朝三暮四の出典は「荘子」と「列子」でも意味は微妙に違う

2019年1月26日


 

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孫悟空

 

四字熟語としてよく知られている「朝三暮四(ちょうさんぼし)」という言葉。

目先の違いにとらわれて結果は同じであるのに気付かないという意味と、うまい言葉で人を騙すという意味があるようです。

この言葉のもとになった説話は『列子(れっし)』と『荘子(そうし)』の中にあります。

二つの本で書かれているエピソードは同じものなのですが、エピソードから展開される結論が違っています。

その論旨を見ると、二つの本の雰囲気の違いを感じることができ面白いです!

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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『列子』の朝三暮四――舌先三寸のエセ聖人を批判

 

まずは『列子』にある朝三暮四のエピソードをみてみましょう。

 

宋の国に猿飼いがいた。

猿が好きで何匹も飼っていた。

猿飼いには猿の気持ちが分かり、猿も猿飼いの気持ちが分かった。

猿飼いは家族の口減らしをしてまで猿にえさをあたえていた。

ところが猿飼いは急に貧しくなってしまった。

猿飼いは猿のえさをへらそうと思ったが、猿に嫌われるのではないかと心配した。

そこでごまかしてこう言った。

「えさのどんぐりだが、朝に三個、晩に四個でいいかい」

猿たちは立ち上がって怒った。

そこでこう言った。

「えさのどんぐりは、朝に四個、晩に三個でいいかい」

猿たちは伏して喜んだ。

 

 

日本の財政政策を彷彿とさせるような話ですな……。

さて、上の話を受けての『列子』のまとめはこうです↓

 

賢い者と愚かな者がいて誰かが誰かにまるめこまれる様はみなこのようなものだ。

聖人は智によって愚かな者たちをまるめこんでいるが、猿飼いが猿たちをまるめこんだようなやり方なのである。

言葉の中身は変わらないのに、愚かな者たちを喜ばせたり怒らせたりしているのである。

 

このまとめ方をみると、世の中では物の本質を見抜けない愚かな人たちを舌先三寸のエセ聖人がまるめこんでいるのだと『列子』は言いたいようです。

ここで言う聖人とは儒者(じゅしゃ)のことかもしれませんね。

『列子』は道教の本で、儒者を小馬鹿にしがちなので……。

 

 

『荘子』の朝三暮四――本質が間違っていなければダブルスタンダードでもいい

 

『荘子』ではどのように書かれているかみてみましょう。

 

人々はいろんな考え方があるのをなんとかして統一したいと思って労力を費やしている。

いろんなことが言われているようでも実はみんな同じであるということに気付いていないのである。

これを朝三という。

朝三とは何か。

猿飼いが猿にどんぐりを与える時、朝は三つ、暮には四つにしようと言うと、猿たちはみな怒った。

では朝は四つ、暮には三つにしようと言うと、猿たちはみな喜んだ。

実質は変わらないのに、喜んだり怒ったりしたのだ。

こういうものなのだ。

だから聖人は、真実は同じであることでもある時は是といいある時は非ということによって和を保ち(※)、平衡を保つのである。

これを両行と言う。

※この訳は よかミカンが勝手に考えたものです。普通は、聖人は是もなく非もない調和の中にいるという解釈をするようです。

 

『荘子』を見ると、表面的な理屈が違っていても本質を誤っていなければいいじゃないか、と言っているようです。

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

 

『列子』が儒者を小馬鹿にしているだけであるようなのに対し、『荘子』は老荘思想を説明することに主眼をおく文章になっています。

『荘子』のほうが高尚な雰囲気がありますよね。

猿のエピソードの書き方は『列子』のほうが描写が細かく生き生きとしており、お話として楽しめます。

『列子』のほうが、より通俗的なのかなと思いました。

 

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よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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