【古代オリンピック】魔のヘアピンで死者続出炎の戦車レースとは?


 

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ギリシャ神話の大神_ゼウス(神話)

 

古代オリンピックは、4年毎にオリュンピアで行われ、その前後二カ月は大神ゼウスの名において全ギリシャで、全ての戦争が停止されました。

カエサルが新しいユリウス暦を見せびらかす

 

この理由はギリシャ全土から、オリュンピアに向かう観戦希望者の大行列をトラブルから守るという実利的な目的があったようです。古代のオリンピック期間は5日間でしたが、初日は、選手宣誓の荘重(そうちょう)な儀式に捧げられ、本格的な競技は2日目の午前中から始まります。ここで始まるのが観客にもっとも人気があり、毎回大勢の死傷者を出す40両の馬車による戦車レースだったのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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貴族の見栄と功名心が産んだ華麗な戦車戦

古代オリンピックの戦車競走(古代ギリシャ人)

 

古代オリンピックは軍事国家の多かったギリシャのポリスで軍事訓練の一環として派生しました。戦車競技以外にも、槍投げ、ボクシング、レスリング、パンクラチオンは、いずれも白兵戦の訓練になっていたのです。その中でも、特に戦車レースは貴族の競技として最も華麗で人気がありました。戦車を引く馬は4頭立てで厩舎を建てて専門の飼育員や御者を雇うだけで莫大な経費が必要で貴族や大金持ちしか所有できないからです。

 

また、他の競技と違い、戦車戦の勝利者は馬を操縦する御者ではなく、馬車のオーナーでした。この事が見栄っ張りで権勢欲旺盛(けんせいよくおうせい)な貴族の功名心に火をつけます。

 

オリンピックの勝者の月桂冠を求め、ギリシャ全土から貴族は集まり、選りすぐりの名馬、精悍(せいかん)で命知らずの御者、極限まで軽量化し、薄く伸ばした青銅の装飾や、金銀や真珠で飾った馬と馬車をオリュンピアに引き連れ、7万人の観衆に見せびらかし、羨望(せんぼう)嫉妬(しっと)を煽ったのです。

 

中には貴族でありながら自ら御者も兼ねて、この血と破壊のレースに身を投じる勇敢な若者もいて、全ての観客から惜しみない声援を浴びました。高貴で野蛮で残酷、オリュンピアの馬車レースは古代のF1だったのです。

 

血と破壊の15分の幕が開く

他の戦車馬車に激突OKなため、積極的に馬車をぶつけるレース参加者(古代ギリシャ人)

 

ラッパが鳴ると、40両の馬車は縦一列に並んでヒッポドゥロモ(競馬場)に入場、馬は脚を高々と上げてトラックを一周します。御者は純白のチュニカを着て、左手で手綱、右手に鞭か先に鈴のついた棒を持ち、観客の地鳴りのような大歓声に応えました。

 

そして、御者とオーナーの確認が行われると、いよいよ壷の中から(くじ)を引き、アフェシスと呼ばれる巨大な三角形のゲートに40両の馬車が入ります。このゲートは機械仕掛けで、もっともスタートラインに遠い馬車から二両ずつゲートが開く仕掛けでした。

 

高らかにラッパの音が鳴り響くと機械仕掛けのゲートが開き、馬のいななきと土ぼこりを舞い上げ戦車レースがスタートします。

 

レースは、791mの楕円形のトラックを最初に12周した馬車を勝者とする僅か15分のシンプルなものですが、観客や御者に取って、それは永遠に続くかのように長いものでした。何故ならば、戦車レースには反則らしい反則が何もないからです。

 

勝利条件は自分の馬車でトラックを22回折り返し、9.5㎞を完走する。それだけでした。

 

他の馬車に対する幅寄せ、進路妨害、激突どんな事でも許され、馬車から振り落とされた御者を馬で踏み殺しても殺人罪に問われる事もありません。

幕末 魏呉蜀 書物

 

またしても車輪と車輪がぶつかり、()(車軸から放射状に伸びる支えの木)と輻がこすれあう。情け容赦なく、慈悲にすがっても無駄だ。御者たちは残酷な闘いの渦に投げ込まれ、勝利だけを求める情熱に駆られ、つねに血なまぐさい死の恐怖にさらされる。

スタティウス 「テバイ物語」

 

どんな手段を使おうと勝てばよいという弱肉強食の上に勝者の月桂冠を得たいという()き出しの闘争心が衝突し、血と破壊と死がヒッポドゥロモを支配したのです。

 

死を呼ぶ魔のヘアピンカーブ

 

しかし、戦車レースの本当の恐怖は、まだ始まっていませんでした。多くの死傷者を出すのは、22回やってくる円柱の周囲を折り返す魔のヘアピンカーブだったのです。トラックの二本の円柱は180度あり、50キロ近い速度が出ている馬車で、方向転換するのは至難の業でした。

 

もちろん、大きく膨らんでヘアピンを回避し安全に回る事も出来ますが、それでは、他の馬車を抜く事は出来ません。そこで御者はギリギリまで円柱に左の車輪を寄せながら、車体を接触させず、さらに出来るだけ小さく回る矛盾したテクニックを要求されます。

 

それは、のしかかる遠心力と円柱に激突する恐怖との戦いでした。少しでも、バランスを崩すと馬車は円柱にぶつかり木の葉のように砕けるか、遠心力で浮き上がり馬車ごと地面に叩きつけられるか、手綱が絡みついて悲鳴を上げながらトラックを引きずられるしかありません。

 

残酷な観客は、円柱の周囲にかぶりつき奇跡のテクニックと円柱と遠心力に弾かれて、断末魔の悲鳴を上げる御者の無残な姿を一瞬でも見逃すまいと目を見張り、生死を瞬間の判断が分ける最高の命のドラマを堪能(たんのう)し、悲鳴と興奮と歓声を上げつづけました。

 

周回を繰り返すごとに破壊され脱落する馬車は増え、暴走する馬は係員に片付けられ、怪我人はトラックから引きずり出されて医務室へ直行します。それでも、何があっても何が起きてもレースも観客の熱狂も止まりません。それは地獄の機械のように、たった1人の勝者を産み出すまで動き続けるのです。

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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