1940年、幻の東京オリンピックとは?なんで中止になったの?

2019年1月27日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

マラソン日本代表として走る中村勘九郎 いだてん

 

1964年の東京オリンピックの誘致に成功したキーマンと言えば、田畑政治(たばた まさじ)です。1964年以前に1940年の東京オリンピックの誘致にも成功しました。しかし、1940年の東京オリンピックは日中戦争の激化と太平洋戦争勃発により開催中止となりました。よって、1940年の東京オリンピックは幻の東京オリンピックと呼ばれています。今回は、田畑政治と幻の東京オリンピックについて取り上げます。

 

関連記事:明智光秀が大河ドラマデビュー2020年麒麟がくる

関連記事:篤姫はなぜ人気がある?大河ドラマヒットの法則

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



オリンピックを誘致した田畑政治

田畑政治 いだてん

 

田畑政治は2019年の大河ドラマ『いだてん~オリンピック噺~』の主人公です。『東京オリンピックのキーマン田畑政治』によれば、田畑は1898年生まれで静岡県浜松市出身です。東京帝国大学卒業後に朝日新聞社に入社しました。新聞記者だけでなく、水泳指導者も務め、1932年のロサンゼルスオリンピックなどで日本代表監督を務めました。

 

1940年の東京オリンピックの誘致に成功しますが、このオリンピックは戦争の激化により中止となりました。第二次世界大戦後の1948年に日本水泳連盟の会長に就任しました。1948年のロンドンオリンピックに参加することはできませんでしたが、1949年には国際水泳連盟の復帰に成功しました。

 

1952年のヘルシンキオリンピックと1956年のメルボルンオリンピックで日本選手団の団長を務めるなどオリンピックの場で活躍しました。戦後間もない頃から東京にオリンピックを誘致することに力を入れました。その成果として1964年の東京オリンピックの招致に成功しました。

1964年の東京オリンピック後、1973年から4年間日本オリンピック委員会(JOC)の会長を務め、1984年に死亡しました。

 

 

 

幻の1940年の東京オリンピック

幻の1940年の東京五輪 いだてん

 

1940年は日中戦争が続いていたことや第二次世界大戦が勃発していて激化していました。1940年の東京オリンピックは日中戦争の激化に伴い中止となりました。

この年は代替地としてヘルシンキでの開催も検討されましたが、第二次世界大戦の激化で実施できず、オリンピックの開催そのものが中止となりました。

 

オリンピックを誘致する田畑政治 いだてん

 

『東京オリンピックのキーマン田畑政治』では、1940年の東京オリンピックの招致に成功した経緯について取り上げています。1932年に日本代表はIOCに対して第12回国際オリンピック競技大会開催候補地として立候補しました。東京を含め10都市が立候補しましたが、東京・ローマ・ヘルシンキの3都市に絞られました。

 

当時、アジアで日本のように独立国は少なく、国内にオリンピック委員会を持つ国も少数であることや当時のアジアは夏季の高温多雨や欧米から離れていて旅費・時間の問題が課題になっていました。日本に招致活動の点でかなり不利な状況でしたが、その課題を克服して大会招致に成功しました。1940年に東京オリンピックが開催された場合、当時アジア初のオリンピック開催ということで注目されました。

 

 

東京五輪ライターオフィス樋口の独り言

 

今回は幻のオリンピックと言われた1940年の東京オリンピックについて取り上げました。2019年の大河ドラマで、東京へのオリンピック招致に成功した田畑政治について、どのような演出になるのか気になります。

 

1940年の東京オリンピックでは、陸上競技・競泳・水球・飛び込みなど現代の競技とほとんど変わりません。ただし、サッカーについては蹴球と表記されています。カタカナ語が禁止されていた戦争の影響が残っているのかもしれません。

 

今回は1940年の東京オリンピックの誘致について取り上げましたが、田畑は1964年の東京オリンピックの誘致にも成功しています。大河ドラマ『いだてん~オリンピック噺~』の中で、1940年と1964年のオリンピック招致活動において、違いがあれば注目したいと思います。大河ドラマだけでなく、歴史秘話ヒストリアなど他の歴史番組でも注目したいと思います。

 

関連記事:西郷星と火星大接近!西郷どんが141年ぶりに帰って来た?

関連記事:勝海舟はどんな人?西郷どんの親友、幕末ちょい悪親父の波乱の人生

 

いだてん

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
はじめての三国志 プロフィール画像

はじめての三国志

「ゆるく、たのしく、わかりやすく」をコンセプトにした 歴史エンタメメディアです。
(®登録商標:第5800679号)

-いだてん
-