若い人は大変です。
いつも理想があり、努力しています。
力が伴わなくて焦り悩むこともあれば、理想的な振る舞いをするために大切な何かを失うこともあります。
若くて未来があり美しい彼らが傷だらけで悩んでいる一方で、若さも未来も美しさも50%offのオバチャン(※)が毎日とても幸せそうに笑っていることを不思議に思ったことはないでしょうか。
その謎を解く鍵が、道教の思想書『列子』の中にあるようです。
※本稿におけるオバチャンとは筆者よかミカンを基準とし、それに類似した中年女性群のことを指した言葉であり、中年女性全般のことを指しているわけではありません。
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列子の修行過程を人間の成長過程になぞらえてみる
『列子』の黄帝篇に、列子こと列禦寇先生が無我の境地に至るまでを述べた箇所があります。
思うに、いつも笑顔のオバチャンは無我の境地に達しているから悩みがないのではないでしょうか。
まずは列禦寇先生の体験談を伺ってみましょう。
わしがお師匠から学んだことを話してやろう。
わしがお師匠の老商氏に仕え、伯高子を友としてつきあいはじめてから、三年後には、どうやら心に是非を考えず、口に利害を説かなくなった。
そのとき初めて先生はちらっと一目見てくださるようになった。
五歳くらいまでの子供は傍若無人です。
すこし成長してくると、自己中心的な考え方ではいけないな、と思うようになります。
このあたりが「心に是非を考えず、口に利害を説かなくなった」という境地でしょう。
「あら高いわねぇ。まけてくださらない?」
若いうちは、心の中ではこうしたいということがあっても、空気を読んで我慢してしまうことが多いのではないでしょうか。
オバチャンになってくると、なんにも気負わずに、要望は素直に口に出せるようになってきます。
列禦寇先生の修行過程のこのあたりです。
五年後には、こんどは以前とは違って、ごくしぜんに心は是非を考え、口は利害を説くようになった。
するとそのとき初めて先生はようやく顔をほころばせてニッコリお笑いになった。
絶対に菜々緒さんのように格好良くなることはない
オバチャンになってくると、このさき自分がモデルの菜々緒さんのように格好良くもならなければ五輪の金メダリストにもならないということが分かってくるので、なんにも無理をしなくなります。
分に甘んじるため、挫折もなく、常に心が満ち足りています。
満ち足りているので、是非も利害も眼中にありません。
列禦寇先生の修行における下記の段階です。
また七年後には、心の思うがままにまかせても、ぜんぜん是非を考えなくなり、口のいうがままにまかせても、さらさら利害などは説かなくなった。
すると先生はこのとき初めてわたしをへやに呼び入れて同席させてくださるようになった。
無我の境地
いよいよ列禦寇先生の修行の最終段階です。
さらに九年後には、心の考えたいほうだいに何を考えても、口の言いたいほうだいに何を言っても、それが自分にとって是か非か利か害かも意識しなくなり、先生が自分の師であるとか、かの人が自分の友であるとかも意識しなくなり、また内だとか外だとか自分とか他人とかいって差別する意識もすっかりなくなってしまった。
もはや自分と他人との区別もつかない状態に。
オバチャンってほんと、やりたい放題ですよね。自分が他人からどう見えているかとか気にしない。
そうなってこそはじめて、〔この身は宇宙と一体となって、〕眼はまるで耳のように、耳はまるで鼻のように、鼻はまるで口のようになって、一切の区別はなくなってしまい、五官の機能はすべてが一体となって自由自在となるのだ。
すなわち心のうごきはシーンと静まり、体のこだわりはことごとくほぐれ、骨も肉もすっかりとけあって渾然一体、身の倚りどころも足の踏み場もいっさい意識しなくなり、まるで木の葉か乾いたもみがらのように、風の吹くまま東に西にとさすらい、ついには風が自分に乗っているのか、自分が風に乗っているのかもぜんぜん意識しない心境に達したのだ。
これがオバチャンの幸せの秘訣ではないでしょうか。
世界と対峙する自我というものがないので、何も恥ずかしくないし、不安もありません。
オバチャンは大いなる宇宙の一部として安心しきっているのです。
三国志ライター よかミカンの独り言
つつましやかな自意識を持ち、日々努力を欠かさず、菜々緒さんに勝るとも劣らぬ輝きを放ち、これから五輪金メダルは取らなくてもノーベル賞を取る予定の中年女性ももちろん大勢いらっしゃるはずです。
私はもはやそういう人たちとは別次元の生き物ですな。
世界を人体にたとえるとして、自分が目障りなホクロ毛のような存在であっても、ホクロ毛だってまぎれもなく人体の一部でしょ、と思うと嬉しくさえあります。
若い人から見て、日々何も努力せず醜いくせによく平気な顔して生きているな、と思うような中年はけっこういると思うのですが、そういう人たちの中には私のような人がけっこういるのではないかと思います。
そんな生き様は特におすすめもしませんが、卑下もしませんよ!
参考文献: 小林勝人訳注 『列子』 岩波文庫 1987年1月29日
※記事の中で引用した文章はこの本によりました。ただし、本の中で「始めて」となっている箇所を「初めて」と書き換えました。
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