全中が泣いた!益州のボス・劉璋の最後は実に感動的だった!


 

益州の刺史・劉璋(りゅうしょう)

父・劉焉(りゅうえん)から益州を引き継いで統治することになり、

二人合わせると数十年間益州を領有しておりました。

しかし劉備によって益州は取られてしまい、彼は荊州(けいしゅう)で暮らすことになります。

そんな彼が劉備に降伏する時はすごく感動的であったことをご存知でしょうか。

今回は劉璋の最後についてご紹介したいと思います。

 

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劉備に張魯討伐を依頼

 

劉璋は曹操が漢中に割拠している五斗米道の張魯(ちょうろ)を討伐するとの

知らせを聞くとビビってどうしていいか判断に迷ってしまいます。

彼は張魯と長年敵対しており幾度も討伐軍を漢中へ差し向けますが、

勝つことができずに敗北ばかりしてしまいます。

そんな時、配下である張松(ちょうしょう)が劉璋へ「殿。荊州にいる劉備殿に

漢中の張魯討伐を依頼してはどうでしょうか。

彼は徳の将軍として知られ殿とは同姓でもあり、

彼に任せれば安心して任せることができるのではないのでしょうか。」と進言。

劉備を益州に迎えることに張松や法正以外の群臣達は大反対でしたが、

劉璋は彼らの意見に耳を貸すことなく劉備を向かいれることにします。


劉備をおもてなし

 

劉璋は劉備が益州にやってくると彼をおもてなしします。

彼は涪(ふ)城で劉備と会見すると大宴会を催すことにします。

劉璋が開いた劉備をもてなす大宴会はなんと100日以上にわたって行われることになり、

その間劉備だけをもてなすのではなく、

劉備の軍師である龐統(ほうとう)黄忠(こうちゅう)達ももてなしたそうです。

さらに劉璋は劉備が張魯討伐を行うにあたって武器・兵糧を惜しげもなく大量に与えた

そうです。

こうして劉備に対して至れり尽くせりでもてなした劉璋は成都へ帰還することになります。

 

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劉備の反逆

 

劉備はその後漢中へ進撃することなく葭萌関(かぼうかん)に駐屯し続けていたため、

劉璋は劉備に疑いを持ち始めます。

そんな中劉備が孫権を救援するために一時帰国をしたいと言い出します。

さらに劉備は劉璋へ「孫権を救援するために兵を一万人貸していただきたい」と依頼。

劉璋はイラっとしまし劉備の要求の半分ほどの兵士を与えることにします。

このことに激怒した劉備は「てめ~!!まじで許さねぇから」と激怒し、

漢中へ兵を向けるのではなく、益州各地の城に攻撃を仕掛けていきます。


連戦連敗しついに成都へやってくる

 

劉璋軍は劉備軍の攻撃を受けて各地で連戦連敗してしまいます。

さらに劉璋軍の武将達は劉備軍に次々と寝返ってしまいます。

こうした状況の中成都を防衛するための重要拠点である雒城(らくじょう)に劉備軍が到着。

この地で劉璋軍は劉備軍の進撃を止めるために篭城しますが、

兵糧が尽きて劉備軍に降伏することになります。

そしてついに成都へ劉備軍がやってくると成都城は劉備軍に包囲されてしまいます。


  

 

「私のせいだ」by劉璋

 

劉璋は成都城に大量の兵糧と三万の兵士を駐屯させて、

劉備軍に徹底抗戦の構えを見せます。

しかし成都城包囲が数十日が過ぎると彼は群臣を集めて

「父・劉焉の跡を引き継いで益州のボスになったが、

民衆達には安心させる統治を行うことができなかった。

今劉備の攻撃を数年間受けて民衆や兵士達が山野で、

亡くなっていくことになったのは全て私の責任である。

これ以上民衆を苦しめるわけには行かない。」と語り、劉備に降伏することを決意します。

劉璋のこの言葉を聞いた群臣達は皆涙を流していたそうです。

こうして劉璋は劉備と戦うこと三年あまり、

ついに成都城の重い城門を開いて彼に降伏することになるのです。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

劉璋は劉備に降伏した後に荊州へ家族と一緒に移住することになり、

以前と同じような暮らしを保証されます。

しかし孫権が荊州を奪うと彼は荊州と益州の境に行くように命じられ、

この地で亡くなったそうです。

劉璋は民政・戦において全く活躍することができない人物でしたが、

最後はしっかりと自らの行いを反省していた点は非常に評価でき、

どうしようもない人物であるとは一概に言い切れない人物ではあると考えます。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など

 

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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 


 

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