【古代オリンピックの舞台裏】一攫千金を夢見たアスリートとコーチのスポ根物語


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一攫千金を夢見たアスリート(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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コーチも欲望まみれ

 

アスリートが欲望まみれなら、コーチもまた欲望まみれでした。彼らはスポーツを愛し、同じように富と名声を愛し、死ぬまで添い遂げる事を熱望します。古代オリンピックでは競技におけるコーチの名誉が尊重され、トップクラスの指導者の名前はオリンピックの勝利者の名前と共に記念碑に刻まれた程でした。

 

そればかりかコーチは、祝賀会では選手の隣に座り、凱旋行進でも選手の傍らを歩きます。まさしく選手でも金、コーチでも金でした。こうして高い知名度を得たコーチの門前には指導を仰ぐアスリートが大金を積み上げ、○○流オリンピック勝利の方程式なんて教本でも書こうものなら、コーチを頼めない貧しいアスリートのバイブルになり飛ぶように売れました。言ってしまえば、コーチもコーチで欲望まみれだったのです。

 



選手のやる気を引き出すコーチのテクニック

 

いかに素晴らしいトレーニングを施してもオリンピックの晴れ舞台で戦うのは選手です。コーチはコーチ席で選手同様に、全裸フルちんで大声で叱咤激励するより方法はありません。当たり前ですが手を貸せば失格です。

 

そこでコーチは、声で選手の士気を奮い立たせる多くのテクニックを持ちました。紀元前520年のオリンピック大会でボクシングに参加したグラウカスは、顔に何発もパンチを喰らい意気消沈、片手を高々と掲げて指を立てギブアップしようとしていました。

その時コーチがグラウカスを激励します。

「バカ野郎、グラウカス前を見ろ、あいつは(すき)だ、お前が伸ばした曲がった鋤のように、あの野郎も伸ばしちまえ」

 

グラウカスは膂力(りょりょく)に優れ、少年時代、折れ曲がった金属の鋤をヒットマッスルで真っすぐ伸ばした事がありました。それを思い出しグラウカスは士気を奮い立たせます。

 

「そうだ、こいつは鋤だ!俺が伸ばした鋤だ!また、ぶちのめしてやる」

 

ここから甦ったグラウカスの強烈なパンチが相手に連続命中、グラウカスは逆転勝利したのです。まるでリアルなロッキーみたいですね。

 

もっと古典的な男のスケベ心を利用したコーチもいました。

 

紀元前404年の大会でプロマルクスというパンクラチオン選手のコーチだった男は、プロマルクスが片思いしている少女がいる事を知り、「彼女がオリンピックで優勝したら付き合うと言っていた」とプロマルクスにウソを言いました。

 

これを聴いたプロマルクスは有頂天、前評判の高かったパンクラチオンの強豪を次々と打ち破り見事に優勝したそうです。でも、そのおかげで少女と付き合えたかどうかは分かりません。

 

このような微笑ましい話がある一方で、コーチの意志に反してギブアップした選手に対し激高したコーチが競技場に乱入。先の尖った金属で刺し殺したり、死んでもギブするなと叫ぶコーチの言葉を健気に守り絞殺されたパンクラチオンの選手もいました。

 

コーチとアスリート、この二人は共に大好きなスポーツで名声と富を獲得し、一番を追い求めた最強のスポーツバカコンビだったのです。

 

kawausoの独り言

 

お気づきのように古代オリンピックの選手は全員、スポーツで飯を食うプロアスリートでした。そういう意味では、清く正しいからは程遠く、権力や対戦者からの賄賂や脅迫で、あっさり八百長する事も多くありました。

 

袁紹VS袁術

 

ボクシングの試合で八百長の敗戦者が、約束の金が支払われない事に腹を立て、恥知らずにも、八百長を持ちかけた選手を訴えた古代スポーツ史上最低の法廷闘争も記録されています。でも、古代ギリシャ人の根底にはスポーツを愛する心がありましたし、不正は公には常に否定されました。

 

ローマ皇帝ネロが権力を使い人気取りで、オリンピック八百長試合で連続勝利した時も、一度は脅しに屈したギリシャでしたが、ネロが暗殺されると、その大会を汚辱の祭典として抹消しネロの銅像を引き倒してしまいました。汝の力のみで勝て、これが古代オリンピックの精神でしたが、ある一定のレベルでは、それは危うくも守られていたのです。

 

参考文献:古代オリンピック全裸の祭典

 

古代オリンピック

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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