NHK大河ドラマ西郷どん、舞台はいよいよ西郷隆盛の人生を変えた場所、
奄美大島に移りました。
およそ160年前、実際に西郷どんが暮らした奄美大島には、ゆかりの場所や
モノが沢山残されているのです。
はじめての三国志では、奄美大島に残る西郷どんの足跡を紹介します。
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この記事の目次
奄美大島にやってきた西郷どんの舟を繋いだ西郷松
西郷どんは1859年、奄美大島の龍郷阿丹崎湊という場所に上陸します。
海岸には大きな松の木があり、舟を係留していたそうで、
この松は西郷松と呼ばれていました。
残念ながら松は2011年には枯れてしまい現在は根元だけが残ります。
西郷どんは、甘いモノが好きで、奄美大島に居た頃にも、
やや甘みがある椎の実を焼いてい食べていたそうで、
西郷松の裏手には、西郷どんも食べた椎の実を練り込んだ
西郷松せんべいを売っている西郷松本舗というお菓子屋さんがあります。
椎の実煎餅は100円とかなりお手頃な価格で購入できます。
西郷どんと愛加那の愛の巣 西郷南洲謫居跡
西郷隆盛は奄美大島に流されてから、三度住居を変えていましたが、
その三番目にして最期の住居になったのが、妻になった愛加那と過ごした
西郷南洲謫居跡です。
愛加那と祝言を挙げて、一男一女に恵まれた西郷隆盛は、
手狭になった間借り生活をやめて、家を構えるのですが、
それが、西郷南洲謫居跡と言われています。
西郷どんは家の設計から関り、村をくまなく歩きまわり台風の風が当たらない
この場所を住居に定める程の熱の入れようだったそうです。
薩摩に帰りたい気持ちがあった西郷どんも、家族が出来た事で、
奄美大島に骨を埋める気になっていたのでしょう。
ところが家が造られてから間もなく、西郷どんには帰還命令が出て
家族水入らずで新居で過ごす事はありませんでした。
現在、西郷南洲謫居跡は愛加那の子孫、龍家の人々が管理していて、
見学する時には、予約が必要なので注意して下さい。
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西郷どんを複合的に学べるりゅうがく館
2017年の4月1日にオープンしたのが、
生涯学習センターであるりゅうがく館です。
元々、町民の生涯学習の拠点として建設されたのですが、
コーナーの一つに西郷隆盛エリアがあり3年間を奄美大島で過ごした
西郷隆盛ゆかりの品々が展示されています。
西郷どんがお世話になった人に贈ったどんぶりや、愛加那の簪、
息子の菊次郎に西郷が送った手紙などが展示されているそうです。
西郷どん18話のロケ地 園家の庭園
かつて、琉球からの役人をもてなした園家の庭園は、昔ながらの住居と
見事な庭園を持ち西郷どん18話のオープニングロケにも使われました。
邸宅は国指定登録有形文化財、庭園は奄美市指定文化財という見事なもので
ドラマでは、西郷どんと愛加那が初めて出会うシーンでもあります。
ただ、個人所有の建物なので、いきなり行っても入れません。
連絡は奄美市紬観光課TEL 0997-52-1111です。
西郷どんOPの雄大な景色はココ 奄美大島宮古崎
西郷どんのopで流れる雄大な緑と海の景色も奄美大島にあります。
奄美大島の中心地の名瀬から、車で30分にある岬で
東シナ海の絶景と笹の草原が広がる絶景ポイントです。
幕末ライターkawausoの独り言
西郷どんの敬天愛人、自己も他人も分け隔てず平等に扱うという思想は
奄美大島の3年間で、その下地が造られたと言われています。
島津斉彬の藩政の下で強くなっていく薩摩、しかしその土台で
搾取され続けた奄美の人々に接する間にエゴを排して
弱者の立場に立つという西郷どんの考え方が強化されたんですね。
今でも西郷どんの足跡が残る奄美大島、
ドラマと併せて訪ねてみると、意外な発見があるかも知れません。
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