古代オリンピック1100年も続いた愛と欲望と狂乱の祭典を解説


 

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聖火を持って走る古代ギリシャ人

近代オリンピックが、古代ギリシャで行われていたオリンピアの祭典をモデルに復刻された事はよく知られています。でも、私達は古代オリンピックについてどの位知っているのでしょうか?

古代オリンピックの期間中は戦争が停止され、裸の力自慢の男たちがレスリングや徒競走のような素朴なスポーツを楽しんだ?

 

ギリシャ神話の大神_ゼウス(神話)

 

その答えだと半分も正解していません。古代オリンピックは決して清く正しいものではなく、大神ゼウスに捧げられる、血と暴力と勇気と腐敗と欲望と名誉が混ざった最高にエキサイティングな一大スポーツイベントだったのです。

 

人間の全ての要素を吐き出したオリンピックはだからこそ1100年285回も続きました。近代オリンピックなんか足元にも及ばない古代のオリンピックに皆さんをご案内しましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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肉体を鍛え競争を好んだ古代ギリシャ人

 

古代オリンピックは、紀元前776年にギリシャで開催されたのが記録に残る最古です。この紀元前776年とは、古代周王朝が犬戎(けんじゅう)という異民族に攻められ都を放棄した西周の滅亡、そしてキングダム500年の戦乱を(さかのぼ)る事5年も前でした。

 

古代オリンピックの戦車競走(古代ギリシャ人)

 

そんな大昔から徒競走をしていた古代ギリシャ人は、世界最古のスポーツバカ民族と言って過言ではないでしょう。では、どうしてギリシャ人はスポーツに熱狂したのでしょうか?

肉体を鍛え競争を好んだ古代ギリシャ人

 

それは、ギリシャの土地が起伏に富み、風光明媚であるのと裏腹に崖や山に分断され大きく肥沃な土地に恵まれなかったせいでした。少ない資源を巡り、1000にも上る都市国家は、果てしない争乱を繰り広げ、古代ギリシャ人は好戦的で勇気があり、競争好きで誰が一番かを決めたがる騒々しい人々になります。

 

誰が1番か?これを最もシンプルに残酷に決められるものこそスポーツでした。ギリシャ人は鍛え上げられた肉体を崇拝し、競争に勝ち抜く者こそ善と考えスポーツの勝者に憧れ賛辞を惜しまなかったのです。

 



クセルクス王が呆れたオリンピックバカのギリシャ人

給料である塩が貰えずに困っているローマ兵

 

300人という映画でも有名なテルモピュライの戦いの年、紀元前480年。ペルシャのクセルクス王は100万のペルシャ兵を率いてギリシャに攻め込みます。

 

古代ギリシャ存亡の危機でしたが、数万人もいたギリシャの戦士はオリンピックのレスリング決勝を見る方を選んで参戦せず、スパルタのレオニダス王は、手勢の300人の重装歩兵だけでペルシャ軍を迎え撃って足止めし戦死しました。

 

クセルクセス1世(アケメネス朝ペルシアの王)

 

後にクセルクス王は、ギリシャの戦士がほとんどオリンピックを選んだ事と、勝者に与えられるのが月桂冠ひとつである事に呆れ、ギリシャ侵攻を勧めた重臣を軽蔑したそうです。クセルクス王のみならず、同時代の異民族は、古代ギリシャ人のスポーツ好きを理解できず、狂人の所業と罵倒しました。

 

地中海世界から7万人を集める古代の祭典

 

古代のオリンピックはオリュンピアという土地で行われました。今のように世界の都市の持ち回りではなく、最初から最後までオリュンピアで行われたようです。そこは、オリュンピアから北西65キロに位置するエリスという都市国家の領域で、古代ギリシャの中心地であるアテネから、330キロも離れたド田舎でした。

 

何故、こんなド田舎でオリンピックが開催されるようになったのか、それは紀元前776年戦争と疫病で荒廃していたギリシャを救うべく、エリス王イフィトスがデルフォイで神託の伺いを立てると、疫病と戦争を終わらせたいなら、オリュンピアで競技会を開けという神の教示を得て、その通りにすると疫病と戦争が収まったという故事によります。

 

古代オリンピックは開催から3世紀が過ぎると地中海世界で最大の祭典になります。オリュンピアは、ギリシャ南西部の僻地にあり、大半の観客は険しい山を越えて、街道をトボトボ歩きやってきますが、中には、スペインや黒海から危険な航海を乗り越えてまで、オリンピックを見に来る熱狂的なファンまでいました。

 

それは7万人にもなり、当時のギリシャの中心、大都市アテネの人口を1万人上回りました。しかし、本当の驚きはここからです。

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kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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