徴兵!近代を背負った成人達の右往左往


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黄海海戦 wikipedia

 

現代日本からは想像もつきませんが、今から75年前までの日本には徴兵制というものが存在していました。それは通常、満二十歳から二年間と定められていたので、成人する事は兵士として国家に奉仕する事を意味していたのです。とはいえ、団体生活で自由の無い軍隊生活に好んで入営する若者は決して多くなく、義務と思って我慢したり、徴兵逃れをしたり右往左往の人間ドラマがありました。今回は近代の成人式と切っても切れない徴兵について考えます。

 

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古代の徴兵防人とは

邪馬台国と魏の兵士

 

徴兵制と言うと、明治六年の徴兵令が有名ですが、実際は古代にも防人という徴兵制が存在していました。西暦663年白村江(はくすきのえ)の戦いで、百済(くだら)・日本連合軍が唐・新羅(しらぎ)の連合軍に敗れ、唐の報復を恐れた大和朝廷は九州の沿岸警備の必要に迫られます。そこで天智天皇の指導の下、唐の制度に(なら)い、701年の大宝律令の軍防令、さらに757年の養老律令において、辺境防備を防人(さきもり)に任せる法制度が整えられます。防人の任に当たったのは、正丁(せいてい)と言われた21歳から60歳までの健康な男子で任期は三年と規定されました。当時は数え年なので、21歳は20歳位になり、およそ成人になる年に兵役が課されたと考えられます。


悲惨な待遇だった防人の真実

疫病が蔓延している村と民人

 

しかし、この防人制度極めて待遇が悪い庶民泣かせの悪法でした。第一に、赴任(ふにん)時の食糧や武器の用意が自腹、おまけに任務にあたっている間は義務という理由で給与もなく、おまけに三年間、年貢(ねんぐ)が免除されるわけでもありません。兵役で働けない間は、残された家族に当人の年貢が押し付けられるのですから、理不尽で極まりない法律でした。

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おまけに防人は、九州沿岸の警備なのにどういうわけか甲斐(かい)相模(さがみ)、三河、伊豆のような東国から防人は選ばれていました。長旅の上に旅費は自腹、さらに任期を終えて帰国する時には、引率の一人もなく現地解散で放り出されました。そのため、やっと任期が終わっても帰り道に迷い、飢え死にしたり病気したり盗賊に殺されたりして、無念の最期を迎える人々もいたのです。流石に東国に偏った負担に諸国から反発が起き、757年以降は九州から徴兵されるようになります。防人は、東国十三国から二千人規模で編成されていましたが、こんな過酷待遇なので士気は最低で、実際に唐が攻めてきても役には立たなかったでしょう。


武士の台頭で防人は自然消滅する

日本戦国時代の鎧

 

防人は、蝦夷(えみし)征伐や九州の新羅入寇(しらぎにゅうこう)などに使われましたが、院政の時代に入ると北面武士、追捕使(ついぶし)押領使(おうりょうし)、それに各地の地方武士団が成立すると維持にコストが掛かる上に士気が低く、庶民の不満爆発な国民軍の防人は消滅し、朝廷はアウトソーシング的に振興武士勢力に軍事を頼るようになります。やがて、保元・平治の乱を経て平家が台頭し政治の実権を握ると、建武新政(けんむしんせい)のような一時を除き明治維新まで650年、職業軍人である武士が国防を担っていきました。


サムライが興した明治政府が徴兵令を敷いた理由

 

 

幕末維新の動乱を経て、天皇を中心とする明治政府が成立すると明治六年、一月十日に徴兵令が施行されます。それまで、薩長土肥(さっちょうどひ)と徳川幕府や東北諸藩のサムライ同士の内戦の中で成立した職業軍人の政権である明治新政府が、一転して、それまで戦う事がなかった農工商を兵士として徴用しようとしたのには、実利的な理由がありました。

山県有朋Wikipedia

 

陸軍卿山県有朋(やまがたありとも)の意見書「論主一賦兵」によると志願兵制は職業軍人の要請になるので、軍人年金や給与、様々な優遇措置が必要になるが、徴兵なら義務なので兵役が終れば金を支払う必要もなく安上りと述べています。しかし、兵役を課される庶民にとっては、徴兵制は迷惑以外の何者でもありませんでした。750年以上、サムライに丸投げだった国防義務を突如強いられた庶民は、二十歳の働き盛りを軍隊に取られてたまるか!と大騒ぎになり、同様に嫌がられた義務教育制と並び、一揆の原因になりました。

 

全然平等じゃない徴兵令

幕末 洋式軍隊の行進

 

それに対して新政府は、二つの理由を挙げて徴兵を正当化します。第一に、徴兵令は古代の防人制に倣ったものであり、日本男児であれば天皇陛下の下で兵士として国防を担うのが当然の義務とし、第二は、明治維新を欧州の市民革命に位置付け国防を独占し特権を有していた武士階級が崩壊して、日本人は天皇の下に平等になったのだから、武士が独占していた国防は平等に国民全体で公平負担すべきという理屈です。

