蜀の老将・厳顔の年齢は一体いくつだったの??

2018年11月26日


 

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厳顔(げんがん)

 

蜀の老将と言えばみなさんは多分黄忠(こうちゅう)をイメージするのではないのでしょうか。

黄忠は三国志演義によると大体75歳位で亡くなったそうですが、

亡くなるまで前線で活躍していた将軍でした。

 

しかし蜀には黄忠に匹敵する老将軍がいるのをみなさん知っていますか。

その人物の名前は厳顔(げんがん)です。

彼も黄忠と共に老将軍でありながら前線で活躍した人物ですが、一体いくつだったのでしょうか。

今回は厳顔の年齢について紹介したいと思います。

 

関連記事:黄忠や厳顔のような老兵は実際に戦争では最前線に立っていたの?

関連記事:103話:黄忠・厳顔の老将コンビ大活躍|年寄りをなめるな!

 

 

 

厳顔の年齢はいくつだったの??

黒田レン

 

蜀の老将・厳顔は一体いくつくらいだったのでしょうか。

三国志演義をちょっと調べてみました。

すると厳顔の年齢についての記載が載っていませんでした。

という事は厳顔がいくつまで戦っていたのか分からなくなってしまいましたが、推測することは出来るでしょう。

 

 

 

大体60歳~60歳後半まで戦っていたのでは??

厳顔と張飛

 

厳顔の没年がわからないので彼がいつまで戦場で活躍していたのかわからない状況になってしまいました。

しかし推測することはできます。

 

三国志演義によると厳顔は黄忠と共に定軍山での戦いまで一緒に活躍していましたが、その後、黄忠が劉備(りゅうび)に馬鹿にされた夷陵の戦いでは

厳顔の名前は出てきていません。

とすれば厳顔は定軍山の戦い~夷陵の戦いまでの間に高齢で亡くなっている可能性があるのではないのでしょうか。

 

そして黄忠の没年齢が約75歳だと考え(三国志演義で黄忠が亡くなる間際に劉備へ伝えていたそうです)、定軍山の戦い後1年後に亡くなったと

仮定しましょう。

 

更にもう一つ厳顔が黄忠と同い年だった可能性よりも少しくらい年齢差があったと仮定し、黄忠と厳顔の年齢±3歳くらいの差だとしましょう。

上記のように仮定を重ねると厳顔の推定死没年齢は約72~78歳位ではないでしょうか。

この推定死亡年齢の間に厳顔が亡くなったとすれば、彼が戦場の第一線で活躍していたのは約72歳くらいまでではないでしょうか。

72歳まで戦場で活躍していた厳顔がとんでもないジジだったと想像することができると思います

 

もし現代に厳顔くらいの元気なジジ様がいるとすれば、日本の世の中はどうなっていたのか。

現代日本に戦場が無い事を考えると元気なジジ様達が秋葉原でスマホを弄りながら若者とゲームをしたり、ラノベ等を読んでいたりと妄想すると

ちょっとおかしくもあり、不思議な光景だなと思うのはレンだけでしょうか。

 

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正史三国志では厳顔が老人とは一言も言っていない!!

 

さて上記は三国志演義をベースに考えてきました。

では正史三国志の厳顔は一体どのような活躍をしてたのでしょうか。

正史三国志の厳顔を調べてみたところ驚きの結末がありました。

 

それは・・・・。

厳顔が老将であるとの記載が一切ないのです

さらに厳顔が活躍していたとの記載も一切ありませんでした。

厳顔の唯一となる活躍が張飛(ちょうひ)との戦いと張飛に降伏した時のセリフだけが記載されていました。

三国志の注をつけている裴松之(はいしょうし)ですら厳顔に対して記載していません。

史実には確かに存在していたと思われる厳顔ですが、張飛に降伏した後はあまり活躍することなく亡くなってしまったのかもしれませんね。

   

 

三国志ライター黒田レンのひとりごと

三国志ライター黒田レンのひとりごと

 

今回は厳顔の年齢について紹介させていただきました。

三国志演義を元に年齢を予想してみましたが、70歳オーバーで戦場に出て槍や弓を使って敵兵をバタバタと倒していた所を考えると

とんでもない戦場だったんだなと想像してしまいます。

また劉備が老将・厳顔を戦場に引っ張り出さないと行けない程当時から人材不足だったのかと色々と勘ぐってしまうのはレンだけでしょうか。

 

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