宋代(960年~1279年)は政治的にも文化的にも発達した時代でした。それは唐代(618年~907年)まで様々なものの担い手であった貴族階級が没落したことに原因があると言われています。貴族が没落したことは、彼らの占有物が一気に下の身分に行き渡ったことになります。今回は有名な宋の3大発明と言われている「火薬」・「印刷術」・「羅針盤」について解説します。
宋代の3大発明「火薬」
火薬は宋代独自の発明品ではありません。硝石・硫黄・木炭を混ぜて作った黒色火薬は古くから中国に存在していました。
ただし、いつ・誰の手による発明なのか不明なだけです。前述の硝石・硫黄・木炭を混ぜた黒色火薬も薬・煉炭(れんたん)のために作成していたのです。要するに兵器として考えていなかったのです。その後、爆発性の火薬も研究されました。最初に実戦に投入されたのは紹興31年(1161年)の采石磯の戦いです。この戦で南宋(1127年~1279年)はを金(1115年~1234年)を打ち破りました。しかし、当初の爆弾は現在の手榴弾のような殺傷能力は無いので、紙製の容器に入れて攻撃していたので威力も全くありません。せいぜい馬を威嚇する程度です。殺傷能力が増すのは元代(1271年~1368年)になってからです。
有名な『蒙古襲来絵詞』に描かれている〝てつはう〟があります。あれは、鉄製の容器に入れて発射していたのでかなり威力が増しました。筒形の大砲が発明されるようになるのは、明(1368年~1644年)以降の話です。
宋代の3大発明「羅針盤」
羅針盤を開発した人物は分かっています。正確には方位磁石です。北宋(960年~1127年)の学者・政治家でもある沈括(しんかつ)という人です。沈括は天文・音楽・医学・法律・・・・・・数えればきりがないほど様々なことに精通した人物でした。
また、王安石(おうあんせき)の新法の賛成者でもありました。沈括の著作『夢渓筆談』(むけいひつだん)という著作には、宋代の化学知識が記されており、羅針盤に関する記述が残されています。また、朱彧(しゅいく)という人が執筆した『萍州可談』(へいしゅうかだん)という著作には、北宋末には航海に羅針盤が使用されていたことが記されています。ちなみにアラビアやヨーロッパで、実用的な羅針盤が使用されるのは13世紀です。中国ではどこよりも早く導入していたのです。
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宋代の3大発明「印刷術」
唐代の半ばまで印刷術はなく、写す時は手書きでした。唐代後半から木版印刷が出来たと言われています。印刷術の発展は宋代になってからです。発展した理由は2つです。1つは科挙(官吏登用試験)です。科挙の受験生のために、書店がテキストを大量に刷って販売していたからです。現在で例えるのならば、「〇〇大学」の赤本と一緒です。もう1つの理由は自費出版のブームがあったからです。
科挙に合格した官僚たちは、儒教の知識を持っていました。そのため、自分の知識を後世に残したいと思うので本を出版しました。学者の朱熹(しゅき)や周必大(しゅうひつだい)という宰相は生涯に5~10冊の書物を出版していました。ほとんどは、知人に配るために出版していたようです。
試験用のテキストも自費出版の本も現在も存在しているので凄いですね。ちなみに、現在と違って当時は書物を出版すれば飛ぶように売れる時代でした。そのため、校正をしっかりとせずに印刷をしていたので誤字や脱字も多かったのです。木版印刷の版木も何度も使用されて痛んでいました。
だから、質の悪い本が出回っていました。その代表的なものは麻沙本(まさぼん)と言われています。麻沙鎮(現在の福建省建楊県麻沙鎮)で作られていたことから、この名称がつきました。麻沙本と言えば〝悪書〟の代名詞として南宋(1127年~1279年)では有名でした。ちなみに筆者は中国の書籍をたくさん持っていますけど、会社によって品質のよいものと悪いもの差がはっきりと出ています。
宋代史ライター 晃の独り言
今回は宋代3大発明に関しての解説をしましたが、どうでしたか。実は宋代は上記のような発明・発展もあったので、〝東洋のルネサンス〟とも言われました。まあ、確かにこれだけの業績は凄いですね。今では信じられないですけど・・・・・・
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