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楚の懐王と項燕が反秦の核に
さて、陳勝と呉広が起こした反乱は挙兵半年で百万人が加わる大乱になりいよいよ、秦の国門、函関谷をうかがう規模になります。
しかし、そんな陳勝の軍勢は、ある時点から急速に勢いが鈍ります。これは陳勝が自ら張楚王を名乗ったためでした。
陳勝は平民であり、本来、王を名乗れるような血脈の男ではありません。
その為に庶民はともかく、秦を打倒する旗頭として陳勝を利用しようとした六国の遺臣や元の王族たちは、陳勝軍に加わる事を躊躇します。
ところが、陳勝が滅びる前に、今度は会稽郡で項梁が甥の項羽を従えて挙兵します。
項梁の父は、秦に敗れて死んだ項燕大将軍であり、楚では代々世襲で将軍を出している名門の家柄でした。
それに加えて、項梁は自らが王になる愚を犯さずに、楚の懐王の孫にあたる心という人物を探して王に立てました。
これは、強力な意味をもつメッセージになりました。
つまり、今回の項梁の挙兵は、秦を打倒し元の六国を復活させる義挙であるという大義名分が立てられたのです。
ここに至って、様子見をしていた六国の遺臣や王族も続々と、項梁の軍に加入して反秦連合軍が結成されます。
これは、形をやや変えた合従軍だったのです。
優秀すぎた楚の人材
ハード面を置くとして、人材というソフト面でも楚は多くの優秀な人材を大量に輩出しています。
漢の高祖、劉邦も、彼を補佐した蕭何も淮陰候韓信も、九江王英布も楚人です。
また劉邦の股肱の臣である、夏侯嬰や曹参、樊噲のような大半の功臣も、故郷が同じなわけで、どこまでも楚人、楚人で構成され、
秦末から漢の建国まで、楚の人材が絶大な影響力を及ぼした事が分かります。
これを見ても、楚の潜在的なポテンシャルが高く、タイミングが合った時の楚の爆発力は長平の雪辱に燃える趙よりも
ずっと上だったと言えるかも知れません。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
始皇帝による天下統一までは、項燕の奮闘以外に見るべき活躍がない楚。
しかし、それは、楚が弱いからではなく、楚が春秋時代の古い氏族制を引き継ぎ一つに団結できなかったからだというのは新しい指摘でした。
そして、秦の支配を受けて、楚が郡県制に組み込まれてしまい、氏族制が解体されると、逆に、秦憎しでバラバラだった力が一つになり
ここに、項羽や劉邦、英布のような楚人の優秀なソフトパワーが加わり、さしもの秦も、500万の兵力を発揮する間もなく敗れた。
こう考えると、楚はキングダムでも最終盤では李牧に代わり、秦の最強の敵として立ち塞がる展開になるのかなと思いますが
読者の皆さんはどのように思いますか?
参考文献:始皇帝中華統一の思想 キングダムで解く中国の謎
史記、戦国策、
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