中二病万歳!革命暦が廃止された理由


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農民達に踏みつけられる革命暦と落ち込む革命家

革命暦(かくめいれき)というワードほど中二病と親和性が高いものはないでしょう。革命暦○○年!と聞くだけで自由を求めて決起する市民の姿と、整然と隊列を組み正義の旗の下に容赦のない銃撃を加える革命軍兵士の様子が浮かんできます。ところが、いかにも空想科学っぽい革命暦、実際にフランス革命の最中に採用されていた事をご存知でしょうか?

 

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フランス革命はカレンダーの革命でもあった

 

フランス革命がアンシャン・レジーム(旧体制)の打破を目指して決行された事はよく知られています。革命以前のフランスは、聖職者・貴族・市民と農民の3つの身分に分かれていました。この中で、第一身分と第二身分である聖職者と貴族には課税がされず、おまけに各種の特権で守られ、重税は第三身分である市民・農民にだけ課されていたのです。

 

この不公平は年々激しくなり、不公平是正を唱える第三身分は三部会の招集を要請しますが、貴族や聖職者が自分達の税負担を拒否したので、第三身分の不満が爆発、革命に至る事になりました。

 

貴族と聖職者をフランスから追い出し、国王をギロチンに掛けてフランスの実権を握った第三身分の主導者である新興中産階級(ブルジョアジー)は現実に合わせて、カレンダーも革命しないといけないと考えるようになります。それは、当時のカレンダーであるグレゴリオ暦が、密接にキリスト教に結びつき、同時にブルボン王朝の権威付けに利用される、極めて宗教的かつ政治的な産物だったからです。

 

第三身分の政府を樹立した以上、忌むべき封建制のカスであるグレゴリオ暦は破壊され、自由で平等な共和国に相応しい、全く新しいカレンダーに生まれ変わる必要があったのです。


全て十進法で動く革命暦の誕生

セミナリオ(教会)

 

新しいフランス共和国の栄光の時代を刻むと賞賛された革命暦は、1793年10月5日、ロベス・ピエールを首班とするジャコバン派の恐怖政治の真っ最中に発布されました。革命暦は、迷信に満ちた過去の暦と決別する為、徹底して科学的に制定されます。例えば、革命暦では時は十進法で全て割り切れるように計算されていました。

 

すなわち、1分は100秒、1時間は100分、1日は10時間と決められ、1カ月は平等にすべて30日とされ、10日を単位として、3つの期間に分けられました。つまり、革命暦では、一週間は10日とされ、同時に主日(日曜日でキリストが復活した日)は撤廃されました。

 

1日10時間とは、何も1日10時間で生活するという意味ではなく、24時間の区分を10時間に直すという事で、それにより正午は5時、真夜中は10時となりました。つまり、24時間で計算すると1日は1440分ですから、これを10で割ると144分になります。

 

この144分を1時間とし、14.4分を10分とし、1.44分を1分にし、1・44秒を1秒にしていけば、24時間を10時間で問題なく表す事が出来るのです。革命暦では、全ての月を30日にして、余る5日については、サン=キュロット(労働者)の日として、年末に置き、後はグレゴリオ暦と同じように4年に1日、閏日が挿入されます。ただ、一年を10カ月にする事は流石に出来ず、ここは12カ月になりました。

 

次に革命政府は、360日に共和国にふさわしい名前をつけようと考えます。グレゴリオ暦では、それぞれ聖人の名前がつけられていた日々を司祭の死体置き場と罵倒し、出来るだけ宗教色の薄い名前を考えた結果、360日には、植物や動物、農具の名前が割り当てられる事になります。

それにより12月25日のクリスマスは、犬の日と変更されました。馬小屋で生まれたイエスと母マリアは、革命暦では犬に追い出されてしまったのです。同時に共和国フランスを象徴し記念する日として、バスチーユ監獄襲撃記念日や、王制崩壊記念日、共和制宣言記念日などの祝日も制定されました。

 

さらに、12の月には、宗教色を排した詩的で情感豊かな名前が冠される事になります。

 

春:芽月(ジェルミナル)  花月(フロレアル) 牧草月(プロレアル)

夏:刈月(メシドール) 熱月(テルミドール) 実月(フリュクティドール)

秋:葡萄月(ヴァンデミエール) 霧月(ブリュメール) 霜月(フリメール)

冬:雪月(ニヴォーズ) 雨月(ブリュヴィオーズ) 風月(ウァントーズ)

 

