孔明は車椅子に最初は乗っていなかった!諸葛亮のトレードマークは嘘?


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孔明

 

三国志演義後半の主人公、諸葛孔明(しょかつこうめい)、彼のトレードマークと言えば、頭巾(ずきん)と白羽扇、そして四輪の車椅子でしょう。三国志演義で車椅子で移動しているのは、孔明一人であり、それがキャラクターを引き立てています。いかにも孔明が最初から使ってそうな四輪の車椅子、実は最初に登場した時には、四輪ではなかった可能性があるのをご存知ですか?


初登場する諸葛亮の車椅子は四輪じゃない

車に乗る諸葛亮

 

諸葛亮のトレードマークである四輪の車椅子、それが初登場するのは、三国志演義第三十九回、荊州城に公子三度(はかりごと)を求め、博望坡に軍師初めて兵を(もち)う。です。この戦いで諸葛亮は、曹操軍の重鎮、夏侯惇(かこうとん)趙雲(ちょううん)劉備(りゅうび)(おとり)にして誘い出し、草木が生い茂り狭い袋小路に押し込んで火をつけて大いに破ります。

 

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

最初は孔明の軍略を疑っていた関羽や張飛も、鮮やかな孔明の手並みに驚き、その後は絶大な信頼を寄せるのですが、そこで初めて諸葛孔明が車椅子で登場します。では、三国志演義のその場面を書き出してみましょう。

 

さて、孔明の方も軍を引き取ったが、関羽・張飛の二人は「孔明はまったく、ただ者じゃないなぁ」と話し合っていた。数里ほども来ぬうちに、麋竺(びじく)麋芳(びほう)が軍をひきい、一台の小さな車を押して来るのが目に入った、車の中に端座(たんざ)している人は、これぞ孔明である。両人は馬を下りて、その車に拝伏した。

 

下線の所を見て下さい、一台の小さな車とあるだけで四輪とは書いていません。また、車の中に端座とは、車の中で上半身を真っすぐにして座るという意味でこの車は露天ではなく覆いが掛けられているような描写です。

 

同年小録(書物・書類)

 

ちなみに、この部分三国志演義の原文では下記の通りで

 

卻說孔明收軍、關・張二人相謂曰:「孔明真英傑也!」行不數里見糜竺・糜芳引軍簇擁著一輛小軍、車中端坐一人、乃孔明也。關・張下馬拜伏於車前。

 

原文でも、一輛小軍(いちりょうしょうぐん)とあるだけで四輪車とは書いていません。


三国志演義五十二回から車椅子四輪車が登場

洛陽城

 

最初は、四輪車という記述はなく、ただの車だった諸葛孔明の車椅子ですが、それから十三回後の、第五十二回、諸葛亮(しょかつりょう)()もて魯粛(ろしゅく)(こば)み、趙子龍(ちょうしりゅう) (けい)もて桂陽(けいよう)を取るで、初めて諸葛亮の車椅子が四輪になります。

 

以下は、三国志演義の文です。

 

刑道栄が軍を率いて進み出て、得物の大斧を手に大声で敵陣に呼ばわる。「漢に仇なす賊共め、易々と我が領地は渡さぬぞ」かくして敵陣を睨みつけていると、黄色い旗が起き上がり、旗指物の軍列が開き、兵卒に推された四輪車が進み出た。車の中には1人の人物が端座していた。頭には綸巾(りんきん)を頂き身には鶴氅(かくしょう)を着て、白羽扇を扇ぎつつ刑道栄に言うに「私は南陽の産にて諸葛孔明なり。

 

下線を見て下さい、39回では小さな車としか描写されなかった車椅子が、四輪車と明確に記述されています。また、相変わらず車の中に端座とあるので、車椅子の上部か側面にはなんらかの覆いがあると考えられます。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

こちらも原文では

 

道榮出馬、手使開山大斧、厲聲高叫「反賊安敢侵我境界!」只見對陣中、一簇黃旗。門旗開處、推出一輛四輪車。車中端坐一人、頭戴綸巾、身披鶴氅、手執羽扇、用扇招邢道榮曰「吾乃南陽諸葛孔明也。

 

このようになっていて、ちゃんと四輪車と書かれています。

 

【孔明没後も続く!はじ三三国志演義全史】
全訳三国志演義


孔明の車椅子は短期間でモデルチェンジした

夜の五丈原で悲しそうにしている孔明

 

このように、三国志演義三十九回と五十二回では、孔明の車椅子の描写が違います。kawausoは、この描写の変化について、孔明の車椅子がより使いやすいようにモデルチェンジしたと考えています。kawausoが参考にしている三国志演義は絵本通俗三国志という幕末の挿絵(さしえ)つき本です。挿絵は北斎の弟子の葛飾戴斗(かつしかたいと)ですが、第三十九回で戴斗は諸葛孔明の車椅子を描いているのです。

 

この車椅子、横山三国志のお馴染みの露天の手推し式の四輪車椅子と違い、C形の天蓋がつき手推しではなく、車輪の先に(ながえ)がついているのが分かります。この形式だと、轅の先で牛か馬か人が引くしかなさそうです。また、車輪も二輪で人力車のように見えなくもありません。

 

糜竺(びじく)

 

また、三国志演義三十九回の原文を見ると、糜竺・糜芳引軍簇(いんぐんぞく)擁著(ようちょ)一輛小軍(いちりょうしょうぐん)とあります。擁著とは、抱きかかえるようにして守るという意味で、麋竺と麋芳は、諸葛亮の人力車のようなタイプの車椅子を抱き抱えるように護送したと取れます。推して移動したという描写もないので、この段階では戴斗が描いたように、牽引式の車椅子だったのではないでしょうか。


諸葛亮が目立つように改良

舌戦で煽るのがうまい諸葛亮孔明

 

葛飾戴斗が描いたような牽引式(けんいんしき)の車椅子だと孔明の前に無関係な兵卒が立つ事になり、目立ちたがりの諸葛亮の舌戦の邪魔になります。それに牽引式では、手推し式よりも小回りが利かない気がしますから、上手に逃がすのにも難があります。

 

 

最後の諸葛孔明そっくりの木像も、牽引式ではドナドナっぽくなりますしその為、諸葛亮を目立たせる方向で描写が変わり、例えばYOSHIKIがドラムを全て、シースルーにしたような感じで車椅子のマイナーチェンジを果たしたのだと思います。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

孔明の車椅子と言いましたが、正史三国志の諸葛亮伝には車椅子のくの字もありません。車椅子は三国志演義だけの創作物なのです。

 

参考文献:完訳三国志  岩波文庫

 

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