武田信玄の騎馬隊は弱かった?真実を検証


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武田信玄

 

武田信玄(たけだしんげん)といえば、織田信長(おだのぶなが)徳川家康(とくがわいえやす)にも強いと評された騎馬隊を作り上げたことで有名です。実際、長篠の戦いでは、信玄の息子である武田勝頼(たけだかつより)が引き継いだ騎馬隊と、織田軍の衝突が伝えられています。しかし、最近では「実は武田騎馬隊は弱かったのでは…?」という説も浮上しています。日本一と称された武田騎馬隊は、強くなかったのでしょうか?

 

この記事では、「武田騎馬隊は本当は弱かった説」と「伝記通り、武田騎馬隊は強かった説」の両方を紹介していきます。

 

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武田騎馬隊は本当は弱かった説

 

騎馬隊が戦場を駆け抜ける勇ましい姿は大河ドラマなどでもおなじみですが、実際の騎馬隊の戦闘シーンは、かなりショボかった…という説があります。大河ドラマでは、競馬で颯爽と走るサラブレッドなどの大きな西洋種が使われています。しかし、日本に西洋種が来たのは1700年代の頃であり、日本にはじめて在来種以外の馬を輸入したのは江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗です。ちなみに、吉宗は長崎の出島でオランダ人から外来種の馬を輸入したそうです。さて、日本の在来種である木曽馬の体高は125~135cm、野間馬の体高は100~120cmであるとされています。西洋のサラブレッドと比べると、かなり小柄な馬であることが分かります。そのことから、「有名な武田騎馬隊は、武田軍の情報戦略でかなり盛られた話であり、存在してもごく少数であって、現代に伝えられるような活躍はムリなのでは…」という説が主張されるようになったのです。実際、装備を赤に統一した「赤備え」と呼ばれる精鋭部隊などの、武田軍の勇ましい姿を見ただけで、「最強の騎馬隊が来た!」というイメージを敵将たちに植え付けることができたのでしょう。

 


 

伝記通り、武田騎馬隊は強かった説

伝記通り、武田騎馬隊は強かった説

 

世界史で見ても、基本的に軍馬というものは脚が短く太く、頑丈なのが特徴です。最強の騎馬隊と恐れられたモンゴル軍の軍馬も匈奴の汗血馬という、ポニークラスの脚の短い馬です。ちなみに、サラブレッドは身体は大きいですが、その大きな身体を支える脚は非常に細く、骨折しやすいことでも知られています。また、武田騎馬軍団といっても全員が馬に乗っていたのではありません。騎馬の比率は、全兵力の6%や、11%であるともいわれています。騎馬隊だけで編成された軍隊ではなく、槍兵もいれば、弓兵や小荷駄隊もいたのです。戦国時代・江戸時代の馬もポニーの範疇に入りますが、その中でも、ポニー規格上限に近いサイズなので、現代の私たちからすると、ポニーというより立派な馬に見えてしまうことでしょう。日本の在来種の馬は、サラブレッドよりも身体は小さかったのですが、足腰が強く、より戦闘に適していた馬だといえるのです。


 

戦国時代ライター星野まなかの独り言

戦国時代ライター星野まなかの独り言

 

よく最近はネット上で「実は武田騎馬隊はショボかった」という内容の記事を見かけますが、必ずしもそうではなかったのかな、と思います。また、「ポニーに武装した武将が乗って戦うには無理がある」という説もありますが、ポニーといってもその大きさは本当に小さな馬から、普通の一般的な馬とほぼサイズが変わらない馬まで、色々いたようです。しかし、ルイス・フロイスもフランシスコ・ザビエルといった宣教師も、「騎馬隊は馬から降りて戦った」という記述を残しているため、大河ドラマなどで観る戦闘シーンと実際はだいぶ異なっていたのかもしれません。ただ、武田信玄は心理戦略にも優れていたため、当時武田騎馬隊が恐れられていたのは、本当のことだったのではないでしょうか?

 

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