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黄巾の乱を引き起こした大平道、民衆は彼らに何を望んでいたのか?

2019年5月20日


 

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太平道 黄巾賊

 

三国志(さんごくし)のきっかけとも言われている黄巾の乱(こうきんのらん)、その乱を引き起こしたのはある宗教です。その宗教の名前は大平道(たいへいどう)、つまり黄巾の乱とは宗教戦争とも言える戦争であり、争いだったのです。

 

黄巾の乱に巻き込まれる若し頃の程昱(ていいく)

 

今回はこの大平道(たいへいどう)について知って頂きながら、大平道が目指したのは一体何だったのかを考えていきたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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太平道が生まれたきっかけ

こいつらが悪役達だ!

 

天災、政治の腐敗によって元々低くなっていた漢王朝(かんおうちょう)の権威は地に落ち、民衆の苦しみは増すばかりだった時代に現れた救世主、それが張角(ちょうかく)という人物です。

 

張角は歴史の表舞台に登場

 

張角(ちょうかく)は不思議な術を操ったといわれており、人々の病を治したり、天候を操るという奇跡を起こして回りました。

 

于吉と張角

 

この張角が引き起こした奇跡について、三国志演義(さんごくしえんぎ)の方では「山の中で南華老仙(なんかろうせん
)
という仙人から太平要術(たいへいようじゅつ)の書を授けられた」となっていますが、実際にはどのような経緯で張角がこのような奇跡を起こしたのかは分かっていません。

 

黄巾党員

 

しかし事実がどうであれ張角は当時の民衆から見れば救世主でした。

多くの民衆は張角の元に集まって大きな宗教団体となり、約10年間で数十万の信徒を得ました。

 

太平道の祖・張角(黄巾賊)

 

この宗教団体こそが大平道(たいへいどう)です。

そして彼らは妥当漢王朝の戦、黄巾の乱を画策します。

 

 

 

教祖・張角の早すぎる死

張角逝く

 

黄巾の乱は突発的に勢いで始められた訳ではありません。

入念な準備がされて始まる予定だったのですが、その事前準備がうまくいかないばかりか、何と張角自身が黄巾の乱の開始直後に病死します。

 

茶を飲む張角(太平道)

 

いきなり病死ということもないでしょうから、以前からすでに体調を崩していたのではないでしょうか?

そう考えると事前準備が失敗したのも、張角という指導者が失われたからかもしれませんね。

 

李典と于禁、黄巾賊

 

しかし張角が病死したからといってすべてをいまさらなかったことにはできません。この時には既に漢王朝の方でも討伐軍を結成していましたので、各地で戦が起こります。これこそが黄巾の乱です。

 

しかし既に指導者がいなくなっていた黄巾賊たちは鎮圧されていき、太平道はわずか7ヶ月でその活動を停止することになりました。

 

 

暴走を続ける大平道

黄巾賊

 

しかし、黄巾賊はこれで終わってしまった訳ではありませんでした。

 

寧ろここで終わってしまっていれば、黄巾賊はまだ世の中を変えようとした一つの宗教団体で終わっていたかもしれません。

黄巾賊の目指す方向はどんどんと悪い方向に進んでいってしまうのです。

 

周倉

 

張角、そしてその弟二人という指導者を失ってしまった大平道の信者たち。今だ変わらない政治腐敗に不満を持つ民衆たち。

彼らは黄巾賊という名前を名乗って各地で暴れまわり、略奪などを繰り返しました。

 

怒る村人 三国志

 

この件によって黄巾賊は恐ろしい盗賊の集まりのようなイメージを持たれるだけでなく、当時でも民衆たちは「黄巾賊」を恐れていたといいます。

最初こそ王朝の腐敗から民を救うために結成されたのに、最後は指導者を失って悪に落ちてしまうのは皮肉と言うほかありませんね。

 

 

望まれたのは何だったのか?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

ここで少し考えてみたいのが、民衆は「大平道に何を望んでいたのか」ということです。

もちろん救いを求めていた、現状を変えて欲しかったということもあるでしょう。

 

皇帝いっぱい

 

しかしそこにこの時代にもっとも大事であった「天意」を考えると、ある目的が浮かびます。

天意とは天の意思であり、これは帝にあると考えられていました。

 

竜を追っている石川氏

 

しかし国が乱れると天意は帝にはない、それが例え自然現象であっても天災が起こればそれは帝が天意に認められていないと考えられているのです。

そこに張角、大平道が現れて天候を操るような奇跡を起こした…民衆は大平道に「天意を見出した」のではないでしょうか?

 

だから張角についていったし、そして張角亡き後はその大平道を「利用した」のだと思います。天意は大平道にあるのだから何をしてもそれは天の意思…そういった考えから最終的に大平道は大義名分として利用されたのではないか、と想像してしまいます。

 

求めたのは救いだったのか、それとも何をしても良いという大義名分だったのか…そう考えると、黄巾の乱というのは、とても深い意味を持った争いであったのではないでしょうか。

 

三国志ライター センの独り言

三国志ライター セン

 

この時代の中国では天意と言うのは非常に重く、それは三国志の後半での禅譲(ぜんじょう)の場面でも良く表れています。

 

老子(ろうし)道家

 

三国志の時代ではどのような思想があって、どんな価値観が重要視されていたのか、それを知ってみると一つの場面の見方が大きく変わってきます。

大平道は結果として世を更に乱れさせてしまいましたが、その本質はどこにあったのか…それを知ると共に、三国志当時の世の中も深く知って欲しいですね。

 

関連記事:黄巾賊の組織体制はどうなっていたの?太平道を布教させた宗教団体をミエルカしてみるよ

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黄巾賊

 

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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