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卑弥呼は天照大神!かも知れない
しかし、神話はその内容が荒唐無稽でも、その中に一面の真実を宿している事があるというのが現在では定着してきています。そうだとすれば、高天原から天照大神の五代目の子孫である神武が天下りをして、最初に九州を拠点にしたというのも、100%嘘とは言えないでしょう。
卑弥呼の没年は西暦247年頃とされていますが、その時代に実在が確認できる天皇はなく、実在した事と活躍した時期が確実に特定できるのは、第31代の用明天皇で西暦586年です。この時点で卑弥呼と用明天皇の活躍時期には339年の開きがあります。
安本美典氏は、ここで興味深い考察をしています。それは、天皇には短命な天皇も長命な天皇もいるものの、大体400年間を平均にして寿命の平均値をとると、歴代天皇の平均的な在位年数が分かり、それは古代になるほど短くなるというのです。
それによると、17世紀から20世紀の天皇の平均在位年数は22.29年、13世紀から16世紀は15.63年、9世紀から12世紀は、12.24年、5世紀から8世紀は10.88年と下がり、1世紀から4世紀は、10,05 年という平均在位年数が出ます。
この計算方法で、実在と活躍年数が確認できる用明天皇から30代前の神武天皇に遡ってみると、西暦282年頃で止まり卑弥呼まで届かない事が分かります。つまり、神武天皇は歴史上、卑弥呼より後に登場した天皇という事になります。
さらにここで、古事記と日本書記の記述を振り返ると、どちらも神武天皇から5代遡った神が天照大神であり皇祖神とされているのです。それなら、神武天皇から卑弥呼まで届かない35年の謎が解けてきませんか?
つまり、卑弥呼は神武天皇の高祖母であり、天照大神は卑弥呼であるという仮定が成り立ち、邪馬台国は大和朝廷の前身であり、邪馬台国こそが神話の高天原だという事にもなるのです。
日本史ライターkawausoの独り言
kawausoが紹介した説はあくまでも仮説ですが、弥生時代に鉄器や鉄剣、勾玉、銅鏡の出土数で畿内を引き離している九州福岡にこそ、邪馬台国があったと考えるのは無理がない考えではないかと思います。さらに、そこから天皇の在位平均数を割り出して卑弥呼へと繋げる中で浮上してくる。古事記、日本書記の天孫降臨との奇妙な整合性、古代日本史は浪漫ですね。
文:kawauso
参考文献:邪馬台国は福岡県朝倉市にあった!! 「畿内説」における「失敗の本質」勉誠出版
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