 

しかし、実際の徴兵制は決して平等ではありませんでした。第一に成人男子を徴兵するとなると、どうしても家の存続と利害が重なってしまいます。そこで、戸主(こしゅ)と後継者は徴兵から除外されます。また、近代国家建設には官員と学生も必要不可欠なので、こちらも免除されました。このような情報が伝わると庶民は免除の対象にならない次男、三男を分家、養子縁組、絶家再興、女戸主への入り婿などの様々な手段で徴兵から免除しようとします。

仁川沖海戦で炎上するロシア艦(日露戦争) wikipedia

仁川沖海戦で炎上するロシア艦(日露戦争) wikipedia

 

結果、明治12年には徴兵の対象になる二十歳の成人男性、320,1594人から、287,229名と90%近い成人が兵役を免除されていて、徴兵を国民全体で平等に負担するという政府の言い分は、ほとんど嘘になっていたのです。その後、法律改正などで戸籍を操作した徴兵免除は減っていきますが、そもそも政府でも戦時でない限り、全ての成人男子を兵士にするのは財政的に無理であり、日清戦争の頃でも、二十歳男子人口に比しての実際の徴兵数は5%でしかありません。猫も杓子(しゃくし)も根こそぎ動員というのは、日華事変から大東亜戦争にかけて8年程度の特殊な状況だったのです。

 

徴兵制が議会政治を促した

 

一方で、徴兵令は徴兵される側に政治意識を呼び覚ます事になりました。元々、欧州の市民革命は専制君主である王を倒し、市民が政治の中枢を担う前提で成立していましたが、維新で成立した明治新政府には憲法も議会もなく、維新の功労者である藩閥出身者と官僚による独裁専制でした。そこで高知の民権結社、立志社は国民に自主的に国防を担わせようと考えるなら藩閥の独裁専制を辞め、憲法を置いて議会を制定し、国民の代表により、政治を行うべきだと主張します。

 

 

これには、紆余曲折(うよきょくせつ)も挫折もありましたが、徴兵される側の若者の心を掴み、真剣に国の行く末を考えさせるようになり、自由民権運動として一大ムーブメントになりました。1890年には帝国議会開設、大日本帝国憲法が発布されます。その後日本が対外戦争に勝ちぬき、工業化が進んで豊かになっていくに従い、議会政治は浸透し政党政治、普選法の成立へと進んでいきます。実際に徴兵されたり徴兵される立場になった成人が、納得できる政治を目指した結果、日本の議会政治は民主化されていったのです。

 

吾輩も徴兵は嫌である漱石もやった徴兵逃れ

徴兵から逃れをようと国外に逃亡を試みる日本人兵

 

いかに、実際の徴兵率が低かろうと、やはり選ばれる成人はいるわけです。そこで徴兵を免れる為に無茶な事をする成人も出ました。例えば徴兵は心身健康でないと選ばれないので事前に健康診断があります。そこで、耳が遠いフリ・目が悪いフリや、精神疾患を装う、足を手術して歩行に支障があるように見せかけるものや、醤油を大量に飲んで体調不良を装う、引き金を引く指を切断する等、あの手この手を駆使しました。

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

また、お金がある人は、賄賂を使って軍属扱いを手に入れて後方支援要員として戦地を免れたり、当時は理系の大学に進学すると徴兵猶予があったので、敢えて理系に進む方法もありました。もう一つは、徴兵令が施行されていなかった地域、明治期は北海道、沖縄、昭和期には、台湾、南洋諸島に戸籍を移したり移住する方法があります。

 

 

文豪夏目漱石(なつめそうせき)は東京生まれでしたが、北海道に戸籍を移して徴兵を逃れましたし、ビタミンの発見者である鈴木梅太郎(すずきうめたろう)は、沖縄に戸籍を移して兵役を免れています。台湾は日清戦争の勝利で清朝から割譲され、南洋諸島は日本が第一次世界大戦に勝利しドイツから得た信託統治領ですが、どちらも外地として大日本帝国憲法が施行されなかったので、兵役義務がなく多くの人々が出稼ぎとして移住し徴兵を逃れていたのです。

 

kawausoの独り言

 

徴兵は、近代日本の若者に悲喜こもごもの影響を与えました。徴兵が社会に根付き、日本男子の義務として浸透すると、徴兵検査に落ちる事が甚だしい不名誉と見做されるようになり、家ごと世間から差別されるような風潮が生まれました。ましてや徴兵逃れは、ほとんど非国民扱いを受ける大罪となったのです。一方で無事に兵役を務める事が社会的な信用に繋がり、当人の履歴に有利になるなど正負両面で成人の人生に影響を与えるようになります。

 

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【命がけの成人の歴史】
命がけの成人の歴史

 

 

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