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【諸葛亮vs司馬懿】ピンチを切り抜けたのは空城の計!

2018年11月2日


 

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司馬懿vs諸葛亮

 

(しょく)丞相(じょうしょう)として活躍し()を討伐するために何度も北伐を敢行した諸葛亮(しょかつりょう)。そして諸葛亮の北伐を幾度となく防ぎ、諸葛亮のライバルとして知られる司馬懿(しばい)。両者の実力は拮抗しており決着がつかないまま諸葛亮の死で幕を閉じることになります。しかし拮抗していた諸葛亮と司馬懿の戦いですが、諸葛亮がピンチに陥っていた時があったのです。そしてピンチに陥った諸葛亮はある秘策を使うことになったのです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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司馬懿の大軍がやってくる

司馬懿の大軍がやってくる

 

諸葛亮は蜀の将軍を率いて北伐を開始。諸葛亮は自分の軍勢を城に留めて、魏延(ぎえん)や他の将軍を東方へむけて出陣させます。この時魏の大軍を率いて諸葛亮の北伐を防ぐ為、司馬懿が魏の大軍を率いて蜀軍を防ぐために出陣。この時、司馬懿が率いていた魏の軍勢は20万程の軍勢でかなりの大軍でした。

 

司馬懿は蜀の魏延らとは違う道筋で進軍を開始し、諸葛亮が籠城している城付近へ到達することになります。諸葛亮は魏延ら諸将に軍勢を割いていたため自分が駐屯している城には1万人程しかいませんでした。

 

 

困った諸葛亮

困った諸葛亮

 

諸葛亮は司馬懿の軍勢が到来することを城から出していた偵察部隊から情報を仕入れて知っていました。諸葛亮は魏延や蜀の将軍達を呼び戻す事を考えますが、魏延らが遠くに行っているため呼び戻すためには多くの時間がかかってしまい、司馬懿らが城へ攻撃するまでに戻ってくることができないため、やめてしまいます。

 

更に司馬懿の軍勢が城の近くへ来ているため、司馬懿の軍勢を撃退して逆転するための作戦を練っている時間もありませんでした。こうした中、蜀の将校や兵士らは司馬懿の大軍が城の城壁から望む距離に来ていることを肉眼で確認してしまいます。将校や兵士らは司馬懿の率いている大軍を見て青ざめてしまい、どうすればいいのかオロオロしてしまったそうです。しかし諸葛亮は慌てず平然として秘策を発動するために将兵へ指示を出し始めるのです。

 

一騎打ち

 

 

城を開け放て!!

孔明

 

 

諸葛亮は将兵へ「まず旗指物を全て伏せよ。陣太鼓も打ち鳴らすことがないようにしっかりと管理せよ」と命令を出します。この命令を聞いた将兵は諸葛亮の指示に従って旗指物を伏せて、陣太鼓を鳴らさないように注意します。諸葛亮は他の将兵へ「将校は兵士を陣営から出さないように。また城門を全て開け放ち、道路を掃いてチリ一つ残さないよう綺麗にしておきなさい。」と再び指示を出します。

 

将兵は諸葛亮の命令を不思議に思いながら意見を挟まずに淡々と目令をこなしていきます。こうして諸葛亮は城を綺麗にし、城門を開け放って静かに司馬懿を待ち受けるのでした。

 

 

 

静かな城に恐れをなして撤退

静かな城に恐れをなして撤退する司馬懿軍

 

 

司馬懿は諸葛亮が駐屯している城に兵士が少ないことを偵察隊から聞いていつ攻撃を仕掛けようか迷っていました。そんな中司馬懿は違う偵察隊から「城内は綺麗にされ、旗指物は全て伏せられ、城門が開け放たれています。」との報告を受けます。司馬懿はこの報告を受けて軍勢を引き上げる決意を固め、すぐに軍勢を率いて撤退するように命令を出します。

 

 

司馬懿の側近は司馬懿へ「諸葛亮の軍勢は少ないのにどうして撤退していくのですか。」と質問。司馬懿は「諸葛亮は慎重な人物として知られている。その慎重な人物が城の城門を開け放っているのだ。城に罠があるとしか考えられないであろうが」と説明し軍勢を引き上げていくのでした。

 

 

「空城の計」炸裂!!

「空城の計」炸裂し笑う孔明

 

 

諸葛亮は翌日ご飯を食べながら偵察隊から司馬懿が撤退したとの報告を受けると大笑いしながら側近へ語りかけます。諸葛亮は側近へ「司馬懿め!!我らが臆病だから伏兵をおいて迎撃しようと考えて撤退していったのだ。マジうけるわー!!WW」と大笑いしながらご飯を食べていました。これぞまさに諸葛亮のピンチを救った「空城の計」のお話でした。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

空城の計は成功すれば功績を後世まで残すことになる奇策と言えますが、失敗すれば城や兵士を失う事になる計略です。本当に諸葛亮がこの作戦を実行したのかわかりませんが、もし実行したのであれば諸葛亮もかなりのギャンブラーな人物だったとは思いませんか。

 

参考 正史三国志 蜀書等

 

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時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記はじめての西遊記

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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