三国志は勇猛果敢な武将や智謀に優れていた軍師、広大な領土を治めるための政治家など多くの人物たちが登場した時代です。
上記の人達を配下にして一国を治めていた三国志の主役である劉備・曹操・孫権ですが、一体何を食べていたのでしょうか。今回は三国時代の食事風景をご紹介したいと思います。
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この記事の目次
劉備・曹操・孫権達が食べていた三国時代の主食は!?
一昔前の日本人の主食といえばご飯でしたが、最近ではラーメンなどの麺類に加えてパンも流行っておりなんでも主食になる時代です。では三国志の時代の主食とは一体何なのでしょうか。
三国志の主食は南と北で異なってきます。南での主食は主に米でした。この点は現代の日本人にも通じるものですが今とは食べ方が全然違いました。現代では炊飯器を使ってコメを煮炊きする食し方が一般的です。三国志の時代では炊飯器を用いてコメを煮炊きするのではなく、コメを蒸して食べていたそうです。
では北の方では一体何が主食として食べられていたのでしょうか。北の人々はコメを食べていた可能性も考えられます。だが北の人々の主な主食としては小麦粉を使用した食べ物が、主に食べられていたそうです。
ではどのようにして中国の北方の人々は小麦粉を調理して食べていたのか。北の人々は小麦粉を練って成形した後焼いて食べていたそうですが、現在のお餅のようなものではなくパンに近い食べ方だったそうです。
という事は曹操は小麦粉を練って焼いたパンみたいな物を食べており、劉備・孫権はコメを主食として食べていたと考えられますね。レンはパンではお腹いっぱいならない為コメを食べてしまうのですが、曹操などの北方の人々はパンを主食として、お腹がいっぱいになったのか疑問を感じてしまうのはレンだけでしょうか。
劉備・曹操・孫権達が食べていた三国時代のおかずとは!?
さて南と北の主食の違いをご紹介したところで、三国時代の人々が食べていたおかずについてご紹介したいと思います。レンは朝ごはんを基本的に食べないなので、昼ご飯と夜ご飯をいっぱい食べます。レンのおかずといえば焼き魚(もしくは生魚)やciao(ちゃお=高級猫の餌)と混ぜたキャットフードを一緒に食べています。三国時代の人々はレンと同じようにキャットフードを食べていたのでしょうか。
三国時代にはレンが食べているようなキャットフードなんか食べません。人間なので当然です。では三国時代の人々は何を食べていたのでしょうか。
肉の種類としては現代のように豚・牛・羊・鳥に加えて、犬、馬を食べていたそうです。基本的な調理方法としては焼いて食べていたそうですが、上記の肉類は保存食としても活用できることから燻製などにして、長期保存していたそうです。
北方謙三の三国志では張飛が野戦料理と言って豚一匹を解体して焼いて、その中にコメを詰めて調理をしているシーンがありましたが、このような食べ方もしてかもしれません。また三国時代の人々は魚も焼いて食べたり刺身にして食べていたそうです。現代人とあまり変わらない食生活を送っており、劉備・曹操・孫権も結構現代人と味覚が一緒だったかもしれませんね。
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三国時代の料理の味付けは!?
上記で三国時代のご飯のおかずをご紹介しましたが、どのような味付けで提供されていたのでしょうか。三国時代の調理で使われていた調味料として代表的な物は、関羽の実家も取り扱っていたとされる「塩」が代表的です。
海水から取れる塩と岩から取れる岩塩があり、これらを使用して調理をしていたそうです。また醤(じゃん)と言われる味噌のような物で肉や穀物で作られていた物です。更に豆類から作られた味噌「豆鼓(とうちー)」などを使用して味付けをしていたそうです。
またおかずに少し甘味をつけたい時はハチミツを使っていたそうです。袁術(えんじゅつ)はハチミツが大好きですので、もしかしたら袁術に提供されていたおかずには、ハチミツがふんだんに使われていた可能性がありますね。
三国時代にはデザートもついていた!?
