【鉄と日本の二千年史】大陸からこんにちわ!渡来人が伝えた鉄


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はじめての三国志編集長 kawauso

 

鉄は人類文明の維持に不可欠な元素で、人類文明も石器時代、青銅器時代、鉄器時代の三分類です。つまり21世紀の世界は鉄器時代なのです。私達の身近な場所で、鉄を見ない場面はありません。高層ビルの骨組みは鉄筋か鉄骨でどちらも鉄。

三国時代の船 蒙衝

 

車の車体もエンジンも鉄、工場で稼働している機械も鉄であり、船舶も鉄です。つまり鉄がないと現代文明は立ちいかなくなるのです。

 

地球

 

さらに、地球は地殻以外の部分はほとんど鉄でできていて、地球は水の惑星であると同時に鉄の惑星で、鉄は無尽蔵(むじんぞう)に近い資源として人類に恩恵を与えています。

日本に目指さした孫権

そんな鉄が日本にどのように入ってきて、そして定着したか皆さんは御存じですか?

今回のはじ三では、知られざる日本人と鉄の歴史について解説します。

 

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人類はどうやって鉄を知ったか?

始皇帝と星空

 

日本人と鉄の歴史について述べる前に、人類がどうやって鉄を知ったかという点から始めましょう。鉄が地上にありふれた金属である事は解説しましたが、鉄を人類が取り出して使うようになるまでには時間がかかりました。

 

袁術

 

その理由は、鉄は自然界にある時は酸化鉄(さんかてつ)である事が自然だからです。酸化鉄とは酸素と結びついたサビ鉄の事で、鉄はこの状態でもっとも安定します。鉄が()びるのは自然な事であり、だから鉄は簡単に錆びて赤茶けて崩れ落ちるのです。ただ、これでは脆すぎて使えないので、人類が利用する事は久しくありませんでした。

 

一方で、鉄は自然界でも極まれに錆びないで出現する事がありました。それが宇宙からやってくる隕鉄(いんてつ)や、偶々、鉄鉱山の上で山火事が起きたり、溶岩流が鉄鉱石を溶かした場合です。古代人は、隕鉄の黒い石や高温で地表に露出した黒ずんだ石を叩く事で、鉄鉱石から酸素を除去する還元(かんげん)という手法を知り、形を加工した硬い金属を得る事に成功します。

足に鎖をつけられ、鉄の生産に従事させられた渡来人

隕鉄は、一年間で2000個ほど地球に落ちてきますが、大半は大気圏で燃え尽き、地上に到達しません。南西アフリカのホバ隕鉄のように、七十トンの巨大な隕鉄もあるにはありますが、そんなに頻繁に落ちてはきません。そこで人類は、鉄が含まれる鉱山の地表で意図的に木材を燃やして鉄鉱石から酸素を除去し、それを叩いて加工する事を覚え、やがて、炉を築いて、その中で火を焚いて鉄鉱石を溶かして酸素を除去し鉄を生産します。

鉄の精錬は遊牧騎馬民族のヒッタイト王国が開始したとされ、当初は鉄の精錬技術を独占し青銅器しか知らないエジプト等に対して、武器の上で優位に立ちますが、紀元前1200年頃に崩壊、それと同時に独占していた鉄の精錬技術が各地に広まり、世界は青銅器の時代から鉄器の時代へと徐々に移行していきます。


倭国、弁韓の鉄を買い求める

邪馬台国と卑弥呼軍

 

日本に鉄器が入ってきたのは、紀元前300年頃から始まる弥生時代と考えられます。

世界史では青銅器、鉄器と変遷する文明ですが、日本では高度な鉄の精錬術と祭祀(さいし)に使う青銅器の生産をしていた中国や朝鮮半島から、あまり時を置かず青銅器と鉄器が輸入されていたので青銅器と鉄器の変遷は曖昧(あいまい)です。当時、日本における鉄は朝鮮半島の三韓の一つ弁韓から輸入されていたようで、魏志東夷伝弁韓(ぎしとういでんべんかん)の一部にも、

 

国、鉄を出す、韓、(わい)()、皆従ってこれを取る、諸市(しょいち)買うに皆、鉄を用い、中国の銭を用うるが如し、また二郡に供給す

 

