中国で売られている三国志演義の本は、成立した頃の文面のままで現代語訳されていないから、現代の中国人には読みづらいものとなっています。その、中国人でさえ読みづらい古い中国語を、日本人が案外すらすら読めちゃったりするようですぞ!
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なんと、弥生時代レベルの古語も
三国志演義の作者といわれる羅貫中(らかんちゅう)は、元末~明初の人。日本でいえば足利尊氏と同時代人です。それなら全編その頃の中国語で書かれているのかと思いきや、さにあらず。卑弥呼(ひみこ)ぐらいの時代の中国語で書かれている箇所もあります。ヒミコ……。どんだけ大昔やねん。
三国志の時代の臨場感を出すために
卑弥呼は、三国志の魏志倭人伝に登場しています。三国時代の人です。元末~明初の羅貫中が著した三国志演義だって、三国志は三国志だから、三国志の時代の言葉が使われている箇所があるのは当たり前といえば当たり前でございまして。例えば、現代の人が江戸時代を舞台にした時代小説を書く場合に、登場人物が現代口語ではありえない御座候(ござろうそう)口調でしゃべっているような感じです。羅貫中も、三国志らしい雰囲気を出すために、格調高い古文を使って頑張っていたんだね。
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中国人でさえ苦労するのだから……
中国の人が三国志演義を読むのは本当に大変そうですね。元末~明初の文章でも難解なのに、もっとさかのぼった大昔の文章まで読まなきゃいけない。中国で三国志演義があまり読まれていないのももっともな話です。中国人でも苦労するんだから外国人の私が読めるわけないよね、と思いながら一冊を手に取り、ペラペラ、ペラリ。……おおっ? こっ、これは!
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三国志愛が言葉の壁を越えたのか!?
読めますぜ。日本人でも。どうしてだろう。不思議だなぁ。中国語の本って、私はだいたいパッと見ほとんどちんぷんかんぷんなんですけど、三国志演義は目になじみます。三国志マニアだからか……。ワイの三国志愛が言葉の壁を越えたんや……。ってわけじゃなく、なんだか見慣れた雰囲気の漢文なんですよ。高校の国語の副教材で半泣きになりながら訓読点(レ点とか、一、二点とか)を振りまくって読んだ『史記』の文体に似ています。高校で漢文得意だった人は読めますよ!
張飛(ちょうひ)のせりふは分りづらい
中国の人に聞くと、張飛(ちょうひ)のせりふは現代口語に近いから楽に読めるけど諸葛亮(しょかつりょう)のせりふはすごく古文っぽいので難解だと言います。日本人から見ると、諸葛亮のせりふのほうが断然シンプルで分りやすいんですが……。漢字を目で見てスッと理解できちゃう感じ。これのどこが難解なんでしょうか。見慣れたような漢字が見慣れたような文法で出てくるだけですぜ?
遣唐使の廃止により古い文法が温存された
中国人は古代中国語を読むのに苦労するのに、日本人には楽に読める。これはきっと、日本が894年に遣唐使を廃止したせいですね。日本人は遣隋使・遣唐使が持ち込んだ漢文を先進国の文学の教科書だと思って一生懸命勉強して、漢文訓読法なんか考え出して、明治の頃までは漢文こそが読み書きの基礎というくらい漢文訓読に習熟してきたわけですが、中国の人はリアルタイムで言葉の変遷を体験してきたもので、日常使わない文法はごく自然に忘れてきたのでしょう。
メインコンテンツは漢~三国時代の古文
平安貴族から夏目漱石に至るまで、日本人が昔から文章作法のお手本にしてきた『文選(もんぜん)』とかいう書物は、随・唐よりも前の時代に編纂されたもので、しかもその当時から見た古文の名作が収録されているので、コンテンツの大半は漢や三国時代の文章です。そこらへんの文章を上手に読めるように昔の日本人は漢文訓読法を開発してきたわけですから、私たちが漢文訓読法で三国時代の文章を読めるのは当たり前といえば当たり前なのでした。
三国志ライター よかミカンの独り言
もし遣唐使が廃止されず、日本にも常に中国の書籍がリアルタイムで入ってくるような状況が現代に至るまでずっと続いていたとしたら、きっと日本人はみ~んな中国語スラスラでしたね!
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