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壬申の乱の内幕、皇位継承を巡る日本古代史上の最大の内戦を解説(第1回)

邪馬台国と卑弥呼軍




コーノヒロさん(はじめての三国志ライター)

 

こんにちは。コーノヒロです。

 

今回は、先回から話題となっています、日本古代史上、最大の内乱と伝わる「壬申の乱(じんしんのらん
)
」について解説していきます。日本古代史上最も有名なエピソードの一つですので、読者もご存知の方が多いかと思いますが、深掘りすると、新たに浮かび上がる説も出てきました。

 

そもそも、両者の間に確執はあったのか?という疑惑さえ浮上しているのです。

探っていきましょう。お楽しみください。

 

自称・皇帝
当記事は、
「壬申の乱 解説」
「壬申の乱 天武天皇」
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日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門

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壬申の乱の内幕を解説

 

まず、壬申の乱(じんしんのらん
)
内幕(うちまく)を簡単に紹介します。

壬申の乱を、一言で申しますと、672年に勃発した、皇位継承を巡る、日本古代史上の最大の内戦です。

 

交戦した勢力は、大海人皇子(おおあまのおうじ)(後の、天武天皇(てんむてんのう
)
[帝]) VS 大友皇子(おおとものおうじ)

でした。

 

大友皇子は、前代の「天皇(※)」の天智帝 (天智天皇(てんぢてんのう))の息子でした。

 

[※当時は、大王(おおきみ)の称号が一般的でした。天皇の称号は、天武天皇が使い始めたと言われていますが、ここでは、天武天皇以前も、便宜上、天皇と表記します。]

 

ちなみに、天智帝は、即位前は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)という名でした。少し時を遡りますと、中大兄皇子は、重臣の中臣鎌足(なかとみのかまたり)と共に、645年に、宮中で、蘇我入鹿(そがのいるか)を殺害し、 その父、蘇我蝦夷(そが の えみし
)
を自害に追い込みます。

 

宮廷の権力を握っていた 蘇我一族を、その中心から追い落とします。これが、『乙巳の変(いっしのへん)』です。この一連の事件により、聖徳太子(しょうとくたいし
)
の生きていた時代より、宮廷内で権力を奮っていた古代豪族 蘇我一族が没落します。

 

代わって 、皇族の中大兄皇子が、宮廷内での権力を高めていきます。そして、ついに 「天皇」に即位し、天智天皇(帝)が誕生します。(668年)

天智帝は、皇子時代から、宮廷権力の中枢でその力を発揮し、中央集権化のための政策を次々と実施していきました。

 

さらに、古代最大の対外戦争として名高い、「白村江の戦い(はくすきえのたたかい)」(663年)にも参加しました。それは、朝鮮半島での異変を受けての参加でした。

 

その異変とは、約600年以上にも渡り続いた、朝鮮半島の「三国時代」の三国の均衡が崩れたのです。三国の一角の「新羅(しらぎ)」が、中国の「(とう)」帝国 の援助を受け、三国のもう一角の「百済(くだら)」を滅ぼしたのです。

 

538年頃に、仏教を倭国(わこく)(日本)へ直接もたらしたのは、百済と伝わっています。そのため、倭国では、百済に縁のある豪族も宮廷周辺にはいたと伝わっています。そのため、弔い合戦への 気運が高まり、遂に、対外派兵することになったのでしょう。

 

結果は、倭国(日本)側の大敗北でした。この「白村江の戦い」は、天智帝が「天皇」即位前の出来事でしたから、即位後は、天智帝への求心力は、すでに失われていたとも伝わっています。

 

そして、「白村江の戦い」から9年後、天智帝即位から3年後に、天智帝は 、明確に皇位継承を決められずに、この世を去ったのです。ただ、これには諸説あります。

 

天智帝の息子の大友皇子に皇位を譲位することを宣言していたという説や、天智帝の皇后であった、倭姫王(やまとひめのおおきみ)への皇位継承が決定していたという説もありますね。

 

ただ、天智帝の息子の大友皇子が、将来的にには皇位継承の流れになっていたのは確かでしょうか。近江(おうみ)(現在の滋賀県)に宮廷が置かれ、天智帝の死後、大友皇子と、その重臣たちが、外交を含め、(まつりごと)を取り仕切り始めたことは、事実だったようですから。

 

ただ、即位の儀式は行っていなかったのでしょう。さらに、天智帝は、弟の大海人皇子(後の天武天皇)に、皇族の将来を託し、大友皇子を守り立てるように、懇願したという説は有力のようです。

