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阿部正弘の死因は何?ストレスに倒れた若きイケメン老中首座

この記事の所要時間: 516

 

 

 

天保の改革が失敗し、水野忠邦(みずのただくに)が失脚し、その後に老中首座(ろうじゅうしゅざ)となったのが阿部正弘(あべまさひろ)です。

幕府の財政状態はひっ迫を極め、海外からは外国船がひっきりなしにやってくるという状況です。

内政も外政も問題山積みの中での老中首座就任でした。

 

そしてアメリカからはペリーの黒船来航。

老中首座・阿部正弘は開国を決意し、日米修好和親条約を結びます。

日本はいよいよ本格的に外国に対峙しなければいけない時代がきたのです。

そして彼は、江戸幕府の歴史の中であり得ない選択をしました。

 

外様の雄藩であり、本来仮想敵国である島津を幕政の中枢に組み込こもうとしたことや、

身分にとらわれない人材の登用、政治に対する意見(黒船対策募集)を

求めるなどの行動で敵も多く作りました。

旧守派からの抵抗も大きかったことが想像され、ただでさえ重圧のかかる時期、役職である中、

更にストレスを増やすような生き方を人物であることは間違いなさそうです。

 

そんな、リスキーな老中首座であった阿部正弘の死因はやはりストレスだったのか?

今回はその点に焦点を当てて調べてみました。

 

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阿部正弘の生涯について簡単に解説

 

阿部正弘が寺社奉行に就任したしたとき、徳川家斉(とくがわいえなり)が将軍の時代でした。

このときに大奥と僧侶の乱交が発覚しますが、

阿部正弘は将軍の権威が傷つかないように素早く僧侶だけを処罰し

大奥へは限定された処罰しかしませんでした。

 

このことが、第12代将軍・徳川家慶(とくがわいえよし)に目に止まることになったといわれています。

首座への就任は、天保の改革失敗で水野忠邦失脚の後ですが、

一時期、外国船来訪の頻発などの問題から、中継ぎのように水野忠邦が復活します。

当然、阿部正弘は抵抗し、天保の改革で彼の手先であった町奉行鳥居忠耀(とりいただてる)を処分するなど、

包囲網を固め、水野忠邦を政治の表舞台から追放することに成功します。

そして、老中首座となります。

 

外国船対策に勘定奉行川路聖謨、幕末の名政治家である江川英龍(えがわひでたつ)

大久保一翁(おおくぼいちおう)永井尚志(ながいなおむね)ジョン万次郎を起用します。

彼の発掘した人材の多くが幕末期に大きな活躍をみせます。

 

しかし、ジョン万次郎など、元漁師にすぎません。

ここに身分にとらわれない彼の態度がみえます。

そして、外国船対策であれば、海に面した大藩は同じ問題を抱えているはずであるとして、

島津斉彬(しまづなりあきら)に接近し、薩摩藩との連携を模索していくのです。

 

そして、ペリーの来航と日米和親条約の締結による攘夷問題の再燃化に、毒を以て毒を制す形で

最も過激な攘夷論者ひとりであった水戸藩主・徳川斉昭(とくがわなりあき)海防掛参与(かいぼうがかりさんよ)に任命するなど、

ガス抜き対策もしています。

人材教育のための講武所の設立、西洋式軍隊の訓練導入、長崎海軍伝習所設立、

大型船建造禁止の廃止など、ペリー来航後は、国防対策を次々に打ち出しました。

 

しかし、外様の薩摩藩を政治勢力に引きこんだことや、身分を問わない人材登用などで、

敵もまた多く、江戸時代において幕政を握っていた親藩、譜代大名からの反発は大きかったようです。

36歳のときに、「西の長崎、東の佐倉」と言われたほど蘭学の盛んであった

佐倉藩の藩主・堀田正睦(ほったまさよし)を老中首座に起用し、自身は老中次座となり、

その2年後に阿部正弘は急死してしまいます。

 

 

長期政権の樹立は阿部正弘がイケメンだから?

阿部正弘イケメン

 

阿部正弘がイケメンであったという話は今でも伝わっています。

実際に大奥に大人気だったようですし、

肖像画を見てもなかなか整った顔をしていることは確かのようです。

イケメンという程かどうかは人それぞれの判断でしょうが。

顔は良いですが何となくふっくらして太っていたのではないでしょうか。

それは肖像画からも見て取れます。

 

ただ、彼は非常にバランス感覚の優れた政治家であったことは事実でしょう。

ロシアのプチャーチン率いる艦隊がやってきたときは、

なんとか彼らを諦めさせることに成功していますが、

ペリー来航、つまり「黒船来航」でとうとう開国を余儀なくされます。

 

