せることにします。

そして四国統一に動き始めていた長宗我部(ちょうそかべ)家を討伐するため、

息子である織田信孝(おだのぶたか)を軍団長に任命し、

彼を支える副将として丹羽長秀(にわながひで)を付けて四国討伐軍と編成しておりました。

信長はこうした軍団をいくつか設立して、

天下の平穏を脅かす勢力の討伐を行っておりましたが、

本能寺(ほんのうじ)で明智光秀に討たれたことによって作戦は中止されることになり、

光秀が信長を討ったたことによって助かった大名達をご紹介していきたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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光秀に助けられた大名家その1:毛利家

 

中国方面司令官として毛利家討伐を任された羽柴秀吉。

彼は毛利家の同盟関係にあった播磨(はりま)の別所(べっしょ)氏討伐を行い

播磨を平定することに成功します。

その後但馬(たじま)、因幡(いなば)の平定を完了すると

毛利家の本拠・備中(びっちゅう)へむけて侵攻を開始します。

秀吉は毛利家の備中における拠点である高松(たかまつ)城を水攻めで水没させると

毛利家へ和睦交渉を行わせると同時に織田信長の援軍を求め、

和戦両様の構えをとって毛利家に対応しておりました。

しかし本能寺で明智光秀が織田信長に対して謀反を起こし、

信長が討ち取られてしまう大事件が勃発

秀吉はこのニュースを聞くとすぐに光秀討伐へ向かうために毛利家と和睦を行い、

京都方面へ撤退していくことになります。

もしこの時光秀が信長に謀反を起こさなければ、どうなっていたのでしょうか。

レンの予想ですが多分毛利家は滅亡していたと考えられます。

秀吉と毛利家の和睦交渉は本能寺の変が起きるまでなかなかまとまりませんでした。

そんな中織田信長が羽柴秀吉の元へ援軍としてやってきてしまえば、

和睦の話は立ち消えてしまい高松城は陥落。

その後信長を中心として毛利家へ猛攻をかけて滅亡させてしまうのではないのでしょうか。

証左とて信長は天下静謐を行うことを使命としており、

天下を穏やかに治めることを乱す者には討伐を持って接しているからです。

唯一信長に降伏した例としては本願寺(ほんがんじ)がありました。

しかし信長が毛利家と和睦をしようと考えているとは到底レンには思えません。

そのため毛利家は信長が生存していれば滅亡してしまう可能性が、

かなり高かったのではないのでしょうか。

このように考えると明智光秀に助けられた大名と言えるのではないのでしょうか。

 

光秀に助けられた大名家その2:上杉家

 

中国地方の覇者毛利家は光秀が信長を討ったおかげで、

助かることの出来た大名家と言っていいでしょう。

他には光秀のおかげで助かった大名家はいたのでしょうか。

もちろんいます。

それは柴田勝家率いる北陸方面軍と敵対していた上杉家です。

上杉家は毛利家より厳しい立場に追いやられておりました。

上杉家は上杉謙信(うえすぎけんしん)が亡くなると

北条家から人質としてやってきていた上杉景虎(うえすぎかげとら)と

上杉景勝(うえすぎかげかつ)が謙信の後継者に名乗りをあげたことによって、

謙信の後継者争いが勃発。

この戦いは景勝が辛うじて勝利を得ることができたのですが、

この乱の後恩賞が少なかったことに激怒した新発田重家(しばたしげいえ)が、

信長の誘いに応じて反乱を起こします。

さらに上杉家の領土であった越中(えっちゅう)最大の拠点である魚津(うおづ)城を

制圧した柴田勝家率いる北陸方面軍が上杉家の本拠地である越後(えちご)へ

向けて進軍を開始しておりました。

景勝は北関東の戦国大名である佐竹義重(さたけよししげ)に

織田軍に玉砕覚悟の決戦を挑もうとしていた手紙を送っており、

上杉家が滅亡する寸前に追い込まれていたことが伺えます。

しかし光秀が信長を討ったおかげで上杉家は滅亡する危機を脱することに成功します。

もし光秀が謀反を起こしていなかった間違えなく上杉家は滅亡していたと言えるのでしょう。

同盟国であった武田家は織田軍によって滅亡しており、

同盟者であった北条家は上杉家の後継者で景勝の敵であった景虎に

援軍を贈る準備をしており越後へ侵入しようとしておりました。

そのため上杉家に手を差し伸べてくれる協力者はいない状態でした。

さらに後継者争いによって越後の国力は激減しており、

いつ国人衆達が反乱(もしくは敵に寝返っても)を起こしてもおかしくない状態でした。

しかしこの危機的な状況を光秀が覆してくれたのです。

光秀には頭を上げることのできない命の恩人であると言えるのではないのでしょうか。

 

光秀に助けられた大名家その3:長宗我部氏

 

さて最後になりますが、

四国の長宗我部氏も光秀によって討伐軍を差し向けられることなく助かっております。

長宗我部氏の当時の当主は鬼若子(おにわこ)と

言われるほどの軍略を見せた長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)でした。

彼は坂本龍馬の出身地で有名な土佐(とさ)の岡豊(おごう)城を本拠地としており、

彼が長宗我部氏の当主として君臨すると瞬く間に領土を拡大していくことになります。

信長が存命時の時の長宗我部氏の領土は三好家の本拠であった阿波(あわ)、

うどんで有名な讃岐(さぬき)をほとんど手中に収め、

みかんの国である伊予(いよ)の大半を領有しておりました。

元親はもう少しで四国統一が完成するところにまで漕ぎ着けておりましたが、

織田信長から「元親君。君は阿波の半分と土佐あげるから、

四国統一諦めてくんない」と要請を受けます。

元親は信長の要請を蹴っ飛ばすのではなく、

自分の奥さんが光秀の重臣である斎藤利三(さいとうとしみつ)の縁者であることから、

光秀に信長が四国を自分に任せてくれないかとお願いしてくれるように頼みます。

光秀は元親の要請を聞いて信長に「四国は長宗我部に任せてはいかがですか。」と

提案しますが速攻で信長に拒否られてしまいます。

そして信長は四国の元親が自分の命令を受け入れないことに腹を立て、

四国討伐軍を編成して渡航させる準備を行わせておりました。

しかし四国討伐軍が渡航する前に光秀が信長を討ち滅ぼしたため四国討伐軍は四散。

長宗我部元親は四国で織田軍を迎撃することなく、

四国統一へ向けて邁進することができるのです。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

光秀が起こした本能寺の変によって各地の大名家は生き残ることができます。

さて毛利・上杉・長宗我部はその後どうなるのでしょうか。

毛利家は秀吉が光秀を討ち滅ぼした後も同盟関係をしっかりと結んでいくことになり、

秀吉を支える一軍閥となります。

また上杉家も毛利家と同じく秀吉に臣従していくことになります。

しかし長宗我部は秀吉に抵抗して四国統一を完了させて戦い抜いていくことになり、

柴田勝家と手を結んで秀吉に抵抗したり、

徳川家康や織田信雄(おだのぶかつ)と手を結んで行くことになります。

しかし勝家、家康、信雄がいなくなった後、長宗我部元親は一体どうするのでしょうか。

それはこれから記事にしていくので、楽しみして頂ければ幸いに存じます。

ついでに仙石権兵衛秀久(せんごくごんべえひでひさ)を主人公に据えて、

日本の戦国時代を描いているマンガ・センゴクでは長宗我部元親を討伐する作戦が、

展開されている最中であり、気になる方はこちらをご覧になるのもいいかもしれません。

 

参考文献 吉川弘文館 長宗我部元親 山本大著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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