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佐久間盛政とはどんな人?尾張一の勇者鬼玄蕃の活躍

2020年7月1日


はじめての三国志_ページネーション

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佐久間盛政とはどんな人?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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潔い態度を秀吉に賞賛される盛政

宴会好きな豊臣秀吉

 

命運が尽きた事を知った盛政は、直接秀吉に対面したいので引き渡してくれと郷民に言いました。こうして、引き渡された盛政に浅野長政(あさのながまさ)が「鬼玄蕃とも言われたあなたが何故敗れて自害しないのか」と愚弄しましたが、盛政は

 

「源頼朝公は大庭景親(おおばかげちか)に敗れたとき、木の(ほら)に隠れて逃げのび、後に大事を為したではないか」と言い返し周囲を(うな)らせました。

源氏と平氏が対立

 

秀吉は、盛政の武勇を買って九州平定後に肥後一国を与えるので家臣になれと強く迫りましたが、盛政は信長や勝家から受けた大恩を忘れられず

 

「好意は(かたじけな)いが、私が生き延びて秀吉殿を見れば、私はきっと貴方を討ちましょう、いっそ死罪を申し付けて下さい」と辞退します。

切腹する織田彦五郎(織田信友)

 

秀吉は盛政の心情を賞賛し、せめて武士の名誉である切腹を命じますが、盛政は敗軍の将であるから斬首を願うとこちらも辞退しました。

 

そして逆に「願わくば車に乗せて縄目の恥辱(ちじょく)を受けている様を上下の者に見物させ、一条の辻より下京まで引き回されれば有難い、さすれば秀吉殿の威光(いこう)も天下に轟きましょう」と言ってのけたのです。

 

派手な衣装で斬首された堂々たる最期

ハデな服装での市中引き回しを求める佐久間盛政

 

これに対し、秀吉は死装束として小袖二重を贈りますが、盛政は紋柄と仕立てが気に入らず「死に装束は戦場での大指物(おおさしもの)のように思い切り目立った方がよい、あれこそ盛政ぞ!と言われて死にたい」と言い、秀吉に大紋(だいもん)を染め抜いた紅色(べにいろ)の広袖に裏は紅梅(こうばい)をあしらった小袖を所望しました。

 

秀吉は、「最後まで武士の心を忘れない者よ」と感心して望みの小袖を仕立てて与えたそうです。

 

盛政は願い通りに、京市中を車に乗せられて引き回されますが、音に聞こえた鬼玄蕃を一目見ようと貴族も庶民も男も女も通り道に鈴なり並び鬼玄蕃を見物し、玄蕃は逆に野次馬を(にら)み返して堂々とした最期でした。

 

人たらしの豊臣秀吉からのオファーを拒否する佐久間盛政

 

秀吉は最後の最期まで盛政を惜しみ、せめて切腹の名誉を与えようと小刀を密かに盛政に与えていましたが、遂に使う事はありませんでした。引き回しの後に盛政は宇治・槙島に連行され斬首されます。享年30歳でした。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

佐久間盛政は、堂々たる勇者でありながら武名に執着せず、これでオシマイと知るや、名誉の切腹も求めずに罪人らしく派手に処刑されたいと願い、その通りの最期を遂げました。叔父の柴田勝家も裏表がないすっきりした武将でしたが、叔父に憧れた盛政も敵味方を感心させる立派な武者だったようです。

 

文:kawauso

 

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織田信長スペシャル

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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