この間、攘夷の急先鋒である水戸藩主・徳川斉昭や、開国派であると同時に

幕府が本来最も警戒しなければいけない雄藩である薩摩藩の藩主・島津斉彬とも共同路線をとります。

攘夷派(じょういは)、開国派、そして人材は身分にとらわれず幅広い登用を行っていくのです。

イケメンで肥満でしたが、有能な政治家であったことは確かだったようです。

 

激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末

 

阿部正弘のストレスの原因は八方美人の交友関係の広さ

 

バランス感覚に優れた阿部正弘でも、この時期の日本の置かれた状況は、

潰れかけの会社の社長になり、内外の山積みされた問題を

何とかしろと言われっているようなものです。

 

彼は、攘夷派の代表である徳川斉彬から、開国、近代化路線の先駆者である島津斉彬まで

真逆とも言っていいほどの意見を持つ人材両方を起用していきます。

そして、遭難した漁民であったジョン万次郎の登用や、

身分にとらわれず人材を登用するのですがそれは、ある種の八方美人的な政策でもあり、

その点で親藩(しんぱん)譜代(ふだい)の大名からは相当な圧力がかかったことは想像できます。

実際にそうであったでしょう。

 

老中首座の重責を10年務めていますが、その間に蓄積されたストレスは

相当なものであったのではないでしょうか。

 

阿部正弘の死因1酒量の増加による肝臓がん?

 

阿部正弘は39歳という早さで亡くなりました。

元々太っていた、言葉を選べば「恰幅のよかった」であり医学的には肥満体だったのでしょう。

死の直前には下痢で激やせしたと伝わっています。

 

また、対外問題、内政問題など老中首座である阿部正弘が

対処しなければいけない問題は非常に多く、日々の酒量も増加したと言われます。

それがさらに肝臓にダメージを与えていったのかもしれません。

彼の急死については、さまざまな死因が語られますが、おそらくもともとも肥満体に加え、

激務によるストレスの蓄積、酒量の増加による

肝臓がんであったとする説もかなり有力ではないでしょうか。

 

阿部正弘の死因2成人病からの糖尿病?

 

阿部正弘の死因には今では「生活習慣病」と呼ばれるようになった

「成人病」の糖尿病の悪化からくる免疫力の低下と、消化器系のがんではなかったという説もあります。

とにかく、激務と酒量が老中首座・阿部正弘の寿命を削って言ったことは確かでしょう。

 

そして、彼のとった政策も、自分のストレスをどんどん増加させるような、

江戸時代の慣例を破るようなものばかりです。

 

基本的に以前の仕来りを守っていくことが正しいとされる考えが普通である中で、

国難に当たり、ありとあらゆる人材を登用し、江戸幕府の開祖であり

その力の封じ込めに傾注した徳川家康が聞けば、卒倒しそうになる島津との接近などは、

既得権益を守ろうとする譜代、親藩大名からは、かなりの圧力がかかったはずです。

その後、大老となった井伊直弼の対応がまさにそれを証明しているのではないでしょうか。

 

阿部正弘の死因3 向島の山本屋の看板娘に惚れハッスルしすぎて衰弱死

 

さすがにこれは、周囲のやっかみ半分の噂話の域をでないでしょうが、

阿部正弘の死因に「腎虚(じんきょ)」、つまり「やりすぎ」だという話もあります。

37歳で18歳の向島の山本屋の看板娘おとよに一目ぼれします。

そして、阿部正弘は妾にするのですが、当時とすれば道徳的におかしなことではないです。

ただ、あまりにも若く美人の妾をもったことで、周囲から嫉妬もされたでしょう。

 

その結果、若い娘とやり過ぎて死んだというスキャンダラスな噂も流れたのではないでしょうか。

そもそも、そのような死因はケースとして珍しいですから、普通にあり得ないだろうと思います。

ただ、全ての事に100%はありませんので、激やせの原因が、

若い妾とのヤリすぎであったのかもしれません。

まあ、ほとんど可能性はないでしょうけども。

 

幕末ライター夜食の独り言

 

阿部正弘は非常に地味な政治家で名前もよく知られていません。

江戸時代であれば、松平定信(まつだいらさだのぶ)、水野忠邦等改革を行い失敗した政治家は有名です。

しかし、幕末期に10年間老中首座であり、対外問題、内政問題が難しい時期に

その問題にある程度対応していった阿部正弘はもう少し評価されても良い人材だと思います。

 

最近はペリーとの交渉も日本が決して弱腰でなかったことが史料などから明らかとなっていますが、

その交渉を行った人材もまた、阿部正弘が登用した人材であり、

幕府が徹底的に情報を集めたのも、彼の指導力があったからでしょう。

阿部正弘は、もう少し、評価してあげたない歴史上の人物です。

 

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歴史大好き。特に江戸時代から幕末、太平洋戦争にかけては好きすぎるくらいです。戦史が好きですので、時代を超えて「戦いの歴史」が好きという者です。よろしくお願いします!!

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