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【告知】鉄と日本の二千年史をはじめます。

2020年2月20日


病気になった兵士

 

はじめての三国志の読者の皆さん、鉄分は足りていますか?

 

鉄と日本の二千年史_特集バナーver1

 

なんだか最近疲れやすいという皆さんに、特におススメなのが、はじ三プレゼンツ鉄の日本の二千年史です。これを読んで知られざる鉄の日本史を勉強しましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



地球は鉄の惑星、、なのに人類が長らく鉄を使わなかった理由

地球

 

私達が住む地球は、その中核を除いて、ほとんどが鉄でできています。地球は水の星であると同時に鉄の星なのです。しかし硬度があり、ほぼ無尽蔵の鉄を人類は長い間使おうとしませんでした。その理由は自然界にある鉄はほとんど酸化鉄でありボロボロに錆びているからです。鉄は酸素と結びついて錆びているのが普通であり、しかも青銅よりも高い1400℃以上の高温でないと溶けませんでした。

 

人類は、宇宙から落ちてくる隕鉄(いんてつ)や、山火事が起きた時にたまたま熱されて溶解して出来た銑鉄を使い鉄器を造るようになりますが、3500年前にヒッタイト帝国が高温で鉄を熔解する技術を編み出し、ヒッタイト滅亡後には技術が世界中に広まっていきました。

 

渡来人が伝えた製鉄技術

海からやってくる渡来人

 

日本に鉄が伝来したのは、弥生時代だと考えられています。我が国は鉄の後進国であり、青銅器と鉄器がほぼ同時期に大陸から入ってきたので、青銅器時代から鉄器時代への移行が曖昧になっています。

丸木舟(弥生時代)

弥生初期の日本には製鉄技術がなく、朝鮮半島の弁韓から半完成品の鉄を輸入して、それを簡単な炉を使って溶かして武器や農具を造っていましたが、(ふいご)の技術が伝わるに至り、鉄鉱石や砂鉄から鉄を生産するようになります。特に、日本では豊富な砂鉄が取れるので、鉄鉱石よりも砂鉄による製鉄、たたら製鉄が主流になりました。

足に鎖をつけられ、鉄の生産に従事させられた渡来人

 

もちろん、日本に製鉄文化が根づいたのは、大陸からやってきた渡来人の尽力によるものでした。鉄の生産量が増加するに従い、大量の鉄を持つ豪族と、石の農具しか持たない農民の間には甚だしい経済格差が生じるようになり、人々は鉄を持つ富裕な豪族の支配下に組み込まれ、各地に豪族が林立して、日本は動乱の時代に突入します。すなわち鉄の流入が、等しく貧しかった日本に格差を産み出し身分制社会が出現したのです。

邪馬台国と卑弥呼軍

 

やがて、大和朝廷が成立すると、鉄により精強になった大和軍は、海を越えて朝鮮半島へと侵攻していきます、その動機の一つもより質の高い鉄と職工を得る為でした。

 

戦国大名を夢中にした茶釜の不思議

遣唐船(奈良時代)

 

当初は、鉄の鍛造(たんぞう)技術が発展していった日本ですが、飛鳥時代に仏教が流入してくると、仏具や仏像を製作する為に必要な技術として、鋳造(ちゅうぞう)技術が必要になっていきます。この技術をもたらしたは、唐からやってきた中国人やペルシャ人、アラビア人、インド人のような外国人でした。世界帝国だった唐の長安にはユーラシア大陸から技術者が大勢集まっていたのです。

悪徳坊主に搾取される貧しい農民

 

白村江の敗戦で、朝鮮半島から勢力を失った大和朝廷は、逆に唐や新羅の逆侵攻を恐れ、防人を置いて防備し、豪族の勢力を削いで中央集権国家の建設に邁進しますが、内紛が頻発するなど、実力不足もあり頓挫(とんざ)墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)を発布して、公地公民制を廃棄し、土地の私有を認めるようになると各地に荘園(しょうえん)が誕生し、律令制を基礎にした大和朝廷の支配は大きく弱まりました。

荘園に逃げ込む鉄の職工達

 

それに従い、大和朝廷が従属させていた鍛冶職工の支配も揺らぎ、多くの職工が荘園に逃げ込んで、フリーランスの鍛冶職人として活躍するようになり、同時に鉄を生産できる職人がいる地域も一気に拡大していきました。職人の中でも、仏像など国家に欠かせない製品を造っていた鋳物師は神聖視され、天下御免のお墨付きを得て、ギルドを構成して鋳物の価格を吊り上げ地位と富を得ていく存在になります。

鋳物師の看板を持って堂々と道を歩く職人

 

鎌倉時代以降、街道が整備されて旅が容易になると、お湯を沸かし、米を炊き、汁物も出来る茶釜が万能の調理用具として珍重されるようになりました。また禅宗と同時に茶の湯が伝来すると、茶釜は湯を沸かす道具として取り分け高い格を持ち、技術を凝らした茶釜が鋳られ、数寄者(すきしゃ)と呼ばれる富裕な文化人が名物と持て(はや)し競って揃えるようになります。

茶釜にほおずりする松永久秀

 

戦国大名、松永久秀(まつながひさひで)が所有し織田信長(おだのぶなが)が欲しがった古天明平蜘蛛(こてんめいひらぐも)も、そんな名物茶釜であり、鋳物師の技術は芸術にまで高められたのです。

 

おススメ!鉄と日本の二千年史

はじめての三国志編集長 kawauso

 

いかがですか?知っているようで知らない日本人と鉄の意外な関わりが分かる。鉄と日本の二千年史は、2月22日に第一回が配信予定です。これを読めば、鉄分と鉄の知識が一気に吸収できますよ。

 

【配信スケジュール】

第1回目:【鉄と日本の二千年史】大陸からこんにちわ!渡来人が伝えた鉄

第2回目:もっと食糧を!荘園を支えた鉄の農具【鉄と日本の二千年史】

第3回目:【鉄と日本の二千年史】技術立国の先駆け鉄砲を大量産した日本

第4回目:黒船を沈めよ!大砲鋳造と反射炉【鉄と日本の二千年史】

 

鉄と日本の二千年史
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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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