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程昱(ていいく)ってどんな人?気性の荒いおじいちゃん

2015年7月1日


 

程昱(ていいく)

 

曹操(そうそう)の軍師について書いて参りましたが、3人目にご紹介するのは剛胆な参謀・程昱(ていいく)です。曹操より14歳年長の141年生まれ。何と息子の曹丕にも仕えて80歳という長寿を全うしました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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程昱(ていいく)の名前の由来

 

出身は兌州(現在の山東省)東阿県。元の名を程立といい、若い頃に泰山(古来より封禅が行われたり道教の聖地であった山)で太陽を掲げる夢をよく見ており、それを荀彧づてに聞いた曹操は「とても縁起が良く、彼は自分を補佐する人物である」という事で、立の字の上に日を乗せた「昱」と改名させました。

 

黄巾の乱に巻き込まれた程昱

黄巾の乱に巻き込まれた程昱
184年頃より勃発した黄巾の乱を受け兌州も大混乱となり、東阿県では何と県丞(県令の副官)が黄巾賊に呼応するような事態まで勃発します。しかも県令は逃亡。程昱も他の住民と一緒に避難していましたが、城内の賊の統率が取れていない事を見てとった程昱、計略をもって(結構ちからワザだと思います…)追い払う事に成功しました。

 

曹操と程昱の出会い

曹操018
その後兌州刺史の劉岱にスカウトされ、何回か相談役のような事をしますが本格的に出仕する事はありませんでした。192年に劉岱は黄巾の残党に殺されてしまい、代わりに兌州刺史となったのが曹操です。この時の人材発掘で程昱も召し出され、今度はあっさりと応じました。曹操37歳、程昱51歳の頃です。曹操も程昱の事が気に入り、寿張県令代行に任命しました。

 

曹操が程昱を重用するきっかけ

呂布 VS 曹操
翌年に曹操が徐州進行を行った際は荀彧と共に、曹操の本拠地となっていた兌州の守備をします。しかし張邈と陳宮(この頃は曹操配下です)が呂布を引き込んで反乱を起こし、兌州のほとんどを奪われてしまいます。そんな状況下でも人脈・策略を駆使して東阿県ほか2県を死守しました。これ以降、曹操幕下で重きをなし、曹操の軍略にかかせない存在となります。

 

曹操・曹丕の両時代でも重用された程昱


曹丕が長じてからはその軍略顧問となります。曹操と曹丕の微妙な親子関係も上手く取り成すような的確なアドバイスを行っていたそうです。曹操が魏公になる前に程昱は現役を引退します。曹丕が跡を継ぎ皇帝になると復職し厚遇されましたが、同僚との序列争いで免職…

 

程昱は見かけによらず長身で気性の荒いおじいちゃん

 

軍師というと冷静沈着なイメージがありますが、程昱は死ぬまで剛胆の士で、結構他人とぶつかる事が多かったそうです。191cmの体躯に見事な頬&顎髭を蓄えたおっかないオッサン、じいちゃんだったのでしょう。それでもその知力と胆力、潔い質を曹操も曹丕も愛しました。三公に抜擢される寸前に死去した際、曹丕は涙したといいます。車騎将軍を追贈、粛候と諡されました。

 

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栂みつは

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初めましてこんにちは。栂(つが)みつはと申します。10代の頃から三国志にハマり、小説や演義では飽き足らず正史を購入。列伝を読みふけってはニヨニヨする残念な青春を送っておりました。

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