曹操(そうそう)の軍師について書いて参りましたが、3人目にご紹介するのは剛胆な参謀・程昱(ていいく)です。曹操より14歳年長の141年生まれ。何と息子の曹丕にも仕えて80歳という長寿を全うしました。
程昱(ていいく)の名前の由来
出身は兌州(現在の山東省)東阿県。元の名を程立といい、若い頃に泰山(古来より封禅が行われたり道教の聖地であった山)で太陽を掲げる夢をよく見ており、それを荀彧づてに聞いた曹操は「とても縁起が良く、彼は自分を補佐する人物である」という事で、立の字の上に日を乗せた「昱」と改名させました。
黄巾の乱に巻き込まれた程昱
184年頃より勃発した黄巾の乱を受け兌州も大混乱となり、東阿県では何と県丞(県令の副官)が黄巾賊に呼応するような事態まで勃発します。しかも県令は逃亡。程昱も他の住民と一緒に避難していましたが、城内の賊の統率が取れていない事を見てとった程昱、計略をもって(結構ちからワザだと思います…)追い払う事に成功しました。
曹操と程昱の出会い
その後兌州刺史の劉岱にスカウトされ、何回か相談役のような事をしますが本格的に出仕する事はありませんでした。192年に劉岱は黄巾の残党に殺されてしまい、代わりに兌州刺史となったのが曹操です。この時の人材発掘で程昱も召し出され、今度はあっさりと応じました。曹操37歳、程昱51歳の頃です。曹操も程昱の事が気に入り、寿張県令代行に任命しました。
曹操が程昱を重用するきっかけ
翌年に曹操が徐州進行を行った際は荀彧と共に、曹操の本拠地となっていた兌州の守備をします。しかし張邈と陳宮(この頃は曹操配下です)が呂布を引き込んで反乱を起こし、兌州のほとんどを奪われてしまいます。そんな状況下でも人脈・策略を駆使して東阿県ほか2県を死守しました。これ以降、曹操幕下で重きをなし、曹操の軍略にかかせない存在となります。
曹操・曹丕の両時代でも重用された程昱
曹丕が長じてからはその軍略顧問となります。曹操と曹丕の微妙な親子関係も上手く取り成すような的確なアドバイスを行っていたそうです。曹操が魏公になる前に程昱は現役を引退します。曹丕が跡を継ぎ皇帝になると復職し厚遇されましたが、同僚との序列争いで免職…
程昱は見かけによらず長身で気性の荒いおじいちゃん
軍師というと冷静沈着なイメージがありますが、程昱は死ぬまで剛胆の士で、結構他人とぶつかる事が多かったそうです。191cmの体躯に見事な頬&顎髭を蓄えたおっかないオッサン、じいちゃんだったのでしょう。それでもその知力と胆力、潔い質を曹操も曹丕も愛しました。三公に抜擢される寸前に死去した際、曹丕は涙したといいます。車騎将軍を追贈、粛候と諡されました。
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