【潼関の戦い】どうすれば馬超は曹操に勝てたの?


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

馬超

 

西暦211年の潼関(どうかん)の戦いは、曹操(そうそう)が敗北していれば苦労して成し遂げた

涼州の平定が全てご破算になるシビアな戦いでした。

一般には曹操の目線から語られる事が多い潼関の戦いですが、逆に、

馬超(ばちょう)はどのようにすれば、曹操に勝てたのでしょうか?

有名だけど以外に知られていない潼関の戦いについて分かりやすく解説します。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:馬超にも逸話はあるの?蜀の五虎大将軍・馬超孟起の逸話

関連記事:錦馬超には仲間と呼べる人達がいたの?

 


 

潼関勝利要件1 曹操に黄河を渡らせない

潼関勝利要件1 曹操に黄河を渡らせないの地図

 

馬超や韓遂(かんすい)にとっての勝利条件は黄河以西を領土として認めさせる事です。

その上で一番大事なのは、曹操を潼関に封じ込めて黄河を渡河させない事

そもそも、黄河の西には馮翊(ひょうよく)のように郡レベルで関中連合軍に屈していない

曹操サイドの都市もあり、渡河させてしまえばメリットはありません。

 

実は馬超は曹操に決して渡河させず補給を脅かせば、

二十日と持たずに曹操は退却すると見抜いていました。

一度、引き返してしまえば、関中の軍閥は、さらに暴れまわる事が出来

これに呼応して従う兵力もさらに増えて鎮圧はより困難になったでしょう。

 

この馬超のプランを聞いた曹操は顔色を変えて戦慄し

馬騰(ばとう)(せがれ)を殺さなければ、わしは墓の中で安眠できぬ」

必ず馬超を殺すと決意しています。

 

しかし、馬超のプランは韓遂に反対され実行されませんでした。

韓遂は渡河させて、騎兵の機動力で曹操軍の補給を寸断すれば、

曹操は引き上げると考えていたようです。

 

ところが渡河した曹操は、黄河に沿って南下する甬道を築いて

騎兵の突撃を無効化し補給を安定させてしまいます。

結局は、黄河を渡した時点で馬超は勝機を逃がしていたのです。

 


 

潼関勝利要件2 一つに固まらず各地に散らばる

潼関勝利要件2 一つに固まらず各地に散らばるの地図

 

仮に曹操に渡河を許しても、戦争を長期化させれば状況の変化で

曹操が引き上げないといけない事件が起きる可能性は高い状態でした。

そこで、曹操が渡河した場合には、馬超と韓遂は関中の軍閥を解散させ

それぞれの拠点に戻って持久戦に転じる方法があります。

 

ところが馬超にも韓遂にも臨機応変(りんきおうへん)の策がなく、

曹操が潼関に大軍を終結させた事から、自分達も兵力を集結させます。

彼らはここから散らばるという事はせず、結果、一網打尽(いちもうだじん)にされたのです。

曹操

 

武帝記には、潼関に関中軍閥の部隊が到着する度に

曹操が喜んだという逸話があり、後に部下が

「どうして、敵が増えた事を喜んだのですか?」と問うと

 

「関中はだだっぴろく、賊の連中が銘々の陣地に引きこもれば、

それを掃討するのに、一、二年ではきかんだろう、それを賊の方から

やってきて一塊になった喜ばずにいられようか」と答えました。

 

曹操は、その為に渡河しなくても安全に涼州に出られる河東ルートを採用せず、

あえて潼関に大軍を結集して、関中軍閥が南に集まるよう誘導したのです。

 

人に話したくなる三国志の一騎打ち特集
一騎打ち


 

自分達の強みを捨てた事が敗北の原因

龐徳

 

潼関の戦いにおいては、関中連合軍は騎兵の強みである機動力と

遊牧民の特徴である守備ポイントをもたずに各地に散らばるという

二つのメリットを活かす機会に恵まれませんでした。

 

元々、馬超は追い詰められて蜂起したわけで、

そこまで考えるゆとりはなかったわけですが、

逆に曹操は、関中軍閥の特徴をよく知り抜いていて、

その長所を発揮させないように注意深い戦術で臨んでいました。

 

この潼関の戦いは、曹操の頭で想像した通りに物事が推移し

武帝紀からは、その得意満面のドヤ顔が見えるようです。


  

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

三国志ライターkawausoの独り言

 

以上、潼関の戦いについて、馬超の目線から勝利する方法を探りました。

馬超は決して猪武者ではなく、曹操が遠征によって

補給に難を抱えている事を察知するなど、戦略的に一定の眼力を持っています。

しかし、臨機応変の能力には乏しいので、ここは何としても、

曹操の渡河を阻止するべきでした。

 

馬超は、一度は曹操が渡河する時に騎兵で突撃し、あわやという所まで

追い詰めましたが、見るとそれは馬超の直属の部隊だけのようなので

もし、関中軍閥の総力を挙げて襲いかかっていれば、

曹操の首を取れていたかも知れませんね。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:馬超は悪人なのか、それとも義に生きる英雄なのか?

関連記事:馬超の死因は何か?病死?隠居?暗殺?自害?

 

世界よ、これが黄巾賊だ
黄巾賊

 


 

関連記事

  1. 郭嘉の本
  2. 顔良を討ち取る関羽
  3. 騎兵を率いる夏侯尚
  4. 劉備とサンタクロース
  5. 先読み袁術
  6. 魏の旗をバックに戦争をする郭淮は魏の将軍

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

3冊同時発売

“三国志人物事典"

“ながら三国志音声コンテンツ"

ASMR

“近代オリンピック




PAGE TOP