明智光秀は黒田官兵衛のせいで山崎の戦いで敗北した!その理由とは?


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燃える本能寺

 

本能寺の変で織田信長(おだのぶなが)を殺害し、天下人となった明智光秀(あけちみつひで)。その後明智光秀は中国の覇者・毛利家と対陣していた羽柴秀吉(はしばひでよし)の軍勢と山崎の戦いで決戦をすることになります。この戦いで明智光秀は羽柴秀吉に敗北。

 

この戦いの後、明智光秀は落武者狩りの攻撃を受けて討ち死に。羽柴秀吉は明智光秀を打ち破ったことで天下を手に入れるきっかけを手に入れることになります。明智光秀は山崎の戦いで敗北することになりますが、光秀が敗北した原因の一つに天才軍師・黒田官兵衛(くろだかんべい)が関わっていた事をご存知でしょうか。

 

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明智光秀が信長を殺したことを知る

裏切りそうな悪い顔をしている明智光秀

 

明智光秀は本能寺の変で織田信長・信忠親子を殺害。羽柴秀吉は明智光秀が本能寺で信長親子が討たれた時、中国地方の覇者・毛利家が領有している備中高松城を水攻めしていました。羽柴秀吉は備中高松城攻略戦の最中、本能寺の変が起きたことを知ります。

 

なぜ羽柴秀吉は京都から遠く離れた備中で、本能寺で織田信長討たれたことを知ることができたのか。それは明智光秀が毛利家へ本能寺の変を知らせる為、密使を送りますが、羽柴の陣営に迷い込んでしまった事で秀吉の耳に本能寺の変の情報が入ることになったそうです。

 

他にも京都の織田家代官・長谷川宗仁(はせがわ そうにん)が官兵衛の元に送ったとする説もあります。こうした理由から秀吉は織田信長の死を知ります。羽柴秀吉は織田信長の死を知り、家臣の前でワンワン泣いていたそうです。

 


 

黒田官兵衛の策

黒田官兵衛

 

黒田官兵衛は羽柴秀吉が泣いている最中ひとつの作戦を秀吉に提案します。その作戦は「毛利家の和睦」と「中国大返し」です。

この二つの作戦は一体どのような作戦なのでしょうか。


 

官兵衛の作戦その1:「毛利家との和睦」

 

黒田官兵衛は羽柴秀吉へ「毛利家と和睦をするべきです」と提案。羽柴秀吉は黒田官兵衛の進言を採用し、早速毛利家と和睦をするよう行動を開始します。

羽柴秀吉は本能寺の変を知った翌日、毛利家の外交官・安国寺恵瓊(あんこくじ えけい
)
と和睦交渉を行い、和睦内容をまとめることに成功するのでした。

 

もし毛利家と和睦するのが遅れていれば、羽柴秀吉が明智光秀を討伐することが難しくなっていたかもしれません。また毛利家と和睦するのが遅れれば、織田信長殺害を知った毛利家が明智光秀と手を組んで羽柴軍へ攻撃を仕掛けたかもしれません。

 

上記のようになった場合、羽柴秀吉が生き残るのはかなり難しかったでしょう。上記の事を考慮すると黒田官兵衛の策は明智光秀を討つための作戦として大成功したと言えるでしょう。

 

では二つ目の黒田官兵衛が提案した「中国大返し」とはどんな作戦なのでしょうか。


  

 

 

黒田官兵衛の作戦その2:「中国大返し」

黒田官兵衛

 

黒田官兵衛は羽柴秀吉に二つ目の作戦を提案。それは「毛利家と和睦が成立したあと、すぐに撤退してください。」との進言でした。

 

羽柴秀吉は黒田官兵衛の進言を採用し、毛利家との和睦が成立するとすぐに軍勢を撤退し、明智光秀を討伐するため近畿地方へ向けて出発。羽柴秀吉は通常ありえない速さで軍勢を播州(現在の兵庫県)の姫路城まで軍勢を退却させ、その後織田家の諸将を味方につけながら摂津・尼崎に到着。

 

この時点で秀吉軍は光秀軍の1.5倍位になっていました。このように羽柴秀吉は山崎の戦いが行われる前に黒田官兵衛の作戦のおかげで光秀よりも有利な状況を作り出すことに成功するのでした。

 

そして明智光秀は羽柴秀吉が本能寺で信長を殺害してからたった数十日後に摂津まで戻って来たため、しっかりと準備を行うことができませんでした。準備万端の羽柴秀吉と準備不足の明智光秀は山崎の戦いで戦うことになりますが、準備不足の明智光秀の軍勢が敗北したのは言うまでもありません。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

明智光秀が敗北した原因の一つに黒田官兵衛の作戦があったことを今回紹介しましたが、ここでもう一つ黒田官兵衛の作戦をひとつ紹介しましょう。黒田官兵衛は羽柴秀吉と一緒に山崎の戦いに参加。

 

この時、黒田官兵衛は毛利家から旗を20本ほど借りて、戦いが始まると毛利家の旗を自分の陣地に立てたそうです。明智軍は官兵衛の陣営に毛利家の旗が上がった事で、毛利家も羽柴の味方についたのかと誤解し、軍の士気が低下したそうです。上記の黒田官兵衛の作戦は羽柴秀吉が山崎の戦いで勝利した大きな原因とは言えませんが、戦いの勝利に寄与した作戦の一つと数えられるのではないでしょうか。

 

・参考文献 黒田官兵衛 軍師の極意(小学館新書)

 

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【信長を討った明智光秀の波乱の生涯】
麒麟がくる

 

 

 

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