普段あまり意識していませんが、それが無くなったら社会が大混乱するモノにカレンダーがあります。分刻みの電車やバス、飛行機の発車やフライト時刻、会社の出勤時間。商売相手との待ち合わせ、テレビやラジオの時間編成、また農業や漁業のような自然を相手にする仕事もカレンダーなしには、何もすることが出来ません。
そんなカレンダーが4年に一回、閏日を入れて、時間を調整するのはよく知られていますが、これだけ科学の発達した世界なのに、何故ズレないカレンダーを造る事は出来ないのでしょうか?今回は、長くて不思議なカレンダーの歴史を紹介します。
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この記事の目次
人類が完璧なカレンダーを造れない理由
実は、現在科学では全く誤差が無い完璧なカレンダーを造るのは不可能です。何故かと言えば、カレンダーの元になっている太陽や月、一日の時間が決して一定になってないからです。基本的な天体周期は3つあり、それぞれが1日、1カ月、一年間の長さを決めています。
つまり、地球の自転で1日が、月が地球を一周する速度で一カ月が、地球が太陽の周囲を一周する速度で1年が計測され、カレンダーは作成されます。一見すると、それぞれ法則性がありそうな、3つの天体周期ですが、とんでもない、実は、それぞれの時間にはかなりのバラつきがあるのです。
例えば一日は24時間と誰でも知っていますが、これは凡その数値であり、本当は23時間59分39秒から、24時間と0分30秒まで51秒の誤差があります。月の公転周期は朔望月と言いますが、こちらも、29日と6時間から、29日20時間まで14時間の誤差があり、29日と12時間44分3秒というのはただの平均値でしかないのです。
最後の一年の長さですが、こちらは厄介な事に測り方が二つあります。
一つは、天球上で、ある恒星の真向かいにあった太陽が再び、その位置に戻ってくるまで、これを一恒星年と言い、その長さは365日と6時間9分9.54秒です。それとは別に太陽が春分点を通過してから、再び春分点に戻ってくるまでを一太陽年といい、その長さは平均で365日と5時間48分45.96秒です。ところが、地球の自転速度が少しずつ遅くなっているので、一太陽年もそれに従って一年で5秒の割合で短くなっています。
お気づきのように天体は決して、時間ピッタリで運動しているわけではなく、毎日、毎月、毎年、その時間の長さが違っているのです。その為、完璧なカレンダーは造る事が出来ず、常に平均値を取りながら一年を計測しあぶれた誤差については、閏日や閏秒を入れて、修正していく事しか出来ないのです。言い換えると、カレンダーとは正確に天体の運行や地球の自転を表しているのではなく、複雑な天体運航をザックリ単純化し理解しやすくした極めて作為的な出版物と言えますね。
太陰暦はどうして生まれた?
世界に初めて誕生した暦は朔望月を基準とする太陰暦でした。理由は簡単で、強烈な光線を発する太陽と違い、月は容易に観測が可能だったからです。古代人は満ちては欠ける月を観測している間に、それは29日で一巡して新月になり、さらに新月が12回繰り返されると季節が一巡する事に気づきました。
そこで、古代人は1年を12の朔望月に分け、354日を一年としてカレンダーを産み出します。このような太陰暦を産み出した文明には、メソポタミア、ギリシャ、中国、エジプトがあり、数千年も昔から存在した事が分かっています。
太陰暦は、月の満ち欠けに関連する仕事をする漁民や遊牧民には問題なく使えましたが、一年である365日と比較すると、11日日数が足りないので、5年も過ぎるとすぐに農業に支障を来しました。そこで、四年に一回、閏月を挿入する事で遅れた太陰暦を太陽暦に近づける太陰太陽暦が発明される事になります。
紀元前5世紀、古代ギリシャの天文学者のメトンが、太陰暦と太陽暦を換算している途中に、19太陽年が228朔望月にほぼ等しい事を発見します。228朔望月は、19太陰年である事から6726日、一方で19太陽年は6935日なので、6935-6726=209日で、その差は209日になります。こちらを7で割ると29.85になり、ほぼ太陰暦の一朔望月に近くなりました。かくしてメトンは太陰暦を太陽暦に近づけるには、19太陰年につき7回の閏月を挿入すればよい事を導き出しました。
ギリシャの人々はメトンの発見に非常な賞賛を寄せ、古代オリンピックが開かれた紀元前432年、アテネ神殿にメトン周期を金文字で刻み込みました。これは太陰太陽暦と呼ばれ、メトンの名前を冠してメトン周期と呼ばれるようになります。次第に季節がズレるのが悩みの種だった太陰暦は、こうして太陰太陽暦として生まれ代わったのです。
太陽太陰暦を完成させたユダヤ人
ところが、古代ギリシャ人はメトンを賞賛しておきながら、メトン周期を厳密に使おうとはしませんでした。閏月はたまにしか挿入されず、カレンダーはズレたままだったのです。この、メトン周期を取り込んだ太陽太陰暦を完成に近づけたのは、紀元4世紀のユダヤ人でした。元々、ユダヤ人は太陰暦を使っていましたが、ペサフという宗教儀式を行う上で、どうしても季節と暦を正確に一致させる必要があったのです。
