于禁は曹丕のドッキリのせいで亡くなった!?気の毒な于禁のパワハラ話

2019年2月16日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

于禁

 

 

于禁(うきん)曹操(そうそう)に30年以上も仕えていた重鎮(じゅうちん)と言っていい将軍です。しかし彼は関羽(かんう)に降伏してしまい、その後荊州(けいしゅう)を占領した呉へ連れていかれてしまいますが、再び魏へ帰還することになります。于禁が帰還したとき曹操は亡くなっており、曹操の跡継ぎであった曹丕(そうひ)が君主として君臨していました。曹丕は于禁が帰ってくるととんでもないドッキリを行ってしまい、このドッキリのせいで亡くなってしまうのです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



魏へ帰る于禁

眠る于禁

 

于禁は関羽に降伏して蜀軍の捕虜となります。しかし関羽が呉の軍勢から攻撃を受けて敗北し、関羽が劉備(りゅうび)から預かっていた荊州は全て呉の物に。この時、于禁も呉の捕虜となり、呉で暮らすことになります。孫権(そんけん)は当時魏に服従していたため、魏との関係を良好にする証として、捕虜になって暮らしていた于禁を返還することにします。こうして于禁は魏に帰ることになります。

 

 

 

涙を流して曹丕と会見する于禁

残忍な曹丕

 

于禁は魏に帰還すると魏の皇帝として君臨していた曹丕と会見することになります。于禁は魏に帰ってきた当初、髯も髪の毛もすべて真っ白になり、顔もげっそりとやせ細っていました。そして于禁は曹丕と会見したとき、涙を流しながら曹丕に降伏したことを謝ります。

 

曹丕は于禁を責めるようなことをしないで再び将軍に任命して彼を許してあげる器量の大きさを披露。こうして于禁と曹丕の会見は終わることになります。しかし曹丕は彼を表面上許したようにふるまって、実は于禁を許さず、ドッキリを仕掛けるのでした。

 

曹操孟徳

 

 

 

曹操の墓参りへ向かうよう命令を出す曹丕

魏の皇帝になった曹丕

 

曹丕は于禁が呉の捕虜となっていた時期があることから、彼を呉に派遣する使者と選びます。この時曹丕は于禁へ「呉に使者としていく前に父上のお墓にお参りでも言ってきたらどうだ」提案。于禁は曹丕の提案を受け入れて曹操のお墓へお参りに行くことにします。曹丕は優しさから于禁に「曹操のお墓参りに行きなさい」と提案したのではなく、曹操のお墓にあるドッキリを仕掛けていたのです。

 

 

くやしさと激怒をにじませる于禁

于禁を虐める曹丕

 

于禁は曹操のお墓に到着してお参りをしようとする壁に絵が描かれているのを発見。于禁はこの壁の絵を見て激怒しつつも、悔しくなってしまいます。さて曹操のお墓にはどのような絵が描かれていたのでしょうか。それは関羽が于禁に勝っている姿を描かき、龐徳が激怒しながら関羽を睨みつけている姿が描かれていました。更に関羽に降伏している于禁のみじめな姿も一緒に描かれていました。曹操のお墓に描かれている絵を見た于禁は、しょんぼりとして曹操のお墓を後にします。

 

 

于禁死す

 

于禁は曹操に描かれている絵を見て、くやしさと怒りをにじませて家に帰ると病にかかってしまいます。その後于禁は病が治ることなくそのまま亡くなってしまうのでした。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

三国志よりも後年の北宋の時代に登場した歴史家・司馬光(しばこう)は「曹丕は于禁を殺害することもできたし、追放することもできた。にもかかわらず于禁が降伏する姿を描かせて于禁を辱めるやり方は君主のやり方ではない」と辛辣な表現で曹丕のやり方を非難しています。レンも曹丕が于禁に対して仕掛けたドッキリはやりすぎだと思います。

 

曹丕としては、于禁をいじめるつもりで今回紹介したようなドッキリを仕掛けてわけではないと思います。その証左として于禁の息子を取りたてています。

 

曹丕は于禁をいじめるつもりがなかったはずですが、名君として評価されているのですから、やっていいことと悪いことの分別をつけてほしかったなと残念な思いがこみ上げてくるのはレンだけでしょうか。皆さんはどのように思いますか。

 

・参考 正史三国志魏書など

 

関連記事:関羽に降伏した于禁は本当に臆病者だったの?

関連記事:于禁と共に関羽に降伏した浩周と東里袞のその後とは?

 

魏のマイナー武将列伝

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-三国志の雑学
-,