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この記事の目次
弩の存在
さて、では連弩の「弩」についても少し知って頂きましょう。この弩については実は良く分かっていません。なんと紀元前五世紀から使われていたと言われているようですが、誰が考案したかまでは分かっていないのです。
一説には神が作ったとも言われる武器でもあったそうです。しかし弩は弓と比べて使い方だけ教えれば兵士でなくても使えるという大きなメリットがあり、軍隊で良く利用されるようになりました。
宋では主力武器として使われ、民間での所持を禁じられてもいたそうです。
連弩のメリットと蜀
これは筆者の推測ですが、諸葛亮が連弩を改良して軍に取り入れた背景には、蜀の人材不足が理由として挙げられると思います。蜀は夷陵の戦いで大きな敗北をしました。最早天下への道はこの時点で潰えたと言ってもいいほどです。
この敗北で失ったものは大きく、何よりも人材を失ってしまったのが蜀のその後に響いてきました。名のある次世代たちだけでなく、訓練された兵士たちを失ったのも大きいでしょう。人はしっかりと育つまでに十数年かかります。
育成をいれたらもっと時間が必要であるかもしれません。それを考慮すると、使い方を理解するだけで使えるようになる連弩は蜀にとって必須の存在だったのでは?と思うのです。
弩のこぼれ話
最後に少し弩の小話をしましょうか。弩という名前ではないものの、似たような存在にクロスボウがあります。このクロスボウは西洋で使われていましたが、何と威力が高すぎるからその時代の法皇様から「残虐すぎる」と言われて使用禁止令が出たのだとか。また日本にも奈良時代から平安時代の最初まで利用されたそうですが次第に廃れてしまったそうです。この日本に伝わったものは連弩ではなく、弩だったのか連射速度が遅いのが廃れる原因の一つだったと言われています。
三国志ライター センのひとりごと
今回は諸葛弩、連弩に対して色々なことを調べてみました。その中で至ったのはやはり、蜀は人材が足りなかったのでは……?という考察でした。こういう武器や物から当時の時代背景が伝わるような感覚は、何とも言えない面白さがあります。機会があればもっと色々な道具に関しても調べてみたいですね。
文:セン
参考記事:連弩 wikipedia
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