偉人たちの名前を冠した「小松帯刀」を飲んでみよう!

2018年9月13日


 

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小松帯刀

 

小松帯刀(こまつたてわき)と言えば幕末の薩摩藩士で、

有能な人物だったと言われています。

大河ドラマでは幕末の激動の中で登場することはありますが、

小松帯刀は明治維新後に病気で若くして死亡します。

 

この記事では、

芋焼酎「小松帯刀」の飲み方と薩摩の芋焼酎の歴史について取り上げます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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小松帯刀の飲み方!

小松帯刀の飲み方!

 

芋焼酎「小松帯刀」の酒造メーカーは薩摩半島の海沿いにある吹上酒造です。

吹上酒造は2018年の大河ドラマにちなんで

「せごどん」という焼酎を製造しています

 

芋焼酎「小松帯刀」の値段は720mlで1211円(税込)、

1.8Lで1980円(税込)です。

焼酎の中でも違った香りと苦味を感じるかもしれません。

 

皮を丁寧に剥いて、

もろみが熱で腐敗したり、

乳酸が発生したりしないように低温でじっくり発酵させています。

 

熟成も長いというこだわりがあるようで、

他の焼酎とは異なる上品な風味を感じることができると思います。

 

料理で使う場合、

香りを楽しむためにあっさり目の和食が合いそうです。

 

 

 



小松帯刀って人の名前?

 

小松帯刀は1835年に喜入領主・肝付兼善(きもつきかねよし)の三男として生まれました。

少年の頃から学問の才覚を発揮し、

漢学者・横山安容(よこやまやすたけ)のもとで儒学を専攻します。

 

昼夜を問わず勉学に励みましたが、

体質的に病弱であったことが原因で

17歳から病に伏せがちの生活を送るようになりました。

 

しかし、勉学に対する向上心は衰えることはありませんでした。

病気を治すために湯治に出かけますが、

湯治先では身分の異なる様々な人々と交流し、

知識を吸収したと言われています。

 

また、病弱であるにもかかわらず、

武術の修練にも励みました。

 

1856年、吉利領主・小松清猷(こまつきよもと)の養子となり、

家督を相続します。

その時に清猷の妹・(ちか)と結婚しました。

このとき、名前を小松清廉(こまつきよかど)と名前を変えています。

 

小松帯刀(清廉)はイギリスと交流し、

五代友厚(ごだいともあつ)らを密かにイギリスへ留学させています。

 

また、英国公使パークスを薩摩に招き、

島津久光(しまづひさみつ)と引き合わせました。

第二次長州征伐に反対し、

長州藩を説得して戦争を回避したことに成功しました。

 

第15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が大政奉還を発表したとき、

藩主島津忠義(しまづただよし)の上洛に随行するように命じられますが、

病気により上洛を断念しました。

その後、病気が悪化し、

1870年に36歳で大阪にて死亡しました

 

配信スケジュール

 

流行っている「だれやめ」ってどんな意味?

篤姫

 

「だれやめ」という言葉が流行っていますが、

どのような意味でしょうか。

 

「だれやめ」とは南九州の方言で、

「だれ」は疲労、

「やめ」は止めることを意味していて、

お酒を飲む習慣のことを表しています

 

お酒の楽しみ方に関する調査によれば、

「だれやめ」の認知度について南九州では7割、

東京では2割であることが分かりました。

 

 

薩摩の芋焼酎の歴史を知ろう

島津斉彬

 

芋焼酎は薩摩藩で生まれました。

芋焼酎の育ての親は第11代薩摩藩主の島津斉彬(しまづなりあきら)です

 

島津斉彬は西郷隆盛(さいごうたかもり)大久保利通(おおくぼとしみち)など

下級武士で有能な人物を取り立てたことで有名です。

欧米列強のアジア進出に危機感を抱き、

軍備の近代化と製鉄など機械工業の操業を始めた人物としても有名です。

芋焼酎は近代化を進めていたときに島津斉彬が思いついたと言われています。

近代化と芋焼酎との関係について取り上げます。

 

近代化を進める際、

工場で操業を続けるには大量のアルコールが必要です。

工業用のアルコールは米焼酎を蒸留するときに得られますが、

米を使えば食料として使う分が不足する恐れがあります。

 

そこで、安価で土の栄養が十分でない場所でも育つ

サツマイモを使ってアルコールを大量生産することを思いつきました。

島津斉彬はサツマイモを使ったアルコールを芋焼酎と名付けました。

薩摩の特産品として販売し、庶民の間に広まりました。

 

後に、芋焼酎は鹿児島県の特産品の代名詞になるくらい

全国で知られるようになりました。

   

 

幕末ライターオフィス樋口の独り言

 

今回は小松帯刀という芋焼酎を通して薩摩藩と芋焼酎の関係について取り上げました。

芋焼酎は島津斉彬が発明したものであることが分かりました。

 

島津斉彬が芋焼酎を発明したということについて意外だと感じる人がいるかもしれません。

今後、偉人の名前を冠した酒と由来について注目したいと思います。

 

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