三国時代の意識の高い役人たちが持ち歩いた七つ道具とは

2018年8月9日


 

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周瑜

 

一昔前に「意識高い系」という言葉が流行ったことを

皆さんは覚えているでしょうか。

 

意識が高いふりをしているしょうもない学生の総称が「意識高い系」なのですが、

その「意識高い系」の彼らの特徴として次の物を持っているということが挙げられていました。

 

スタバのタンブラー、マックブック、iPad

万年筆、革の手帳

 

う~ん、意識が高い香りがしますね。

 

そしてどうやら、三国時代の「意識高い系」…いえいえ、意識の高い役人たちにも

「七つ道具」と呼ばれるものがあったのだとか。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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デキる男は持ち物がいっぱい!柳行李

デキる男は持ち物がいっぱい!柳行李

 

三国時代、お役所勤めをしていた人々は

今の社会人のようにビジネスバッグを持ち歩いていたようです

 

そんな三国時代のビジネスバッグは、柳行李という代物。

コリヤナギを編んで作った直方体のつづら籠です。

 

今のビジネスバッグのように

持ち手や留め具がついていたわけではありませんから、

荷がほどけないように大きな風呂敷でくるんで持ち歩いていました。

 

ちなみにこの柳行李、現代大相撲で活躍する十両以上の関取も

自身の持ち物を持ち運ぶのに使っているみたいですよ。

 

デキる男は予定もいっぱい!牘

デキる男は予定もいっぱい!牘

 

三国時代のデキる男たちは、20~30cmの竹の札をたくさん持ち歩いていました。

この札は「(とく)」と呼ばれるものです。

そこには「いつどこで~する」といった予定がメモされていたようです。

 

この「牘」はスケジュールをメモする以外にも

誰かに伝言するための簡単なお手紙の役割を果たすこともありました。

今でいうところの手帳やメモ帳に近いものだったようですね。

 

激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志

ビジネス三国志  

デキる男は字だって書ける!筆

デキる男は字だって書ける!筆

 

意識高い系の学生にとってマイ・万年筆は必需品でしたが、

意識の高い役人にとってはマイ・筆が必需品でした。

ちなみに、三国時代の筆は今の筆と大して変わらない作りのものだったようです

 

役人たちのステータスの高さの所以は字が書けることにあったため、

字を書く道具である筆はだってそのステータスを誇るための大切なシンボル。

 

意識高い系の人が万年筆を専用のペンケースで大切に保管したように、

意識の高い役人たちも大切なマイ・筆を専用のケースに保管していたようです。

 

筆を使うなら持っていないとおかしいよね!硯・墨

 

万年筆にインクが必要なのと同じように筆にも相棒がいます。

そう、硯と墨です。

 

筆で字を書く際に使う墨といえば

ボトルに入っている液体タイプの墨汁をイメージするかもしれませんが、

三国時代にそんな便利なものはありません。

 

あったのは墨の棒です。

油や松を燃やして出てきた煤を

牛や豚から採取したゼラチンで練り固めた固形の物体です。

 

硯に水を入れて墨の棒をゴリゴリ磨ることにより、

字を書くために使う黒い液体を作り出すのです。

このとき、うまく墨を磨らないときれいな黒い字が書けません。

 

ちなみに、子どもたちが冷たい水で墨をするのがかわいそうだと思った

明治時代の小学校の先生によって今我々が使っている墨汁が開発されたのだそうです。

 

おっと、筆を誤った!そんなときには…書刀

そんなときには…書刀

 

現代の私たちは紙に文字を書くのが一般的ですよね。

というわけで、字を書き間違えたら消しゴムか修正テープを使って文字を消します。

 

しかし、三国時代には消しゴムだの修正テープだの、そんな贅沢なものはありませんでした。

では、文字を書き間違えたときに彼らはどのように対処していたのでしょうか?

 

「墨で黒く塗りつぶしたのかな?」と考える人も少なくないでしょうが、

当時は「削る」という方法で文字を修正することが一般的だったようです。

 

その当時は紙ではなく竹の札に文字を書いていましたから、

書き間違えたときには「書刀」という小刀を使って

間違えた部分をカリカリ削って消していました。

 

カタカタカタ…ターン!?算木

カタカタカタ…ターン!?算木

 

役人といえば国や地方の石高やら税収やら、

何やかんやと計算しなければならない仕事が盛りだくさん。

そんなわけで、彼らは常に計算アイテムを持ち歩いていました。

 

今は電卓やパソコンで

カタカタカタ…ターン!で一発計算終了ですが、

三国時代に当然そんなものはありません。

 

その代わりというのもなんですが、

算木という計算棒のようなアイテムを使っていたようです。

小学生が持ち歩く算数セットのアイツのような算木ですが、

足し算・引き算・掛け算・割り算といった四則計算だけではなく、

平方根を求める際にも使われたのだとか

   

三国志ライターchopsticksの独り言

 

さらに、算木は赤と黒に色分けされており、

それぞれが正の数と負の数を指し示すために正負の計算さえも可能。

小学生の算数セットの計算棒より断然レベルの高い代物でした。

 

 

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