【後北条氏】早雲から5代続いた関東の戦国大名を紹介


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北条早雲

 

後北条氏は北条早雲(ほうじょうそううん)こと伊勢新九郎(いせしんくろう)が戦国の騒乱の中で関東一円を平定して建てられた新興の戦国大名です。

その命脈は太祖の北条早雲から5代目の北条氏直までおよそ100年続き、治乱興亡(ちらんこうぼう)の多い戦国大名家でもかなり長生きした部類に入ります。

今回は、後北条五代100年の当主について紹介しましょう。

 

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初代北条早雲(伊勢新九郎)

初代北条早雲(伊勢新九郎)

 

戦国大名の先駆けである北条早雲は、伊勢新九郎という名前でも知られています。

室町幕府と深い関わりを持つエリート出身であった早雲は、優れた政治的手腕によって領土を拡大していき、相模一帯という広大な地域を

平定するようになりました。

北条早雲は合理的な戦国大名であり、善政によって農民の支持を得つつ、着々と領土を広げていくという生き方をした人物です。

また、早雲は禅宗の教えを大切にし、日常生活や礼儀、文武両道の心得を分かりやすく示した分国法を制定したことでも知られています。

 


 

2代目北条氏綱

北条氏綱 Wikipedia

(画像:北条氏綱Wikipedia)

 

後北条氏2代目である氏綱(うじつな)は、北条早雲の長男として、1487年に生まれました。

1487年といえば、早雲は戦に明け暮れていました。

氏綱の母は正室で室町幕府奉行衆(むろまちばくふぶぎょうしゅう)である小笠原政清(おがさわらまさきよ)の娘、南陽院殿(なんよういんどの)であり、身分の高い女性です。

たまに戦国武将の中には母親の身分が低かったり、遊女などから生まれたなどということがありますが、

室町幕府にゆかりのある高い身分の女性から生まれた子を嫡男(ちゃくなん)にしているあたりが、後々に家督争いなどが起こらないようにすることまで

ちゃんと考えている早雲らしいといえるでしょう。

 

氏綱はとても優秀な人物であり、相模一帯を平定した父、早雲の後を継いで領国を武蔵半国、下総の一部そして駿河半国にまで拡大させました。

ちなみに、「北条氏」という名前はこの氏綱の代から使われるようになりましたが、現在では、鎌倉時代に執権職(しっけんしょく)についていた

北条一族と分かりやすく区別をするために「後北条氏」という名前でも呼ばれています。

 

また、死の直前に際して、息子の氏康(うじやす)に対し「五箇条の訓戒」を遺しています。

この訓戒には、義を重んじることや領民を大切にすること、そして倹約することが説かれており、最後は

「勝って(かぶと)の緒を締めよ」という言葉で締めくくられています。

武田信玄(たけだしんげん)上杉謙信(うえすぎけんしん)のような華やかさはあまりないかもしれませんが、知れば知るほどにカッコイイ生き方をした武将だと

感じることができるのではないでしょうか?

 

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3代目北条氏康

3代目北条氏康

 

後北条氏3代目である氏康も、有能な武将でした。

氏康は、武田氏・今川氏との間に甲相駿三国同盟を結んで関東を支配し、上杉謙信を退けました。

また、評定衆を設置し領内の訴訟処理などを行ったり、農民の負担が軽くなるように税制改革を実施したりするなど、素晴らしい政治を行ったため、

領民からも大変支持されていました。また、優れた政治的手腕を持っていた武将でもありました。


 

4代目北条氏政

北条氏政Wikipedia

(画像:北条氏政Wikipedia)

 

後北条氏4代目である氏政は、父である3代目氏康の後を継いで後北条氏の勢力拡大に尽力しましたが、豊臣秀吉(とよとみひでよし)に敗れ降伏、

切腹によってその命を終えました。この氏政の死によって、後北条氏の関東支配は終結したのです。

そのため、あまり良い評判が後世に残されていないのですが、氏政自身は優れた人格の持ち主であり、妻子をこよなく愛した人物でした。

 

5代目北条氏直

北条氏直Wikipedia

(画像:北条氏直Wikipedia)

 

後北条氏5代目である氏直の母は、武田信玄の娘である黄梅院(こうばいいん)でした。

氏直は優れた判断能力を持っていましたが、病弱であったようです。

後北条氏が豊臣秀吉に敗れ降伏することになったとき、氏直は秀吉に対し、自らの命と引き換えに自分の武士たちを助命するように頼みました。

これに感心した秀吉は、氏直の命は助けることにしたのです。

しかし、氏直は29歳という若さで、天然痘によって亡くなってしまうのでした。


  

 

 

戦国ライター星野まなかの独り言

戦国ライター星野まなかの独り言

 

その人徳の深さによって後世まで語り継がれることになった後北条氏ですが、当時圧倒的な勢力を持っていた秀吉には

やはり敵うことはできなかったようです。

 

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