幕末 魏呉蜀 書物

 

とあり、弁韓の鉄が日本にも輸出されていた事が分かります。似たような記述は魏書、東夷伝辰韓伝にも出てくるので、ほぼ間違いないようです。また、朝鮮半島との往来が便利な北九州が、鉄を輸入しやすい文化の最新地域として発展した事でしょう。

 

大和朝廷 古代宮殿と邪馬台国

 

弥生時代の日本では、鉄鉱石から鉄を取り出す精錬技術はなく、弁韓で半完成品を買いこれを簡単な炉で溶かして、成形していたと考えられています。その中で、多くの渡来人が鉄の流通や製造に関与していた事が推測されます。

 

卑弥呼

 

弥生時代の中期になると、倭国は騒乱の時代を迎え、後漢書東夷伝倭人項(ごかんしょとういでんわじんこう)にも、騒乱の様子が伝えられ、戦乱を優位に進める為に、農具だけではなく、武器としての鉄の輸入も盛んになりますが、まだ、この頃の鉄は上級戦士が鉄戈(てつほこ)を持っている程度でした。

邪馬台国と魏の兵士

 

それ以外の戦士は、棍棒(こんぼう)や、竹やり、竹鏃(たけやじり)が主流でした。

 

【古代日本の誕生秘話】
大和朝廷


弥生時代中期の製鉄技術

 

弥生時代の初期には、半完成品を輸入していた日本ですが、弥生中期から古墳時代に原始的な製鉄を開始します。当時は山あいの沢のような場所で自然通風に依存して、天候の良い日に砂鉄を集積した上で、薪を何日も燃やし続けて粗雑な鉄滓(のろ))を造りました。

鉄滓はスポンジ状の海綿のような形をしており、これを鉄にするには、再加熱して叩き、鉄滓と余分な炭素を追い出して、鋼鉄や練鉄を造り出していたようです。当時の製鉄は原始的で、炉も高い温度を維持するのが難しく、生産量も微々たるものでした。

しかし、4世紀から5世紀に、大陸から(ふいご)が伝来し、炉の火力が高められるようになると次第に炉は大型化し、鉄の生産量は増加していくようになります。これらをたたら製鉄と言いますが、たたらとは鞴の和名であるようです。

 

七星剣

 

弥生時代の中期から、日本の製鉄は豊富な砂鉄を使ったたたら製鉄であり、元々は露天だったたたら製鉄が16世紀中葉には屋根がついた、永代たたらが開発されて、送風機能も強化されるようになり独自の発展を遂げます。日本で、鉄鉱石から鉄を精錬する溶鉱炉が造られるのは幕末まで待たねばなりません。


鉄器が行き渡り、豪族が生まれた古墳時代

古墳時代服装男女(弥生)

 

農耕経済を中心に発展した弥生式文化が急速に全国に伝播して鉄器が普及してくると、農業生産力が増大し、それが多くの鉄を持つ豪族と、貧弱な石の農具しか持たない農民との経済格差を大きくし、経済基盤が弱い農民は豪族の私有民になるなどして、各地に小豪族が誕生していきます。鉄が間接的に身分制社会の創出に貢献したわけです。

疫病が蔓延している村と民人

大きな力を持つようになった豪族は支配下の私有民を使い、鉄の農具で新田を開発し、用水堀りを各地に造ったりすると同時に、建築様式も高度にして定住も一層強化され、豪族の富は増々増大していくようになります。この優れた、建築、土木、農耕、治水が合わさるようになると、大きな富を世襲で受け継ぎたいと豪族は考え、死後も一族の権勢を民衆に示そうと考えるようになります。

前方後円墳(古墳)

かくして誕生したのが古墳であり、鉄の農具が巨大な古墳の造営を可能にし、多くの鉄の副葬品を埋め、それも古墳時代が進むに従い規模が拡大していきました。

大和朝廷を建国したカムヤマト

 

やがて、林立する豪族同士で武力衝突や吸収合併のような淘汰が進み、最後に残ったのが畿内から九州、東国の豪族の連合政体を築いた大和朝廷だったのです。一方で、鉄は支配者のステイタスとして扱われ、一般の庶民が私有する事はほとんどなく、庶民は使役される場合だけ鉄の農具を貸与され、自分の畑を耕す時には、昔ながらの木や石の農具を使わざるを得ないという状況にありました。鉄の恩恵はかなり偏っていたのです。

