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魏志倭人伝とは何?陳寿に感謝!三国志時代の日本がわかる

2019年5月23日


 

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魏みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

 

日本史の教科書でちらっと登場する「魏志倭人伝(ぎしわじんでん
)
」。これが本のタイトルと思っていた読者もいるでしょう。しかし、それは目次の一部。

 

 

船冒険する諸葛直 船

 

当時の()の国からすれば、東の海を越えた日本のことは未知の国の存在だったのです。いわば現代人が「はやぶさ2」で小惑星のリュウグウを調査するような感覚でした。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魏志倭人伝は魏書のほんの一部

晋蜀の産まれ 陳寿

 

三国志(さんごくし)の時代に陳寿(ちんじゅ
)
と呼ばれる公務員がいました。魏志倭人伝(ぎしわじんでん
)
が載っている三国志を書いた人物です。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

彼の三国志の画期的な点は一国からの視点ではなく、「魏書」、「呉書」、「蜀書」の三つに書物を分け、執筆していたことです。あまりの素晴らしさに魏書を執筆していた夏侯湛(かこうたん
)
は、自分の本を破り捨てたという逸話も残っています。

 

陳寿(晋)

 

一般に歴史書は一国の目線、つまり支配者にとって都合のいい情報ばかりが盛り込まれる内容になっており、三国それぞれに分けたという発想が陳寿の称賛される理由です。

 

晋陳寿と卑弥呼

 

そのうちの「魏書」に東夷伝(とういでん
)
という項目があります
東夷(とうい)とは中国からみた東側にある野蛮な国の数々という意味です。魏の敵対勢力になりえる存在でしたから、見下した呼び方をしています。

 

邪馬台国と卑弥呼軍

 

その東夷伝には9つの国の記載があり、一番最後に倭人という項目が存在。その一項目のみを取り上げて、魏志倭人伝としているのです。従って、正確には「三国志 魏書 東夷伝 倭人の項」ということになります。

 

 

 

魏から見た日本の地理

ニギハヤヒ(日本神話)

 

絶賛された陳寿の三国志。日本の自然や衣服、習俗については、再現できるほど細かい内容でした。しかし、地理的状況は実際に行ってみないとわからないのでしょうか。けっこう曖昧です。

 

 

一行は、まず対馬に到着します。そこから南へ海を渡ると「末盧国(まつらこく)」があるとされ、ここは九州の佐賀です。

 

 

そして、南東へ向かうと「伊都国」へ着きます。

 

 

女王がいて現在の福岡県だそうです。さらに南東に行くと小さな国(博多)があり、東には不弥国(福岡県)があるそうです。

 

 

投馬国は船で20日!

丸木舟(弥生時代)

 

そして、注目したいのが「投馬国(とうまこく
)
」です。さきほどの不弥国(ふみこく
)
(福岡県)から海路、つまり船で20日かかって到着したとあります。

 

海を渡ったとあるので、九州以外の四国か本州でしょう。いくら三国時代の船でも福岡から山口まで20日はかかりません。個人的見解では、日本海周りで船は進み、島根か鳥取が投馬国ではないかと思います。理由は江戸時代以前の日本は日本海側が開けており、舶来品もすべて福岡や新潟を経由していました。瀬戸内海や太平洋側を航行した可能性は低いのです。

 

 

新説、邪馬台国は伊勢!?

邪馬台国の卑弥呼はアイドル

 

そして、ついに卑弥呼(ひみこ)のいる邪馬台国(やまたいこく)が登場します。ここは投馬国から海路で10日、陸路で一ヵ月かかって到着。かなりの山奥です。

 

私見では、さきほどの「投馬国」で中国地方に到着していますから、伊勢神宮辺りが怪しいとにらんでいます。一行は若狭湾(わかさわん
)
(京都)に到着し、徒歩で琵琶湖や鈴鹿山脈を越え、伊勢に至ったと推測しています。

 

邪馬台国と卑弥呼軍

 

卑弥呼(ひみこ)は女王になってから、弟のみを側近に置いていました。そして、召使が千人もいたと「魏志倭人伝(ぎしわじんでん
)
」に記されています。伊勢の内宮のご神体も女性で「天照大御神」といい、外宮は男性で農業の神様である「豊受大御神」。

 

卑弥呼が天に召された後、弟とともに神様として伊勢に祭られたのではないでしょうか。

 

歴代皇帝の墓を暴こうとする韓遂の兵士

 

神様として祭れば、墓荒らしに遭うこともなく、神聖さを維持できたはずです。伊勢には山田という地名があり、邪馬台国と発音が似ています。

 

弥生時代の日本の漢字は、すべて発音をもとに漢字が当てられていました。字面より発音を重視するべきでしょう。さらに山田の倭町では弥生時代の竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ
)
が発見されています。

 

魏の皇帝に謁見していた日本の使者

卑弥呼

 

さて、山奥の邪馬台国から曹操(そうそう)のいた魏の国まで使者を派遣していた卑弥呼。

 

難斗米(なしめ)

 

奴隷を10人ほど差し出し、

 

曹爽と卑弥呼

 

「よくぞ参られた。ここまでくるとは感心な人物じゃ。ふぉっふぉっふぉ。」

と言われ、金銀財宝や米を下賜されています。

 

曹叡

 

なお、当時の魏の皇帝は曹叡(そうえい)でした

 

 

三国志ライター上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

三国時代にも日本に文明があったことを証拠づける魏志倭人伝。魏書の中の東夷伝の倭人という項目であったことを知る人は一握りでしょう。

 

晋の陳寿

 

他の項目は朝鮮半島などの国名でしたが、日本だけは倭人という人種で記載されています。きっと著者の陳寿から見ても当時の日本人は宇宙人ぐらい未知の存在だったのかもしれませんね。

 

地球平面説 天動説

 

海の向こうは滝があって、落下してしまうと思われていた時代。日本人を宇宙人と思っていても何ら不思議ではありません。

 

日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門

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日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門はじめての邪馬台国

 

 

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上海くじら

上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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