織田信長はポルトガルを意識していた?世界情勢に魅了された第六天魔王


織田信長

 

戦国時代の風雲児・織田信長(おだのぶなが)。彼は画期的な事を行った事で知られる戦国時代の有名人ですが、日本の戦国時代当時、世界最強の国家・ポルトガルに対してパフォーマンスをしていました。

 

自称・皇帝
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世界最強のポルトガル

 

日本の戦国時代初期、世界の大半を植民地としていたポルトガル。ポルトガルが植民地にしていた支配地域はマニラ、ゴア、マラッカ、など多くの地域を支配していました。またポルトガルと同じくらい植民地を持っていたスペイン。

 

この世界二強のスペインとポルトガルはトルデシリャス条約を締結します。この条約は簡単に言うと世界をポルトガルとスペインで半分にしましょうと言うとんでもない条約でした。

 

その後ポルトガルはインドを支配地にし、ゴアやカリカットを占領してアジア進出の拠点として開拓していきます。

 


 

フランシスコ・ザビエル来日

フランシスコ・ザビエル

 

フランシスコ・ザビエル。この人は日本に初めてキリスト教を布教した人物として知られています。フランシスコ・ザビエルは鹿児島へ到着すると鹿児島を領土にしていた島津貴久へ鉄砲、火薬などを寄付する代わりに、布教させてほしいとお願い。

 

セミナリオ(教会)

 

島津貴久はザビエルのお願いを許し、領内でキリスト教の布教活動を開始します。その後ザビエルは京都へ行って天皇に拝謁しようとしますが失敗。しかし彼は帰りに周防の領主・大内氏へ贈り物を献上し、キリスト教の布教活動を許してもらいます。

 

他にも彼は大友宗麟に拝謁し、領土内での布教活動を許してもらい、キリスト教を布教することに一応の成功を収めます。


 

ルイス・フロイスと織田信長

宣教師 ルイスフロイス

 

ザビエルが去った後、新しい宣教師が日本へと来日。新宣教師の名前はルイス・フロイスと言います。

 

彼は初めに日本の地を踏んだのは九州・平戸でした。ルイス・フロイスはこの地で難しい日本語を勉強しながら、キリスト教の布教を行い、ある程度の成果を得た後、京都へ向かって出発。

 

馬に乗って戦う若き織田信長

 

ルイス・フロイスは京都に到着すると上洛したての織田信長と会見します。

こうして二人ははじめて出会うことになります。


  

 

 

世界情勢を知る織田信長

南蛮胴を身に着けた織田信長

 

織田信長は始めてルイス・フロイスと会見後も、彼を何度も呼びつけて色々な話を行っていました。例えば織田信長はルイス・フロイスへ「君たちはどうして遠い国からやってくるのか」とたずねます。

 

ルイス・フロイス

 

するとルイス・フロイスは「私たちはデウスの意志を日本人へ、日本人を救うために来た」と信長へ返答。他にも織田信長はルイス・フロイスとヨーロッパ諸国の事やインドの事、ヨーロッパ諸国から日本までの旅程や旅程期間、旅程航路など様々な事を聞いていました。

 

世界と日本の広さを知る

火縄銃を気に入る織田信長

 

織田信長はルイス・フロイスから地球儀をもらったと文献にあります。

 

織田信長はルイス・フロイスから地球儀をもらうと世界の広さをすぐに認識し、新しい物好きの彼の興味を大いにそそることに。また織田信長は宣教師・ヴァリニャーノがやってきた時に世界地図をもらって、彼らがやってきた航路の説明を受けます。

 

この世界地図に記載されている日本はとっても小さく書かれていたので、天正遣欧少年使節の少年たちが世界地図を見た時、驚いたと書物に記載されています。しかし織田信長は世界地図に書かれている日本の小ささを見ても驚いたとの記載が無い事から、彼は一層世界に興味を持ったと思われます。

 

ポルトガルへのアピール

 

織田信長は京都で三万の大軍を部下たちに率いさせ、軍事パフォーマンス(馬揃え)を行います。この時、織田信長はキリスト教嫌いの正親町天皇とイエズス会の宣教師・ヴァリニャーノを招待。

 

ついでに織田信長はこの時、ルイス・フロイスから贈られた椅子に座り、紺色のビロードをまとっていたそうです。どうして織田信長は正親町天皇とヴァリニャーノを招待したのか。それは織田信長が日本の覇権を握っている自分とポルトガル王が対等なんだぞとヴァリニャーノへ示すことが狙いでした。

 

更に織田信長はヴァリニャーノが本国へ情報を伝えている事を知っていたので「俺が天皇より上に立ち、これだけの軍事力を握っているのだ。良く見てポルトガルの王へ伝えておけ」と伝えることを期待して、彼に自分のパフォーマンスを見せ、ポルトガルの王に伝える為に呼んだと考えることができると思います。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は織田信長とポルトガルについて紹介しました。

 

織田信長のダイナミックな構想を考えていた可能性を考えると当時の戦国時代の大名の中でも、とんでもない頭の構造をした人物だったことが伺えると思います。そのため織田信長はとんでもない考えを持っていたため、誰からも理解されなかったことをちょっと悲しいと思うのはレンだけでしょうか。

 

■参考文献 中公新書 戦国日本と大航海時代など

 

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