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この記事の目次
群臣たちの珍奇な行動
そこで群臣は、逃げる政に対して「王よ、剣を背中で背負い抜くのです」とアドバイスします。政の侍医の夏無且が薬箱を投げつけて荊軻の動きを止めた時に、政は剣を背中に回してようやく剣を引き抜いて荊軻を斬る事が出来ました。
秦王政は、こんな目に遭いながら、並み居る群臣を処罰する事は無かったのです。後に絶対君主になる政も法を無視する事は出来ませんでした。
立法者が趙高になり法を超越する
しかし、法もまた、法を産み出す人間には勝つ事が出来ません。二世皇帝胡亥の郎中令になった趙高は法律を自由に作成できる立場になり、自分に都合の良い法律を次々と作成していく事になりました。
こうして秦法から公平性は損なわれ、趙高が恣意的に出せるものに変化した結果、趙高そのものが法になり独裁が完成したのです。ここから得られる教訓は、法律を個人に好き放題させるものではないという事ですね。
あれ?2200年前の事を語っているつもりが、これ現代でも通用する話ですね。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
秦人も人間ですから、堕落した人や能力があっても横暴な人は存在したはずです。ところが強力な秦の法が、そういう国を衰えさせる元凶を表に出ないように作用していたのです。
しかし、法律を制定するのもまた人間なので、趙高のような佞臣が一人で秦の法律を好き勝手に作成できるようになると、法を盾に趙高が絶対権力者になってしまいました。
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