歴史上の英雄達はそれぞれ少年時代がありました。例えば曹操の少年時代はとんでもない悪ガキで手のつけられない子供だったそうです。
また織田信長も子供の頃は乳母や彼の教育係は手を焼き、悪いことばかりをしていたため「うつけ」と呼ばれていたそうです。このように子供時代が人にはありますが、片目でちょっと荒くれ者のイメージが強い夏侯惇にも子供時代がもちろんあります。彼は曹操の挙兵時代から付き従って激戦を潜り抜けてきた古強者ですが、少年時代はどんな子供もだったのでしょうか。
この記事の目次
曹操や信長のように少年時代の記載は無い?
夏侯惇はいったいどのように少年時代を送ってきたのでしょうか。色々と調べてみましたがあまり彼の少年時代に関する記載はありませんでした。曹操や織田信長のように派手なことをしたことの無い子供だったのかもしれません。でもここで夏侯惇の少年時代の記載が無いのですいませんでしたでは今回の企画がぶっ倒れてしまうのでもう少し調べてみることにします。
調査してみたらちょっとだけ夏侯惇の子供時代の出来事を発見
正史三国志や三国志に関する書物を色々と調べてみると夏侯惇の少年時代に関する記述を発見することができました。かなり苦労しましたが紹介したいと思います。
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学問熱心な少年時代の夏侯惇
夏侯惇は荒くれ者のイメージが強い三国志の武将ですが、少年時代から荒くれ者の人だったのでしょうか。それは違います。彼は荒くれ者ではなく学問をして少年時代をすごしていたそうです。夏侯惇は14歳頃から学問を始めることになったそうですが、ばっくれたりしていたとの記述が無いのでまじめに学問を学んでいたことでしょう。ちょっと話はそれますが、三国志の英雄達は学問をしていない少年時代を過ごしていた人が多いです。
例えば曹操の少年時代は学問をしないで遊びまくっていたそうで、彼を注意してきた叔父さんをうざいと思ったのか、病になったと嘘をついてだましてしまう始末です。また劉備は少年時代、ものすごく貧乏でしたが、一族の人が劉備のために高い金を払って学問をさせたそうです。しかし、劉備は学問をしっかり学ばないで賭け事や無頼者と付き合うような事ばかりしていました。
曹操や劉備に比べれば夏侯惇はまじめな少年時代を過ごしていたと思われます。
でも時には曹操と羽目をはずしていたかも
学問を学んでまじめな少年時代を過ごしていた夏侯惇ですが、たぶん時には大きく羽目をはずしていたこともあったと思います。その理由としては曹操が原因です。
曹家と夏侯惇の家は姻戚関係を代々結んでおり、曹操のパパは夏侯惇の家から迎えられています。そのため曹操と夏侯惇も少年時代から見知った仲であったと思われます。曹操の少年時代は、鷹狩りに出て遊んだり、犬を連れて狩に出たりと外で遊ぶことが好きな少年でした。現在の子供達はDSやスマホのゲームで遊んだりと外で遊ばない子供が増えているので、現在の観点からすればかなり健康的な遊びを曹操がしていたと思います。
そして話がずれてしまいましたが、夏侯惇も曹操に連れられて狩を一緒に楽しんでいたこともあったと思われます。そのため夏侯惇が学問ばかりをしていた少年時代をすごしていたわけではなく、曹操と一緒に外で元気いっぱいに遊んでいた可能性もあり得るのではないのでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は夏侯惇の少年時代を紹介しました。夏侯惇は少年時代からまじめに学問に打ち込んでおり、大人になってからも自分の陣営に学問の先生を呼んで講義をしていたそうです。そのためもしかしたら夏侯惇は軍事に携わるような事をしたかったわけではなく、学問の先生として身を立てたかったのかもしれませんね。
参考 【正史三国志魏書】など
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