高平陵の変は名士代表・司馬懿と反名士・曹爽の対立だった!?

2018年1月21日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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司馬懿(しばい)曹芳(そうほう)の時代にクーデターを起こして、

魏の皇帝を超える権力を手に入れることに成功します。

司馬懿が起こしたクーデターを高平陵の変(こうへいりょうのへん)や正始の変等と呼ばれることになります。

司馬懿が起こしたクーデターは曹爽(そうそう)との対立によって、

起きたとの見方もできますが、実は名士vs反名士勢力の戦いだったのを

知っていますか??

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曹魏政権の名士代表となった司馬懿

 

司馬懿は曹操の時代に登用され、その後順調に出世していきます。

曹叡(そうえい)の時代になると司馬懿は、

蜀の諸葛亮(しょかつりょう)の攻撃を防ぐ為、

大軍を指揮するための権力をもらいます。

司馬懿は大軍を指揮して孔明の攻撃を凌ぎ着ることに成功。

その後司馬懿は、曹魏に反抗的な態度を取っていた、

遼東(りょうとう)の公孫淵(こうそんえん)討伐に向かいます。

司馬懿は見事に公孫淵の討伐に成功し、

魏において名将としての地位を確立。

司馬懿は軍事における成功を収めながら、不遇を囲っていた名士達を登用し、

自らが名士の代表となるべく着々と曹魏内で勢力を拡大。

曹魏政権内の名士達は司馬懿を名士の代表として頼り、

名士達が司馬懿の元に集まり勢力が形成されていくことになります。

 

君主権力を脅かす可能性を危惧した曹爽

 

曹爽は曹叡が亡くなった時、司馬懿と一緒に幼帝・曹芳(そうほう)を支えるように

命令を受けます。

曹爽は司馬懿が名士勢力の代表として君臨し、

君主権力を脅かす勢力を形成している事に危機感を抱きます。

曹爽は司馬懿の元に集まった名士勢力の拡大を防ぐため、

「周易(しゅうえき)、荘子(そうし)、老子(ろうし)」を尊重する

諸葛誕(しょかつたん)何晏(かあん)達を側近として登用し、

名士勢力に対抗する勢力を作り出していきます。

また曹爽は曹魏政権内で皇族の中で最高位の権力を持っていたことから、

他の皇族達や曹魏政権内の貴族と呼ばれる夏侯氏なども力を貸したと思われます。

こうして曹爽の元には多くの力が結集することになり、

名士勢力に対抗していくことになります。

 

竹林の七賢の存在意義!それは反・司馬懿(しばい)の政治結社だ!

北伐の真実に迫る

 

司馬懿を名誉職に就ける

 

曹爽はこうして名士勢力に対抗する勢力を形成した後、

司馬懿から権力を剥奪するため皇帝の守り役で名誉職となっている太傅(たいふ)の位を与えます。

司馬懿は曹爽から与えられたこの名誉職を拒否することなく受け取ります。

こうして曹爽は司馬懿を政権から退けることに成功。

だが司馬懿は政権内の権力を剥奪されますが、

軍事指揮権を放棄せず、今まで通り大軍を指揮する力を持っていました。

曹爽は皇帝の親衛隊・禁軍の指揮権を一族に与え、

司馬懿の軍事指揮権に対抗。

こうして名士代表・司馬懿と反名士勢力代表・曹爽との対立は深まっていきます。

 

「高平陵の変」勃発

 

司馬懿は曹魏の政権内から引退することを決断。

しかし司馬懿は曹爽一派を追放して自らの政権を確立するため、

曹爽の隙をじっと伺っていました。

曹爽は司馬懿が老いて耄碌しているとの報告を受けると、

司馬懿の元に探りをいれて本当に耄碌しているかを確認させます。

この確認の結果、司馬懿が老いて状況判断できない状態であることが判明。

曹爽は司馬懿がまともな判断ができないことを確認すると、

皇帝や側近を連れて曹叡のお墓参りに向かいます。

 

司馬懿は曹爽が側近らを連れて、

曹叡のお墓参りに向かったことを知るとすぐに皇后と会見し、

曹爽の職権全てを解任するように要請。

皇后は司馬懿の要請を受けると曹爽の職権をすべて剥奪する許可を出します。

司馬懿は曹爽の職権が解任されると洛陽(らくよう)の城門を全て閉じ、

軍を動かして曹爽達が帰ってくる道に駐屯させます。

こうして万全の状態を作り出した司馬懿は曹爽達へ

「罪を咎めないから、降伏してきなさい」と投降を誘います。

曹爽は司馬懿の誘い乗って投降。

司馬懿は曹爽達が投降してくると前言を撤回して、

曹爽や兄弟、側近達をすべて殺害。

こうして司馬懿は反名士勢力の代表・曹爽一派を消し去って、

自らの権力を確立することに成功するのでした。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

司馬懿と曹爽の争いの見方を変えれば、

名士勢力と曹魏政権内の貴族達との戦いと言えるのでないでしょうか。

そして史実通り司馬懿率いる名士勢力が皇族・貴族勢力に勝利した事で、

曹魏政権は崩壊したといっても過言ではないでしょう。

逆に名士勢力が破れ貴族勢力が勝利していればどうなっていたのでしょうか。

貴族勢力が勝利していた場合、曹魏政権が存続することになりますが、

三国時代を統一することはできなかったのではないのでしょうか。

このようにレンは予想しますが、皆様はどのように予想しますか。

参考文献 SB新書 三国志その後の真実など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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