こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
前年に王賁が楚を攻撃し魏に救援なし
しかし、よく考えると魏の背後には、楚が控えています。元々、仲が良いとは言えない両国ですが、呉越同舟の例えもある通りここで魏が攻撃されたら、楚も救援に出ないとさすがにやばいでしょう。
ところが、魏にはその望みも絶たれていました。紀元前226年、秦の王賁が燕を討伐したついでに楚に攻め込み、楚軍を大破して、十数の城市を滅ぼしたと史記には書かれているのです。
通常、城は抜くものですが、滅ぼすと書いてあるという事は、抵抗が激しいので見せしめに屠城して住民を皆殺しにしたか、魏に救援にくるのを恐れて滅ぼしたのでしょう。この文脈を見ると、もう魏を救援してくれる国はどこにもなく、魏は、楚軍を討った王賁ににより紀元前225年に水攻めされて、3カ月では滅亡するのです。
魏が後まわしにされたのは趙が回復不能な地震をくらったから
以上の事を考えると、魏が趙より後に滅ぼされたのは蒙驁によりあらかた領地が削られ伊水の南岸に移動せざるを得ない程に弱体化して脅威ではなくなった事と、運悪く趙で大地震が起きて大飢饉が発生したからという事が出来ます。
キングダムで同じ理由が採用されるかどうかは不明ですが、史実ではそうなりますね。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
キングダムの展開としては、名将李牧が大地震の被害で王翦に負けるという演出にはしないと思いますが、実際の歴史では異常気象や天変地異が歴史を動かすのはよくあります。紀元前231年に趙を大地震が襲っていなければ、始皇帝の天下統一はもう少しずれ込んだ事でしょう。
参考文献:史記
キングダムファン向け:キングダムに関する全記事一覧
関連記事:キングダム642話ネタバレ予想vol4「城の陥落数ランキングベスト12」
関連記事:キングダム642話ネタバレ予想vol3「信の大将軍就任が秦崩壊に繋がる」