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武田信玄はエピソード豊富な戦国武将だった理由

2019年7月14日


 

織田信長

 

戦国時代には織田信長(おだのぶなが)徳川家康(とくがわいえやす)伊達政宗(だてまさむね
)
など有名な大名には様々なエピソードが残っています。

 

真田丸 武田信玄

 

武田信玄(たけだしんげん)にも上記で紹介した戦国大名に負けないくらい多くのエピソードがあるのをご存知でしょうか。今回は武田信玄にまつわるエピソードをいくつか紹介したいと思います。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武田信玄は息子に殺されそうだった!?

武田義信

 

武田信玄は長男・武田義信(たけだよしのぶ
)
が未婚だったため、今川家から奥さんをもらい、同盟を結んでいました。

 

若き頃の織田信長に敗れる今川義元

 

ところが、今川家の当主・今川義元(いまがわよしもと
)
が桶狭間の戦いで織田信長に殺害されてしまいます。今川義元の跡を継いだのは今川氏真ですが、あまり優秀じゃない当主でした。そのため武田信玄は今川家との同盟を破棄して、今川家の領土を奪おうと考えます。

 

織田信秀(おだのぶひで)は信長のお父さん

 

武田義信は父・信玄が今川家との同盟を破棄しようとの考えを知り、信玄へ「今川家との同盟を破棄するのは信義に悖る行為だから、このまま同盟関係を維持するべきです」と今川家との同盟破棄に反対。

 

武田信玄も気に入る蘆名盛氏

 

武田信玄は息子・武田義信の意見に賛成することなく、今川家との同盟を破棄する機会をうかがっていました。武田義信は父・信玄が自分の反対意見を聞かないと知ると、自分の味方になってくれる飫富虎昌らと武田信玄暗殺計画を立案します。

 

しかし武田信玄は家臣から武田義信が自分を暗殺する計画立てていることを知り、息子を捕らえて幽閉した後、殺害してしまいます。武田信玄は息子にも命を狙われていた人でした。

 

 

 

武田信玄は戦国最強なんかじゃなかった!!

徳川家康をボコボコにする武田信玄

 

江戸時代の人々は江戸幕府創始者・徳川家康をボコボコにした武田信玄こそ最強の戦国大名として知られていたそうです。そのため江戸時代の武士階層は武田信玄の戦術をこぞって学んでいたそうです。

 

武田信玄と徳川家康

 

武田信玄は上記のように江戸時代から最強のイメージが強く、現代でもこのイメージが崩れることなく残っています。しかし武田信玄は何度も敗北している戦国大名だったのです。

 

武田騎馬軍団 馬場信春

 

例えば1548年武田信玄は自慢の騎馬隊を率いて村上義清と戦いますが、重臣・板垣信方(いたがきのぶかた
)
と甘利虎泰を失う大敗北を喫してしまいます。また武田信玄は上杉謙信(うえすぎけんしん)と五回も川中島で戦いを繰り広げます。

 

武田信玄-vs-上杉謙信

 

ほとんどの戦いは本格的な戦に発展することなくにらみ合いだけでしたが、なんどか戦いが行われたことがありました。川中島の四度目の戦いは武田・上杉両軍が激闘を繰り広げ、武田信玄と上杉謙信が一騎打ちを繰り広げるほどでした。この戦いで武田軍は諸角虎定(もろずみとらさだ)、武田信玄の弟・武田信繁(たけだのぶしげ
)
山本勘助(やまもとかんすけ
)
など多くの有名な武将たちが亡くなってしまいます。

 

 

少年に嫉妬される武田信玄

武田信玄が作った甲陽軍鑑

 

武田信玄は女性も大好きでしたが、女性と同じくらいかわいらしい少年が大好きでした。武田信玄はある日、お気に入りではない違う少年といつもいちゃしていました。

 

すると武田信玄のお気に入りだった春日源助(かすがとらつな)が嫉妬し、信玄の元に仕事に来なくなってしまいます。武田信玄はお気に入りの春日源助へ「私は君以外の人を好きになることはないから安心してくれ」と手紙を送って説得。

 

春日源助は武田信玄の手紙をもらって機嫌を直し、いつも通り信玄のもとへ仕事に来ることになるのでした。

 

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は武田信玄にまつわるエピソードを三つ紹介しました。

 

徳川家康

 

日本の戦国時代は古代中国の戦国時代と同じように多くの逸話を残した大名や武将がいっぱいいます。例えば織田信長や豊臣秀吉、徳川家康、上杉謙信、伊達政宗も面白いエピソードや素敵なお話が残っています。

 

今回の記事をきっかけにして日本の戦国時代のエピソードに触れてみると面白いかと思います。

 

■参考文献 新人物文庫 武田信玄謎解き散歩など

 

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武田信玄

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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