葡萄月や熱月、霧月は、フランス革命を扱う書籍ではかなり頻繁に目にすると思います。これらの呼び名が、過去にフランスに革命暦が存在した名残なのです。


たった12年で廃棄された革命暦

 

迷信と因習を打破し、キリスト教の(くびき)から人民を開放すべく制定された革命暦。しかし今後、何世紀も続いていくだろうと考えられていた自由と平等と科学と合理のカレンダーの寿命は、僅か12年に過ぎませんでした。革命暦が失敗した理由は、皮肉な事に革命暦が農民にとって全く合理的ではない事でした。フランスの農民は、五月の祭りや聖ヨハネの火祭り、守護聖人の祭日を懐かしがり、決して止めようとはしなかったのです。

ルイス・フロイス

 

特に、革命家達を悩ませたのは、農民たちが共和国の定めた旬日最期の第十日(デカディ)を守ろうとせず、逆に因習に(まみ)れた主日(しゅじつ)(日曜日)を墨守した事です。共和国の農民たちは、主日になると警官に注意されようが、出頭させられようが仕事を休み、一張羅(いっちょうら)で着飾って司祭がいようがいまいが教会に集って祈りを捧げ、それが済んだら、輪投げをし、ペタンクをし、ブランコをし、若い男女がダンスを楽しみました。もし、共和国市民として忠実に主日を無視して働こうものなら、「この不信心者め!」と全員から罵られたのです。

 

逆に共和国政府が人民の休日と定めた第十日には、誰も着飾って遊ぶ人間はなく、全員が汚い作業着を着て、仕事に勤しみ、誰も休もうとはしませんでした。

東京五輪でテロ対策をしている警察や警察犬 いだてん

 

共和国政府は、強制的にでも革命暦を守らせようと、警察に監視の目を光らせますが、すでに革命暦を見限った人々は、第十日には逆に公権力を見張るようになり、警察が仕事をしている現場に踏み込んだ時には、作業場はもぬけのからというのがしょっちゅうでした。こうして守る人がいなくなった革命暦は、最も不人気な十進法の第十日から次第に廃止されていきました。

 

逆に破棄されたグレゴリオ暦は息を吹き返し、潮目(しおめ)が変化した事を見て取ったポピュリストのナポレオン・ボナパルトは、革命派と教会との対立和解に動き出します。かくして、共和国暦第13年実月15日、(1805年9月9日)革命暦は正式に廃棄され、1806年1月1日、一度は廃棄されたグレゴリオ暦はしぶとく「復活」したのです。


革命が生み出したカレンダーガール

 

12年で頓挫した革命暦ですが、一方で革命暦が生み出して現代まで続いているモノに、カレンダーガールがあります。カレンダーガールとは、ピンナップ写真とカレンダーが合体したグラビアアイドルのポスターのような形式の暦ですが、このカレンダーと美女の取り合わせが最初に実現したのが革命暦カレンダーだったのです。

 

フランス革命が保障した自由と平等は、男性にのみ認められたので、革命暦の配布先も、やはり男性という事になります。そこで、グレゴリオ暦とは大分違う革命暦に馴染(なじ)んでもらうには、味も素っ気もないカレンダーよりは、カレンダーの前面に、明るく健康的で豊満な肉体を持つ若い女性の絵を配置する方が、男はスケベ心で何度も眺めるだろうと考えたのです。

 

このカレンダーはファーブル・デクランティーヌ、詩人のシェニエ、画家のダヴィド等の手により開発され、男性心理を読み切った合理的な判断が功を奏し非常に大当たりしました。そして、現在最も流布しているカレンダーの原型になったのです。

 

kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

絶対王政と密接に結びついた教会は、第三身分の革命家達によって打倒すべき敵でした。そして、その支配に利用されたグレゴリオ暦もまた、破壊されなければならない旧時代の遺物だったのです。

 

革命家たちは、宗教色を排し、科学と数学的に正しい基準で十進法に基づいた革命暦を造りましたが、彼らは1400年以上続き欧州の文化に根付いてしまったキリスト教の慣習を甘く見ていました。農民達は、威張り散らす司祭は大嫌いでしたが、農業に深く関係し、農民の生活に密着したグレゴリオ暦には深い愛着があったのです。

 

そんな農民達にとり、科学的・数学的に正しいだけの革命暦など、押し付けられるだけ迷惑な存在でした。そこを読めなかった所に革命の大きな挫折があったのです。

 

参考文献:暦の歴史 創元社

 

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