デザートといえばみなさんは何を思い浮かべますか。りんごでしょうか。それとも桃でしょうか。はたまたケーキなんかもデザートの一部として、挙げる方もいらっしゃるかもしれません。
三国志の時代にもデザートがちゃんとあったのです。三国時代のデザートは桃やスモモ、杏、梨、 琵琶に加えて梅もデザートとして、食べられていたそうです。レンは梅が嫌いなので梅がデザートとして出てきたら食べないで残してしまいます。
しかし横山光輝の漫画・三国志では曹操が兵士達に梅を食べさせて、喉の渇きをなくそうとしていたシーンがあり、梅もデザートしてよく食されていたのかもしれません。
宴会や飲み屋で飲まれていたお酒は!?
三国志の時代といえば宴会が行われておりイメージが強いと思います。蒼天航路や横山光輝の三国志なども宴会が行なわれているシーンが描かれております。
また宮城谷昌光が書いた三国志や北方謙三の三国志でも酒を飲んでいるシーンがよく描かれております。
更に曹操は「九醞春酒法(きゅううんしゅんしゅほう)」と言われる酒造方法を採用して、酒を醸造していたそうです。そんな三国志の時代に飲まれていたお酒とは一体どのようなものなのでしょうか。三国時代の酒はコメや雑穀を潰して発酵させた「どぶろく」などのにごり酒が主流であったようです。
しかし三国時代の酒は蒸留していないため現代のようにアルコール度数が低く、いっぱい飲まなくては酔っ払うことはなかったそうです。現代みたいに急性アルコール中毒にならない為、安全なのかもしれませんが・・・・。
味はおいしいのか飲んだことがないので保証することはできません・・・・・。
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三国時代の食器はどのような物
三国時代の主食やおかずなどをご紹介してきましたが、これらを載せていた食器はどのようなものだったのでしょうか。三国時代では脚付のお膳の上に主食が乗ったお皿やおかずが乗っているお皿が、配膳されていたそうです。
更にこの脚付のお膳の上にはお酒が並々とつがれている杯が乗せられていたそうです。脚付お膳の素材は農民などの庶民ですと木材が使用されており、ちょっと裕福な家庭ですと漆器や銅のお膳で配膳されていました。
更に劉備・曹操・孫権などの君主クラスの人物達になると翡翠などで作られていたそうで、かなり豪華な脚付きお膳の上にご飯が乗せられていたそうです。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は三国時代の食事風景をご紹介しました。現代とは食の好みや味付けの好みが違っているため、一概に美味しい物とは言えないかもしれませんが、現代人でも食べれそうな物ばかりがラインナップされたのではないのでしょうか。
更に古代中国人の一番のご馳走と言われているものは「肉スープ」だったそうです。この「肉スープ」はかなり昔からありました。春秋戦国時代の初期の覇者であった魏の文侯(ぶんこう)の臣下で楽羊(がくよう)は、文侯から中山国を攻略するように命令を受けます。
楽羊は文侯の命令を聞いて中山国へ攻撃を侵略。しかし中山国の君主は楽羊の息子達を人質にしており、楽羊が攻め込んでくると知ると息子達を煮殺してスープにしてしまったそうです。
(もちろん楽羊の息子達を刻んだ肉が入ったスープです。)楽羊は自らの息子達の肉が刻み込まれていたスープを一気に飲んだ後、中山国へ総攻撃をかけて滅ぼしてしまったそうです。
このように肉スープは古代中国から食べられており、三国時代の劉備・曹操・孫権達も戦に勝った時や婚姻した時などに食べていたのではないのでしょうか。しかし中には楽羊が飲んだように人肉を放り込んでいる肉スープもあるので、皆さんが召し上ががる際には使用している肉に気をつけてくださいね。
ついでにこの魏の楽羊ですが、春秋戦国時代後期に出現した燕の楽毅(がくき)の先祖です。
参考文献 新星出版社 三国志群雄割拠の時代を駆け抜けた英雄達の物語 榎本秋著等
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