 

鉄と財宝を求め倭国は朝鮮半島に侵攻

丸木舟(弥生時代)

 

大和朝廷の成立は、各地の豪族が独自にもっていた外交チャンネルを統一し、製鉄技術の統合が起きる事で、鉄製農具の均質化をもたらします。そして、海外情報の流入は、倭国よりも多くの金銀財宝を持ち、多くの鉄資源と冶金技術を持つ先進地域であった朝鮮半島への羨望と領土的な野心として出現します。

幕末70-8_天皇(シルエット)

 

神功皇后の新羅遠征物語は神話ですが、実際に倭国の軍勢が朝鮮半島に侵攻したのは確実で高句麗(こうくり)好太王碑文(こうたいおうひぶん)()にも、西暦391年に倭国が百残新羅(ひゃくざんしらぎ)を破り、臣民と為すの記述が見えます。

三国志のモブ 反乱

倭国最初の外征には、大量の人員と船や武具、防具、武器のような均一な鉄製品や、侵攻の為の食糧などが必要でしたが、鉄を大量に保有した当時の大和朝廷は、これを為す国力があったのです。こうして、朝鮮半島に版図を得た倭国は、朝鮮半島諸国より金銀財宝、鉄のような資源、そして優れた職人を倭国に持ち帰る事になります。

 

不遇、報われなかった渡来人職工

華佗(華陀)と病人

 

良質な鉄を産出した辰韓は、周辺のどの地域よりも冶金技術(やきんぎじゅつ)が進み、その為に各地から優秀な職工が集まり、鉄を求める人々で(あふれる)れるようになりました。大和朝廷の遠征には、鉄や財宝の略奪だけでなく、それら優秀な職工を倭国に連行する目的もありました。

海からやってくる渡来人

戦利品として倭国に連行された職工は、朝廷に隷属する奴婢(ぬひ)として俘囚臣(ふしゅうしん)という名称を与えられ、砂鉄の産地に強制的に配置されて、鉄の生産に従事させられます。

華佗(華陀)

 

異国で鉄の生産に従事させられた渡来人職工には、常陸国俘囚臣川上部首(ひたちのくにふしゅうかわかみべおび)厳美彦(いつみひこ)や、陸奥国(むつのくに)俘囚臣河上首嘉久留(かわかみおびかくる)河上首達久留(かわかみおびたつくる)等の名前が鉄剣の銘文などから見出せます。彼らの技術は尊敬され讃えられましたが、同時に技術を官が独占する目的から彼らは民間と自由に交流を許されず、厳しい監視と行動制限の下で一生を終える事になりました。古代日本の鉄技術の隆盛には、渡来人職工の涙と無念の歴史も刻まれているのです。

 

鉄の日本史ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

日本における鉄は、朝鮮半島からの輸入から始まり、やがて「たたら製鉄」を通して、日本独自の鉄生産へと進んでいきます。

劉邦時代の農民

 

しかし、一方で鉄は、富と権力の象徴であった為に、豪族の独占物となり、鉄を多く保有する人間と鉄を持たない人間の間に貧富の差を生み出し、一部の特権階級と多数の貧しい庶民を生み出します。

庶民、村人の家

 

庶民には、鉄の農具は高嶺の花でしたが、豪族階級は庶民に鉄の農具を貸与して使わせる事で国力を増幅させ豪族間の淘汰の末に、大和朝廷が成立。遂には鉄文化の先進地である朝鮮半島へ攻め込み、職工を捕らえて虜囚として連行する事で冶金技術を高める事に成功します。日本に鉄の恩恵をもたらした渡来人職工ですが、その技術を独占したいという大和朝廷や豪族の思惑の中で自由は奪われ、尊敬されつつも隔離され、強制的に働かされる哀しい歴史が紡がれたのです。

 

参考文献:鉄から読む日本の歴史 講談社学術文庫

 

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【日本に富と力をもたらした鉄の歴史】
鉄と日本の二千年史

 

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