こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
潔い態度を秀吉に賞賛される盛政
命運が尽きた事を知った盛政は、直接秀吉に対面したいので引き渡してくれと郷民に言いました。こうして、引き渡された盛政に浅野長政が「鬼玄蕃とも言われたあなたが何故敗れて自害しないのか」と愚弄しましたが、盛政は
「源頼朝公は大庭景親に敗れたとき、木の洞に隠れて逃げのび、後に大事を為したではないか」と言い返し周囲を唸らせました。
秀吉は、盛政の武勇を買って九州平定後に肥後一国を与えるので家臣になれと強く迫りましたが、盛政は信長や勝家から受けた大恩を忘れられず
「好意は忝いが、私が生き延びて秀吉殿を見れば、私はきっと貴方を討ちましょう、いっそ死罪を申し付けて下さい」と辞退します。
秀吉は盛政の心情を賞賛し、せめて武士の名誉である切腹を命じますが、盛政は敗軍の将であるから斬首を願うとこちらも辞退しました。
そして逆に「願わくば車に乗せて縄目の恥辱を受けている様を上下の者に見物させ、一条の辻より下京まで引き回されれば有難い、さすれば秀吉殿の威光も天下に轟きましょう」と言ってのけたのです。
派手な衣装で斬首された堂々たる最期
これに対し、秀吉は死装束として小袖二重を贈りますが、盛政は紋柄と仕立てが気に入らず「死に装束は戦場での大指物のように思い切り目立った方がよい、あれこそ盛政ぞ!と言われて死にたい」と言い、秀吉に大紋を染め抜いた紅色の広袖に裏は紅梅をあしらった小袖を所望しました。
秀吉は、「最後まで武士の心を忘れない者よ」と感心して望みの小袖を仕立てて与えたそうです。
盛政は願い通りに、京市中を車に乗せられて引き回されますが、音に聞こえた鬼玄蕃を一目見ようと貴族も庶民も男も女も通り道に鈴なり並び鬼玄蕃を見物し、玄蕃は逆に野次馬を睨み返して堂々とした最期でした。
秀吉は最後の最期まで盛政を惜しみ、せめて切腹の名誉を与えようと小刀を密かに盛政に与えていましたが、遂に使う事はありませんでした。引き回しの後に盛政は宇治・槙島に連行され斬首されます。享年30歳でした。
戦国時代ライターkawausoの独り言
佐久間盛政は、堂々たる勇者でありながら武名に執着せず、これでオシマイと知るや、名誉の切腹も求めずに罪人らしく派手に処刑されたいと願い、その通りの最期を遂げました。叔父の柴田勝家も裏表がないすっきりした武将でしたが、叔父に憧れた盛政も敵味方を感心させる立派な武者だったようです。
文:kawauso
関連記事:【麒麟がくる】佐久間信盛はどんな人?退却の名人がしくじった人生
関連記事:美濃大返し炸裂!織田家の覇権をかけた柴田勝家(アゴ)と羽柴秀吉(サル)の戦い