ペサフとは、彼らの祖先のヘブライ族が族長モーゼに率いられてエジプトを脱出した時、その出発が慌ただしかったので、パンに酵母を入れる暇もなく、膨らませていないパンを食べた苦難の歴史を伝承する為の儀式でした。元々ペサフは3月から4月の二サン月、大麦が実る頃に行われていましたが、純粋な太陰暦では、太陽暦と毎年11日も日付がズレていくので、暦ではペサフになっても、まだ大麦が実っていないという事態が起こりました。そこで、最高法院は二サン月に大麦が実らない場合には、もう一度、二サン月を挿入してペサフをしていたのですが、西暦359年、大祭司長ヒレル2世がユダヤ暦にメトン周期を織り込んだ精巧な太陽太陰暦を産み出し、世界中に離散したユダヤ人に配布して、同じ日にペサフを行えるようにしたのです。メトン周期は、バビロニアや中国でも独自に発見され、太陽太陰暦は非常に使い勝手が良くなったのです。
太陽暦を産み出した古代エジプト人とマヤ人
太陽暦の時の区分は、地球の公転によっておこる太陽のみかけの運動に基づきます。そのサイクルは植物が枯れ、再び芽吹くまでのサイクルであり、1万年前から開始された農業社会に重要な影響を及ぼしました。この太陽暦は古代エジプトとマヤ文明において産み出されています。古代エジプト人は、少なくとも5000年前には太陽暦を完成させていました。エジプトもマヤも、肥沃な土地を持つ農業国であり農業を順調に営み食糧を確保する為に、太陽暦を整備する事は国家の死活問題だったのです。
古代エジプト人は、時の区分をビジュアル的に分かるようにし、カレンダーを分かりやすくする点でも大きな功績を残しました。それは、例えばナイル川の増水と天空のシリウスを結び付けた点にも見えます。
70日間天空から姿を消していた大犬座の主星のシリウスが、日の出の太陽と共に東の空から昇ってくる時期が来ると、間もなくナイル川の増水が始まる。増水が最高水位に達した時、水路を通して畑に導き、そのまま水門を閉じ深さ1メートル前後の溜池にし、40日から60日放置せよ。やがて肥えた土は畑に積もり土壌中の塩分は暖められた水と一緒に貯留水に溶け込む。本流の水位が下がったら水門を開けて一気に排水すれば、後には肥沃で塩分が適度に抜かれた農地が残るだろう。
古代エジプトでは、日の出と共にシリウスが天空に出現する7月末から8月末頃を新年の始まりの日とし、豊かな収穫を約束された日として盛大に祝いました。そして、12カ月を増水季、冬季、乾季の三季に分け、作物である麦の生育サイクルに適合させ、増水季は農閑期とし、冬季は種をまき乾季は収穫しました。こうしてビジュアルでも分かるようにカレンダーを星やナイルの増水と結びつけた事で、文字の読めない庶民でもカレンダーは理解しやすくなったのです。
古代エジプト人は一年を365日と算出したものの、これは実際の地球の公転より1/4日短かく、また閏年を発明していなかったので、次第に実際の季節とカレンダーはズレて行きました。しかし、シリウスの再出現とナイルの増水が新年の幕開けというのは自然現象として一目瞭然だったので、カレンダーのズレは、大きな問題にはなりませんでした。
一日を24時間、一日の始まりを真夜中にしたのは誰?
太陽暦と太陰太陽暦について述べてきましたが、では、一日を24時間と決めたのは誰なのでしょうか?
一日を24時間と定めたのは古代バビロニアの天文学者だと言われています。彼らは、12朔望月がほぼ一太陽年に当たる事から、一年が12に分かれるなら、一日も12に分けるべきではないかと考えて、昼と夜を12時間ごとにして、一日を24時間としたようです。また、古代バビロニアは60進法を使っていた事も大きな理由だと考えられています。12は60の約数だからです。
一日の始まりは、各文明により異なりました。ユダヤ、イスラム、中国の暦では、一日は日没と同時に始まり、古代エジプトやインドのカレンダーでは、日の出と共に一日が始まりました。一方で古代ローマのカレンダーでは、一日の始まりを真夜中の12時にしていました。これはローマ人の合理的な精神によるもので、一日の始まりは、昼と夜から均等に離れていないといけないという考え、それが世界標準になったのです。
kawausoの独り言
私達にとって身近なカレンダーは、決して21世紀の天文学だけで造られたのではありません。農耕が始まるようになってより、多くの先人が無数のカレンダーを造り、無数のアップデートを繰り返して現在に至ります。面白い事に現代人は、古代バビロニア人のやり方に倣い、一日を24時間とし古代ローマ人の決めた真夜中を一日の始まりとして毎日暮らしているのです。面白いですね。
参考文献:暦の歴史 創元社
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