長州藩内の尊皇攘夷派の中心人物、桂小五郎、後の木戸 孝允は、新撰組に付け狙われます。
池田屋事件では間一髪のところで新撰組から逃げることが出来ました。
桂小五郎は京都に潜伏し続けたましたが、新撰組の手から逃げ切ります。どうやってでしょうか。
そして、潜伏、逃亡する桂小五郎を愛し、支えた女性もいました。
今回は、新撰組に狙われた桂小五郎の京都での潜伏、逃亡生活について調べてみました。
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この記事の目次
桂小五郎が新撰組に命を狙われる理由とは?
過激な尊皇攘夷思想をもっているとみなされた長州藩は、
八月十八日の政変で会津藩、薩摩藩を中心とする公武合体派に京都を追放されます。
しかし、長州藩を中心とする尊皇攘夷活動家は、
京都での勢力を挽回し政局をひっくり返そうと暗躍します。
その中心メンバーの一人が桂小五郎です。
長州藩の過激な尊王攘夷派は失地回復を一気に狙うために、
御所焼き討ちを敢行し、混乱に乗じて一橋慶喜、松平容保などの対抗勢力の暗殺、
更には孝明天皇を長州に連れて行くという計画を練っていました。
この計画が新撰組に露見し、池田屋襲撃事件が発生します。
その出席者の中には当然、桂小五郎もいたのです。
しかし、桂小五郎は会合に早くきすぎて、
いったん外に出て対馬藩邸で知人と話していたため難を逃れたと後の回顧録に書いています。
また、桂小五郎は屋根を伝って逃げたという記録を残している人もいますが、
どちらにせよ、桂小五郎は新撰組にとってはお尋ね者となっています。
京都の治安を守ることが役割の新撰組にとって桂小五郎は最重要指名手配犯のようなものです。
なにせ、桂小五郎は御所に火を放ち、政敵の暗殺、
天皇の拉致まで計画していた尊王攘夷過激派のひとりなのですから。
京都にいるはずなのに…小五郎が身を隠すことが出来た驚きの方法とは?
新撰組に狙われている桂小五郎はそれでも京都に潜伏します。
尊王攘夷思想を持つ者への追求は厳しくなり、
新撰組だけではなく、京都見廻組、奉行所の捕り方などからも追われることになります。
しかし、桂小五郎は乞食にまで変装して新撰組などの追っての手を逃れます。
貧民集団の中に混じってもまたく違和感が無く、炊き出しなどを食べていました。
乞食だけではなく、船頭になったり、商人になったり、
果ては女装までも駆使して逃亡し、京都に潜伏し続けました。
そんな桂小五郎も禁門の変の直後に会津藩兵に捕まってしましました。
しかし、桂小五郎はここで、「トイレに行きたい」と騒ぎ出し、
その隙に逃亡するという技までみせるのです。
神道無念流の練兵館で免許皆伝の剣の腕前の持ち主の桂小五郎は、
変装と逃亡と潜伏でも免許皆伝クラスの腕前を持っていたということです。
小五郎を支える「愛しの女性」とは?
京都潜伏中の桂小五郎を支え続けた女性がいました。
後に桂小五郎の妻となり木戸松子となる、幾松という女性です。
幾松は京都の三本木「吉田屋」の芸妓でした。
美人で芸事もすばらしく、二代目幾松の名を襲名します。
幾松は非常に人気のある芸妓でした。
桂小五郎は、幾松を自分の物にするため、
幾松を贔屓していた豪商を伊藤博文に刀で脅させるという手段をとって、彼女を独占します。
その後、幾松は京都潜伏時代の桂小五郎を支えていきますが、
新撰組の取調べから奥の部屋に桂小五郎を匿って啖呵を切った話は、後に作られたフィクションです。
池田屋事件以降、乞食に扮した桂小五郎に握り飯を届けています。
潜伏中の桂小五郎に大村益次郎から預かった50両を届けようとしたところ、
同行してた男がばくちで全部使い切ってしまったという逸話も残っています。
桂小五郎の最も苦しい時代を支えたのが幾松という女性です。
小五郎だけではない?幾松もターゲットにした新撰組の執念
幾松と桂小五郎の関係は新撰組も掴んでいました。
実際に幾松は変装し逃亡しながら
京都に潜伏を続ける桂小五郎に接触していましたので、当然新撰組にマークされます。
そして、実際に新撰組に連行されたという話も残っています。
新撰組局長・近藤勇が幾松を連行し、桂小五郎の潜伏場所を尋問したということがありました。
今みたいな人権思想もなく、新撰組はそもそも拷問で池田屋事件の情報を得ています。
その取調べはかなりきつかったのではないでしょうか。
それでも幾松は桂小五郎のことを守り、口を割りませんでした。
新撰組は、幾松のルートから桂小五郎に到達することはできなかったのです。
歴史ライター夜食の独り言
新撰組から逃げまくり、乞食の扮装までした桂小五郎ですが、
明治維新の三傑に数えられるように明治新政府内では力を発揮します。
明治新政府内で、実権を握った大久保利通に対抗できるのは、
木戸孝允と名を変えた桂小五郎しかいなかったのではないかという同時代の人の評価もあります。
攘夷志士時代は、逃げまくっていた桂小五郎ですが、
明治新政府では逃げることなく日本の近代化に立ち向かって行きました。
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