大人気春秋戦国時代漫画キングダム、622話ではいよいよ龐煖vs信の三度目のリターンマッチが開始されました。二度ある事は三度あると言いますが、これ以上引っ張るとは考えにくいので、何らかの決着が着けられる事を期待したいところです。
それは、そうとして龐煖vs信を丘の上で高見の見物をしていた李牧が、龐煖は人の代表というような意味深な事をカイネに呟いていました。
あんな熊のバケモノみたいな奴が人の代表とはどういう事でしょうか?
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この記事の目次
龐煖は一人ではなかった
龐煖を見ていると唯一の武神のように見えますが、実際にはこのような武の極みを目指す存在は複数いた事が燕の劇辛将軍の言葉から窺い知れます。
劇辛によれば、彼の生誕地の趙には、龐煖のような求道者が住む山があり、若き日の劇辛は里に下りて暴れ回っていた求道者達を斬り捨てていたと言っています。
それが為に劇辛は慢心したのか龐煖の力量を見誤り、待ッという遺言を残して戦死していますが、龐煖のような求道者は一人ではない事が分かります。
では、どうして、キングダムの世界には龐煖のような求道者が存在するのでしょう。
あのようなクレイジー求道者が存在する意味を考えてみます。
龐煖とは世界を調和する破壊神
世界には、地震や台風、疫病のような回避しようがない自然災害があります。
これらは、なんともしようがない理不尽な被害をもたらしますが、恨んだり、怒ったりしたところで、どうしようもありませんので、運命と思って諦めたり、それらの自然の猛威を神格化する事で熱心に信奉して、災害を引き起こさないように祈るようになります。
人の力ではどうしようもない破壊神、龐煖はそんな破壊神の一人ではないかと思います。
そして李牧の考える龐煖の存在意義とは、人は完璧に秩序立った社会の枠組みを破壊せずに、その内側で生活するのが幸福であると分らせる事です。秩序だった社会とは李牧の立場から考えると、頂点に王がいて、その下には諸侯がいて、士大夫がいて、一番最後に農民がいるという夏、殷、周を通じて変化しない封建社会を意味します。
それを守る為には、龐煖が暴れ回り秦を滅亡に追い込んでも、それは無意味な死ではない李牧の理解ではそのようになっているのではないでしょうか?
龐煖は「身の程を知った人」の代表
つまり、秦王政が考えるように、地上から六国の王を無くし、たった一人の支配者の下ですべての人民が法に基づいて平和に暮らすというのは、神世から続く封建の世を破壊する思いあがった行為であり、それを罰する為に天は龐煖を遣わして、これを阻もうとしていると考えているわけです。
李牧の理解では、世界の調和を破壊する異分子が秦であり、これまでの封建の世を続けようというのが多くの人と天の意志です。だからこそ圧倒的な武力で思いあがった秦を打ち倒す事に結果的に手を貸している龐煖は人の代表としているのでしょう。
人の思いは天を殺せるか?
神の遣いである龐煖の絶対的な力に対し、それでも王騎や麃公が対抗でき、王騎に至っては、もう少しで勝てる所まで行ったのは何故でしょうか?
それは、人は人の思いを受け継いでいく事で強くなっていくからです。すべてを捨てて神と同化した龐煖にとって、死は絶対悪であり弱者の証ですが人間は違います。ここで1人が倒れても、それを受け継ぐ人間がいる限り、本当の意味で死ぬ事はないのです。
麃公の遺言の「火を絶やすでないぞォ」は、それを端的に示しています。
麃公は自分が死んでも、自分の意思を信が受け継ぐ事を確信しているから龐煖に殺されるという己の運命を笑って受け入れたのです。それは弱さでも諦めでもなく、思いはリレーされるという真実を心から知っていたから出来る事です。
同じく龐煖に殺された王騎も同じで、新しい強者が古い強者を倒し中華の歴史を回していく事を確信していました。
封建の世は絶対という天の意志を体現する龐煖に対し、中華を一つにしてこの世から戦乱を一掃したいと願う人の意志の積み重ねが勝利できるのかというのが、今回の龐煖vs信の対決に象徴されるテーマなんですよキバヤシさん!!
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