 

しかし、大海人皇子は、それを辞退し、逃げるように奈良の吉野山に籠ってしまいます。それは、大友皇子やその重臣たちに、命を狙われていたからとも伝わっています。

 

間もなく、大海人皇子は、急に吉野山から出立します。軍勢を集めながら、大友皇子が住む、近江を目指して進軍を開始したのです。そして、近江や大和の近郊を舞台に、大友皇子の率いる軍勢と大海人皇子が率いる軍勢が激突します。

 

結果は、大友皇子の軍勢が敗退を重ね、最期は、大友皇子が、根拠地の大津宮近くにて、自刃して果てることで、大海人皇子軍の勝利が確定します。

これが壬申の乱の簡単なあらすじです。

 

その後、大海人皇子は、天武天皇(帝)として即位するのです。

 

 

壬申の乱の原因は天智と天武の確執はあった?

 

それでは、いよいよ、「壬申の乱」の原因に迫っていきます。

この原因として、古来注目されてきたのが、兄弟間の確執です。

 

前代の 兄・天智帝と 弟・ 天武帝(大海人皇子)との間に確執があったというものです。

特に、その確執の原因として主に挙げられるのは、以下の三点でしょうか。

 

①恋の三角関係

②天智の息子への執着

③天武の野望

 

①は、絶世の美女と伝わっている、額田王(ぬかたのおおきみ
)
を巡る恋の三角関係です。額田王は、天智帝の妃になりますが、大海人皇子(天武帝)との間に恋愛関係になっていたとされ、天智帝が、それを知っていて、妬んでいたというものです。

 

天智帝亡き後は、額田王は、天武帝の妃にもなるのです。これについては、さまざまな逸話が残っていて、これまで小説や映画などでも取り上げられたでしょう。

 

②は、天智帝の息子への愛情が強く、自らの後継者として、強く願ったという説です。このあたりは、これまでの史実や物語の設定で、頻繁に見られた内容です。特に、ここで思い出されるのは、日本史の中世の安土桃山時代(あづちももやまじだい
)
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が息子の秀頼(ひでより)に対し、非常なほどに愛着を持っていて、関白(かんぱく
)
の後継者として強く願っていただろうというエピソードでしょう。

 

古代の天智帝が、実際に息子への愛着が深かったかどうかは、謎も多いところです。

 

③は、天武帝(大海人皇子)が、皇位継承して権力を握りたいという野望を持っていたというものです。これも、さまざまな物語の設定や史実として指摘されることが多いところでしょう。

 

しかし、この設定が最も有力だったと私的ながら考えるところです。ただし、それは、兄・天智帝への恨みや権力欲とかいう、私的な欲求ではなかったのではないかと思うのです。

 

むしろ、国の(まつりごと)を上手く機能させたいという思いであったのではないかと考えます。

それは、そのとき、日本(倭国)が置かれていた状況に思いを馳せると見えてくる気がします。

 

日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門はじめての邪馬台国

 

古代史ライター コーノ・ヒロの独り言

コーノヒロ(はじめての三国志ライター)

 

以上のように、確執については諸説ありますが、天智帝が、亡くなる直前に、弟の大海人皇子(天武帝)を、枕元に呼び寄せ、政を託そうとした(皇位継承の問題は別として、政治の後見人としての役割を頼んだ)こと。

 

大海人皇子はそれを辞退し、出家し、吉野山に隠居したこと。そして、その大海人皇子の命を狙う者たちがいたこと。

 

これは、事実であったとする説は有力です。それでは、その命を狙う者たちは何者だったのでしょうか?

これを探ることが、壬申の乱の起きた原因を、より明確にすることになるのでしょう。

 

それは国際情勢が深く関係しているのです。

次回をお楽しみに。

 

【主要参考文献】

壬申の乱―天皇誕生の神話と史実 (中公新書)

天武天皇の企て 壬申の乱で解く日本書紀 (角川選書)

内戦の日本古代史 邪馬台国から武士の誕生まで (講談社現代新書)

壬申の乱と関ヶ原の戦い――なぜ同じ場所で戦われたのか (祥伝社新書)

 

日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門

関連記事:卑弥呼は殺されたのか? 戦死か? 老衰か?自殺か?【卑弥呼殺害説】

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【古代日本の誕生秘話】
大和朝廷

 




コーノ・ヒロ

コーノ・ヒロ

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福祉関係の仕事をしつつ、物書きの仕事も色々としています。

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