天下布武の安土城!織田信長はなぜ安土城を建てたのか?

2018年11月19日


 

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皆さんは、滋賀県の安土城(あづちじょう)跡を訪れたことはありますか?

筆者は2回訪れたことがあります。

「実際に天守閣が残っている松本城や彦根城と比べると、あまり魅力を感じられないのではないか」と思うかもしれません。

しかし、それは違います。

筆者が初めて訪れたのは小学生のときでしたが、日本史の授業で信長(のぶなが)のことを習った直後だったこともあり、

「あれ、今でもここに信長がいるのではないか」なんて勝手に思ってしまいました。

小学生の子どもがそう思ってしまうような、独特の雰囲気がある場所なのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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石垣だけなのに圧倒的な存在感の安土城跡

織田信長

 

安土城跡に行くには、JR安土駅を利用します。

駅周辺には、信長も飲んでいたと伝えられる湧き水が今でも残っていたり、楽市楽座(らくいちらくざ)という名前のみやげ物店があったりと、

随所で信長にちなんだものを見つけることができます。

駅から25分くらい歩くと、安土城跡がある安土山のふもとに着きます。

そこで、入山料700円を払うと、安土山に登ることができます。

ちなみに、安土山はけっこう急な坂道になっていて、ふもとからだんだんと上に登っていくと、森蘭丸(もりらんまる)前田利家(まえだとしいえ)の屋敷跡を見ることができます。

「大河ドラマなどで有名な俳優が演じている人物が、ここに住んでいたのか」などと思うと、歴史の教科書上の人物であるはずが、

急に身近に感じることができます。

 

さらに、安土山を登っていくと、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が建てたとされる信長の墓が見えてきます。

ここは木が生い茂り、いつも日陰になっています。天気の良い日に安土山を登ると景色が素晴らしくとても気持ち良いのですが、

この墓周辺だけはいつ訪れても、何とも言えないような雰囲気の場所です。

さて、天主跡の石垣や礎石があるところまで登ると、北側からは絶景を眺めることができます。

視界を遮るものは何もありません。

信長や織田家家臣たちもここからの景色を眺めていたのでしょうか。

 

天守閣(てんしゅかく)が残っている城ももちろん素晴らしいですが、観光客がたくさんいて、天守閣の写真を撮って…という楽しみ方になりがちです。

安土城には、残念ながら石垣しか残っていません。

しかし、訪れてみると分かる、圧倒的な存在感のある場所であり、戦国時代後半の空気を肌で感じることができるのです。

 

 

 

「天守閣」ではなく「天主閣」

 

天守閣とは、戦国時代以降のお城に見られる、象徴的な建造物です。

高いところに造られたため、見張りとしての役割を果たしていました。

また、派手な見た目であり、戦国武将にとって権威の象徴ともなっていました。

一般的にはこの建造物は「天守閣」といいますが、安土城の場合は「天主閣(てんしゅかく)」と表記します。

現在でも、安土城跡の近くにある、城を再現した博物館は「安土城天主 信長の館」という名称になっています。

では、なぜ安土城だけ「天主閣」というのでしょうか?

歴史作家、井沢元彦(いざわもとひこ)氏の著書「逆説の日本史10 戦国覇王編」によると、信長は自己神格化を目指したとあります。

「天主」とは、もともと西洋のカトリックからきた言葉で、神様のことです。

当時、宣教師から西洋の文化が入ってきた時代背景を考えると、当然信長は「天主」という概念を知っていたのでしょう。

 

実際、安土城跡にある摠見寺(そうけんじ)という信長が建立したお寺では、「安土城摠見寺にお参りすれば、誰でも長生きできる」とされていますし、

安土山を登る石段には、本来であれば信仰の対象である石仏が使われています。(つまり、仏像を階段に使ってしまっているということです)

また、当時信長に謁見したルイス・フロイスも、「信長は神になろうとしている」と記しています。

そうなると、安土城と摠見寺は、信長にとって神殿のような役割を果たす建物だったのでしょうか?

 

 

戦国時代ライター星野まなかの独り言

戦国時代ライター星野まなかの独り言

 

その答えは今となっては分かりませんが、安土城は庶民に公開されたこともあり、当時信長を慕っていた人も多かったのでしょう。

安土城跡を訪れた筆者は、安土駅周辺に住むお年寄りは、現在でも信長のことが大好きな人が多いと感じました。

 

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